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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
14 *鴉羽/Crow*1
 夢を見ていた。
 巨大な大理石のテーブルの上に横たえられていた。
 重たく赤い匂いがたちこめる。
 ベージュ色をした天井の床、精緻な彫刻。
 体を起こすと辺り一面血の海で、悲鳴や呻き声もなく静かだった。
 重い金色の装飾、白いローブ。
 辺りを見回すと黒い固まりが目につき、それはずるずると、何かを――血をすすってる。
 黒いものはゆっくりこちらに振り向きにやりと真赤な口元で笑った。
 喰っていたのは、2年前、守れずに奪われた弟だった。

「カイ――!」

 守れなかった自分を恨んでいるだろうか。
 そんなものはいらないと跳ねのけるだろうか。
 せめて、今幸せに暮らしているか。
 それだけでも知りたかった。
 ふと体が違和感とともにぶるりと震え、意識が浮上すると目の前が薄暗いのを知った。
 どっぷり冷や汗をかいて背中が冷たい。
 ああ、また嫌な夢を見た。
 窓から漏れる光はまだ青く冷たい。
 夜明け直前だ。
 午前4時。
 エアコンが止まっていた。

「…………そりゃ嫌な夢も見るよ」

 窓を開くと気持ちのいい風が吹いていた。
 あのとき絹夜は、どうして泣いていたのだろう。
 祭りの喧噪から逃げる様に、たった一人で泣いていた。
 楽しそうな輪に入れない可哀想な子供みたいだった。

                    *              *             *

 なんといってとっつこう。
 あの面倒臭い大人の事だ、どうせケロっとして朝から嫌味を浴びせかけてくるんだろう。
 結局彼に何があったのかもわからなかった。
 校門前までやってくると何やらがやがやと騒ぎが起こっている。
 校門のすぐ奥には運動部の部員達が並んでおり、その前には白髪の――まずい、クロウだ!
 咄嗟に身を電柱に隠したレオ。
 そこから覗くと、クロウと、さらに彼と同じ白い髪の女の子がわーわーと喚いて騒ぎを起こしているようだった。
 いまどきツインテールの少女で背中を向けているからわからないが、クロウの妹かなんかだろう。
 だったら相当可愛いに違いない。

「クロウ、その子入れてやんなって。ぜんぜん問題ないから」

「いや、でもダメなんだって!」

 何やら少女を学校内に入れてちやほやしたい男子生徒軍と、何の事情か入れたくないクロウで押し問答しているらしい。

「お兄ちゃん、ケチケチしないでよッ!」

 やっぱり妹なのか彼女も九門に入りたいようだった。
 それをクロウは腕を引っ張ってでも入れたくないようだ。

「ダメ、絶対ダメだ!」

「ケチ! ケチケチケチケチ!!
 なんでよッ! なんでなのよッ!」

「お前は絶対人に迷惑をかける!!」

 あれほど気の弱いクロウがそこまで断言するのだからよっぽどなのだろう。
 しかしこのままではマウンテンバイクを担いでフェンスを乗り越えなくてはならない。
 レオが回り道をしようか考えていたところだった。

「いったーッ!!」

 クロウの悲鳴があがり、見れば彼の妹はクロウの手に噛みついていた。
 そして手が離れたすきに校門をひょいっと乗り越えて中に入ってしまう。

「あ、こら! ルゥルゥ!!」

「へっへーんだ!」

 ばたばたとあわてながらクロウもルゥルゥを追って校内に入っていった。
 ようやく騒ぎも治まり何事も知らないふりで校内に入る。
 マウンテンバイクを置いて下駄箱を通り地理教材室に向かおうとしたその時だ。

「レオちゃんッ!!?」

 雷にでも撃たれたかのように大げさな悲鳴を上げたクロウがいた。
 どうやらルゥルゥに撒かれたらしい。
 いつも蒼白な顔がこの時ばかりはさらに血の気が引いていた。

「な、な、な、何で、ここにッ! だって、夏休み、じゃ……!」

 確かに帰宅部で夏休みを満喫しているはずのレオがここにいるのはおかしい。
 こんな時のいいわけがまさか必要だったと思っていなかったレオは押し黙り、そして一番あり得ないことを言った。

「勉強……」

「え、ええ!?」

 流石にクロウも信じなかったのか、しかしそこに割り込んだどたどたという足音に気づき、クロウは彼女の手を引いて走り出した。
 振り向くと白い髪の少女が猛突進してくる。

「見つけたあああぁぁぁぁぁ!!」

「レ、レオちゃん、走って!!」

「っはー?」

 引っ張られているので走らざるを得ない。
 クロウの焦り様も尋常ではなかった。

「とにかく、ルゥルゥから逃げないと」

「アンタ、あの子探してたんじゃないの!?」

「キミと会わせたくないんだ!」

 どういうことだ。
 直線コースでは距離が縮まる一方だ。
 教室に隠れてやり過ごしたがいつ気がつかれてもおかしくない。

「地理教材室に逃げる!」

 とうとう息を切らしたクロウを、今度レオが引くかたちになって地理教材室に飛び込んだ。
 中には既に絹夜とジョーが待っており急に血相を抱えた二人が入ってくるものだから何も言わずに呆然としたままだった。
 扉を閉め、息を整える。

「何してんの、お二人」

 ようやく聞いたジョーにクロウは声をひそめた。

「ちょっと、妹が……とにかく見つかるとやばいから、しーっ」

「なんで妹がやばいんだよ。天使じゃないの」

「うちのは悪魔なのッ!」

 そう言っているうちにペタペタとリノリウムの床を走る音が近づいてくる。
 全員即座に息を殺した。

「おにーちゃん!? おにーちゃーん!
 二階堂礼穏を出しなさいよぉ……! さもないと伯父さんにいいつけちゃうんだからね……」

 そして静かになった。
 いるのか? いなくなったのか?
 オクルスムンディで確認した絹夜は首を振る。まだいる。
 さらに息を潜めていると可愛げのない舌うちと同時にペタペタとまた走っていく音が聞こえた。
 ようやく絹夜が頷き、はぁ、と息を吐く一同。

「何なの、おたくの妹。ナマハゲ?」

「なんていうか、その……レオちゃんを狙っている訳で……」

 さらに何で、と問いたいジョーだったが、座りこんでいたクロウとレオの前にしゃがむ絹夜の異様なオーラに押されて二の句が出なかった。
 完全に喧嘩を売るチンピラそのものだった。
 彼は二人の間で目を落としており、レオとしては不気味極まりないのだがクロウはきょとんとして愛想笑いを作った。
 以前、彼は自分の事をチンピラ、と称したがあながち間違いでないのかもしれない。

「で、いつまで手ぇ繋いでんですかねぇ……」

 ずりずりと距離を取って退散するジョー。
 本当は距離を取りたいが手を掴まれているレオ。
 怒っている。
 いつもの機嫌を損ねるといったレベルじゃなく怒っている。
 だが、空気の読めないクロウはポッと顔を赤くして繋いだ手を絹夜の目の高さまで上げた。

「付き合ってるんです、僕たち」

 横でレオは顔をぶんぶん左右に振り否定する。
 何が逆鱗に触れているのかレオにはさっぱりわからないのだがクロウの暴走につきあったら彼と運命を共にすることになる。
 レオの否定が見えたか無視したか、絹夜はしばらくクロウを睨みつけて――とうとう頭突きした。
 額から煙を上げて倒れるクロウに絹夜は立ち上がりながら吐き捨てる。

「気にくわねぇ……」

「ちょ、ちょっとやりすぎ! 相手考えろよ!
 こいつはジョーとは違うの! クロウ、大丈夫?」

 俺ならいいのか、と思うのだがジョーは出来るだけ会話に刺し挟まらないように黙る。
 貧弱クロウはというと潤んだ目でレオを見つめていた。

「ごめんね、僕がひ弱なばっかりにレオちゃんに心配掛けて。
 でも、そんな風に優しくしてくれるレオちゃんが……ボク、好きなの」

「あのルゥルゥって子が私を狙ってる理由って何?
 あんたがそうやってベタベタしているせい?」

 またしても告白をさらっと流されてクロウは肩を落とし、そして落としながらも苦笑した。

「そうかも」

 ごちーん、と今度、絹夜程でもないがレオの頭突きが入った。
 手加減を考えてもやることは同じだった。
 いや、煙が上がっているところにさらにどつかれてそれはそれで相当なダメージかもしれない。
 額を押さえてうずくまるクロウにレオはうってかわって辛辣な言葉を吐いた。

「うそつくんじゃない。次誤魔化したらアンタ素っ裸にして校庭に放り投げるからね」

「ぃや、ちょ……そ、そういうプレイはまだ……はは」

 言い終わらないうちにレオの手がクロウのシャツをひっつかんだ。
 とうとう黙ってたジョーが間に入る。

「クロウちゃん、こいつはやるといったらやる女だよ! マジで誤魔化さない方がいいよ!!
 ああ、もう! 俺達微妙にクロウちゃんが怪しい事知ってるんだって!
 頼むよ、教えてよ。何か事情があるんだよね?」

「でも、僕は――」

 収拾がつくなくなってきたところで絹夜が鼻で笑いながら指摘した。

「人間じゃない、んだろ?」

 絹夜の言っていることがわからなくてレオとジョーの視線が彼に向く。
 青い瞳、オクルスムンディだ。
 彼はそれで人のエネルギーがどう構築されているのかを見る事さえできる。
 それで確認したのだから彼の言っていることは推測でも冗談でもないようだ。
 クロウはシャツを掴んでいるレオの手の上にさらに手を置いた。
 それは認めで、そして彼はあの時の、帰り際の悲しそうな笑顔を浮かべた。
 もしかしたらあの時クロウは言おうとしていたんじゃないか。
 そう思うとレオはいたたまれなくなった。もっとちゃんと聞いてあげればよかった。

「酷いな、先生……自分の口から言おうと思ってたのに」

「お前のそのぐずぐずした性格でいつ言えるってんだ。そのルゥルゥってのも同じだな。
 人間じゃないから影もできない。そういうことなんだろう?
 言えるなら言ってみろよ。お前、何者なんだ」

「…………」

 レオがそっと手を離すと、クロウは口を開いて、しかし言葉が紡げなかった。
 やはり彼の言いたいことをさらって絹夜が嘲笑混じりに言う。
 なんて意地の悪いタイミングなんだろう。
 嫌味にしては度が過ぎる。クロウにとって、この神経の細い青年にとってどれだけの事なのか自分にはわからない。
 絹夜にもわからない、そのはずだ。

「ふン、ギーメルの監視役ってところか、おまえがぐずぐずしてるからあの娘が送られ――」

「関係ないから」

 絹夜の推理を遮ってレオはクロウの頭に手を置いて下からのぞきこむように微笑んだ。
 絹夜の言うことなんて利かせちゃだめだ。
 ただのいじめっ子だ。

「おい、レオ! 離れろ! そいつはギーメルの――」

「アンタが何なのかは、関係ないから。大丈夫だから」

 絹夜の言葉が詰まり、彼は憤怒の表情を一気にそぎ落として無表情のまま廊下に出た。
 がたん、と酷く力の入ったドアの閉め方から察するに怒りの炎が超高温過ぎて何かが吹っ切れてしまったのだろう。

「……レオちゃん、先生の言うとおりだから。
 僕は……ギーメルギメルが作ったホムンクルスなんだ。
 君たちの情報を全部流してた……黒金先生が起こるのも当然なんだよ。
 情報一つが命にかかわる事だからね……だから、僕は……!」

 きらりと何かが光った。
 何が起こっても構わない。覚悟はある。
 レオが自分の意思を再確認した瞬間、クロウのバタフライナイフが翻り、鮮血が飛び散っていた。

「……え」

 クロウのナイフの刃先は彼の首に向かっていたのだがそれを受け止めたのはジョーの手だった。
 刃の先を素手でつかんで寸前の所で止めたのだ。
 クロウの白い髪とレオの顔に鮮血が飛び散っていた。

「もう、全然クロウちゃんわかってないねぇ。わかってないよ……。
 クロウちゃんの命はクロウちゃんだけのモンじゃないんだよ。もうみんなの、少なくとも俺達のクロウちゃんじゃない。
 いなくなっちゃったらイヤだよ」

 犠牲になられても嬉しくない。
 そんな思い出に足を引っ張られたくはない。
 一人で生まれて、一人で生きてるなら結構。
 ただ、そうじゃないだろう。
 クロウはジョーの目を見て、そんな事を語りかけられているような気がした。

「ジョー、早く手当てして」

 さっとジョーの真っ赤になった手から視線を離し、レオは立ち上がる。
 そうだ、それが分かっていない人間がもう一人いた。


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