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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
1 *再来/Return*
 新学期、ようやく週の終わりの日の午後になった。
 春の陽気と午後の現に気だるくなる教室に置いてあっただけのバッグを取りに戻る。
 クラス変えだかなんだかで少し浮いた空気になっている教室に二階堂レオはぞっとした。
 慣れ合い、取りつくろい、まるでねばねばした蜘蛛の糸の中のようだ。
 死んだように説法受けてたらいい、心の中で毒づいて携帯電話と家のカギだけが入ったバッグを担ぐと

「おーい、レオ! もう帰るのか?」

 廊下に出たところで教室の中から声がかかった。
 金髪をあっちこっちにはねさせてピアスをした今時の男子高校生だ。
 ブレザーの下に大きめなシャツ、そしてキャラクターもののTシャツを着ていていかにも真面目ではない。

「退屈」

「おお、コワっ」

 大げさに両手を上げた男子生徒に対し、レオはため息をついた。
 廊下に行きかう他のクラスの生徒からしたら、自分が男子生徒まで脅しているようにしかみえないじゃないか。
 レオのその気を察したか男子生徒はすぐに笑顔になって彼女に掌を返して見せた。

「金貸して」

「……また?」

「またって? え、俺ってお前に借りてたっけ?」

 急に真っ青になる男子生徒に、レオは頭を抱えた。
 鳴滝丈、通称ジョー。
 愛想が良くて友達も多い。頭はよくないが要領がいいので勉強もしていないくせに成績は良好だ。
 その上、顔も今時のイケメンというやつに当てはまるしセンスも悪くない。
 ただし、最大の欠点が”貧乏”と”シスコン”である。
 母子家庭、妹が4人で母は少し体が弱く入院中。
 まさしく絵にかいたような薄幸な家庭の長男で禁止されているバイトをあっちこっちしており、その分顔も広かった。
 しかし、ジョーが有名なのはそれだけじゃない。
 飄々として世渡り上手、のほほんとしているとまで言われる彼だが中学の頃から相当やらかしており、
 九門高校に入学した直後”ナインスゲートに鳴滝あり”とまで称されていた先輩達が避けて通った不良生徒なのである。
 実際にのほほんとしているのだが。

「はぁ……今日はコロッケパン食う気満々だったのに……」

 そう言ってジョーは腹を鳴らした。
 彼の母が入院するまではまだ血の気のあるやんちゃ坊主程度の勢いはあった。
 今はこの通り、貧乏が最前列、シスコンがその後ろで見え隠れして”ナインスゲートに鳴滝あり”は半透明くらいだ。
 そのせいもあってか今、”ナインスゲートに二階堂あり”になりつつある。
 食う気満々だったのに。
 話はそこで終わったはずなのにジョーはレオに手を差し出したまま一歩も引かなかった。
 その辺の生徒とっつかまえて同じような事をすれば彼を慕うか怯えるかして500円玉ぐらい手に入るだろう。
 だが、それを本人もわかっているせいか確実に脅し相手ではない人間にしかせびらなかった。
 人目というものに気を遣っていることをレオもよくわかっている。
 単純に鳴滝ジョーというこの男の事なかれ主義に頭が参りそうだった。

「……ジョー、コロッケパン奢ってやるからちょっと付き合いなよ」

「何? それって愛の告白? コロッケパン食わしてくれるなら、俺、どこまでもついていっちゃうよー!」

 途端にキラキラと目を輝かせたジョーに呆れてレオは舌打ちした。
 軽くてやかましいやつではあるのだが、レオにとっては数少ない友人と言える男である。
 さも当然のように教室の自分の席に立てかけてあった浅葱色の布に包まれた棒状のものを片手にレオについていく。
 込み合う購買部の人がきを半ば威厳と力づくで押しのけながらレオはつっきりコロッケパン2つと紅茶を2つ購入する。
 ワンセットをジョーに押し付け、リノリウムの階段をのぼりながら、レオもジョーも何も言わずともそこでパンを開き食べながら屋上に移動した。
 立ち入り禁止の張り紙を無視して屋上に出た時点で二人はしっかりと胃の中に食べ物を詰め込んでいた。
 あれだけコロッケパンがどうのと言っていたジョーも味わっているのか定かでない。
 ゴミをジョーに押し付けてレオが屋上への扉を開くと、コンクリートのざらついた床に、良く晴れた空が広がっていた。
 フェンス越しに建物と雲がいくつも見える。
 吹き抜ける風の中に桜が混じっていた。

「…………?」

 扉を開けたところから長方形に伸びてずいぶんな広さがある屋上だが、そこから一番先に突っ立っている黒い影ははっきりと見えた。
 街を背にしてタバコをふかしている。
 伏し目がちで正面を見ようとしていない。今年度から赴任してきた新任教師だ。

「お、黒金センセじゃん!」

 たたらを踏んだレオの後ろから顔を出したジョーが何も気にとめた風もなく言ったが、レオの機嫌はそこであからさまに悪くなった。
 ジョーの言葉を無視して進み、レオは真ん中までやってくると拳を構えた。
 無視してやるのか、と肩をすくめて見せたジョーも浅葱色の布を取り払ってそこから黒光りする木刀を取り出した。
 墨の塊にも見えるその木刀には文様が刻まれており、ただでさえ怪しい代物をジョーは常に持ち歩いている。
 それさえなければ奇人変人呼ばわりもされないだろうに、人目を気にする彼が手放したところをレオは見たことがなかった。

「へへへ、コロッケパンのお礼もあるからな! 手加減しないでやるぜ!」

「さっさとかかってきな」

 黒金絹夜は全く動かない。
 見ているようでも、騒ぎ立てるようでもない。
 ぱっと、両者の足が地面を蹴った。
 武器を持っている相手にレオの拳が十分通用するという事はジョーもわかっている。
 いいや、むしろ恐ろしいのだ。
 レオの身体能力は常人のそれをはるかに凌駕している。
 いったいどこでそんな術を学んだか、少なくとも職に困ってもサーカスは引き取ってくれるだろう。
 近づけたら負けだ。彼女は強烈なインファイターだ。
 一閃、二閃、この攻撃が避けられるのは承知、三撃目間合いに飛び込んできたレオに回し蹴りを入れようと反回転したジョー。
 しかし、その態勢になった瞬間、レオはジョーの右手と地面を支点にした木刀を駆け昇ってきたのだ。

「げっ」

 気がついた時にはジョーの後頭部に容赦のないひざ蹴りが入る。
 顔面が抑えられてとられるのは視界だけ!
 ほぼ背中に乗ってきたレオを振り払おうと左手を地面について足を持ち上げる。
 必然的にレオが着地するのは、木刀の正面だ。
 体をひねる頃にはジョーが木刀を振り上げていた。

「ッ」

 ここで逃げればまた同じことの繰り返し。
 下ろされた木刀をナックルで受け止めて刃先を滑らせそのまま持ち手に一撃を加える。
 それで振り落とされる剣士の刀でない。
 攻めに徹するレオとギリギリの距離を保ち、ジョーも攻める隙をうかがった。
 トレーニングにしては激しい攻防を、離れた所から絹夜だけが見つめていた。
 いいや、彼は目を閉じていた。

「…………オーバーダズ?」

 苦々しくそれを呟いた彼の閉ざされた目に映っていたのは見た事もない力の流動だった。
 人間には誰しも宿しているエネルギーとして多かれ少なかれ宿す”魔”と”聖”があった。
 大抵、”魔”や”聖”の何れかが体を守る様に包んでいるのだが、
 その踊る姿は中途半端な”聖”と異様やたらに大きな別のエネルギーを秘めていた。
 ごく稀にあるのだ、”魔”や”聖”に分類されずとりあえずの形でエネルギーのまま蓄積してしまう。
 しかしその現象が起きるのは余裕を見積もっても5歳程度の小さな子供だけだ。
 目を開いてその色を確認する。
 まず視界に入ったのは木刀を構えた少年――鳴滝ジョーだった。
 いや、彼も確かにそれなりの”魔”とエネルギーを秘めているが”ただの素質のある魔”のレベルだ。
 彼の視線を追う。
 頭上!
 長い茶色の髪、黄緑の瞳、どこかの国のハーフなのだろうか、大きな目と日本人というには少し暗い、褐色に近い肌の色をした少女だった。
 心臓のあたりから異様なエネルギーが渦巻いている。
 まるでそれは今にも雲をかち割って落ちそうな雷のようだった。
 特別な子供だけが持っているはずの小さな輝きを見せびらかせるようにぎらつかせている。
 ”魔”にも”聖”にもならずにそのまま成長してしまった、そんな風にも見えたが絹夜は事例を知らなかった。
 ほぼ頭から落ちてきた少女はジョーの突きをかわし、その木刀を両手に掴んで支えにする。
 するりと懐に入り込んでピタリと彼の喉元に両手の指先を突き付けた。

「はい、アンタの負け」

「…………」

 年相応の少女らしく、しかし少し尖って金色のマニキュアでコーティングされた爪はまるでナイフだ。
 あれだけのアクロバットを見せたにも拘わらずレオは息一つ乱れていない。
 サーカスに売っても生きて行けるだろうが、暗殺者としてもやっていけるんじゃなかろうか。
 ジョーはそんな風に思ってにやりと唇を吊り上げたが、体が嘘をつけず冷や汗を流した。
 時と場合が揃えば、殺される。そんな予感がいつも走っていた。
 コロッケパン一つではすこしスリルがありすぎる。

「ホントに、勝ったのかなぁ?」

 そう言ってからかうとレオは眉間に皺をよせ、そしてやっと気がついたようだ。
 元来勝ち負けに興味がない。
 そのジョーが放った最後の突きが狙っていたものが小さな悲鳴を上げた。
 パキン、と小さな音を立ててレオのブラウスのボタンが二つ外れる。

「ッなっ!」

 元より大きく開いていた胸元がさらに開く。
 近寄りがたいキツい性格で友達も少ない彼女がやたら他高の男子に人気があるのは、
 伊集院ユリカとは全く正反対の意味で派手で露出が高くて十代とは思えない艶めかしいスタイル、極めつけはグラビアアイドルに匹敵するバストにある。
 機動性に特化した彼女ではあるがたまに胸を庇うような動きをするので相当コンプレックスに思っているのだろう。
 当然、ジョーもそれの弱点を知っていてる。
 わざとだ。
 咄嗟にレオは前を隠すよりも早くジョーの襟元を逆手に掴んでそのまま投げた。

「のっ! うわぁッ!」

 肩から落ちたジョーに舌うちし、レオは彼に背を向けてブラウスの襟首を引き寄せた。
 全く、冗談が過ぎていずれ死ぬんじゃないか。
 そんな風に思ったがジョーの今後の事はすっかりレオの頭から消えた。

「…………」

 誰だったか、とにかく見なれない黒服の視線が胸に向かっていることに気がついてレオは睨み返す。
 いや、正確には絹夜の目が行ってるのは心臓だ。
 胸を見られるのが嫌ならこんな恰好はしていない。
 だが、この男は心臓を見ているのだ。
 運動をしても乱れなかったレオの心拍が早くなってきた。

「…………何見てんだよ」

 絹夜は一瞬きょとんとして、すぐに卑屈な笑みを浮かべる。
 この娘のこんな不思議な形をした力を見ればきっとすぐに分かったはずだ、それなのにどうして転任の挨拶の時には見つけられなかったのだろう。
 いいや、どうせいなかったのだろう、たしかにここは退屈だ。

「…………」

 威嚇するように睨みつけてくる少女。

「ほう」

 殺気というのには少し漠然とした、曖昧な状態の敵意。
 鋭い感情と無関心が同居した、そうそう、彼女の感触に似ていた。
 絹夜はレオと対峙し、10年ほど前を思い出していた。
 もういなくなってしまった死神のような少女だ。
 レオは絹夜のリアクションを待たずブラウスの裾を縛り身なりを整え直す。
 肉食獣がゆっくり間合いを詰める様に彼女は体を斜めにして絹夜の様子をうかがっていた。

「ちょ、ちょっと! 俺が悪かったって! そんな喧嘩腰になることないだろ!」

 仲裁しようとしたジョー。
 しかしレオがそれを無視したか本当に聞こえなかったか、彼女の気が殺げない。
 慌てて物理的に間に入ろうとした次の瞬間だった。
 レオが助走をつけ、絹夜の前で高く地面をけり上げる。
 彼の頭上を回転ひねりで態勢を立て直しながら超えると、背後から脊髄を狙う攻撃をしかけた。
 教師に手を上げたことが知れたら授業日数の足りないレオの事だ、すぐに停学だか退学になりかねない。
 なんで止められなかった、ジョーがそう後悔したと同時にレオの体が急に横に吸いつけられるように動く。
 がしゃん、と彼女の頭がフェンスに打ちつけられていた。

「え、ええっ……?」

 いつ動いたのだろう、確かに頭に色々な事が駆け巡っていたがしっかり見ていたはずだ。
 そんなジョーでも目を瞬いてしまった。
 絹夜がレオの拳を受け止めたか流したかしてそのままの勢いを利用してフェンスに叩きつけたのか。
 ブロックを簡単に砕くレオの拳をあの華奢な腕一本で。

「んッ……つぅ!」

「小生意気なクセに可愛い声で鳴くじゃねぇか。
 それともこんな風にされたことないのか?」

 完全に後ろで左腕をとられている。
 だが、レオは金網にかけた右腕に力を込めた。
 ガシャガシャと派手な音を立ててフェンスを利用し体を回転させる。
 力任せに左腕を引っこ抜くと同時に黒いセーターを巻きつけ、絹夜の右腕と自分の腕を連結させた。
 左手を犠牲に、得意なインファイトに持ち込んだのだ。
 それでも警戒したのかレオは腕よりも足を使う。
 絹夜は左手でさばき、まともにヒットしていなかった。
 力の差は歴然、絹夜はほぼ初期位置から動いていない。

「レオ、だめだ! その人は――!」

 圧倒的に強い。
 まるで自分たちとは別世界からやってきたようだ。

「だったらなんだってんだッ!!」

 少しいらついてきたのか大声をあげたレオ。
 それが早いか同時か、ふとレオと絹夜の周囲が明るくなった。

「……?」

 絹夜はレオの攻撃を左腕ではじき返しながら足元を見た。
 二人の周りに浮かび上がりはじめていた円形の文様だ。
 それはだんだんと色濃くなっていく。
 そしてとうとう、文様までがしっかりと浮かび上がった。

「――ッ!」

 文様から察するにそれは、ゲートだ。
 特徴的な楔文字とヒエログリフ、エジプト魔術だ。
 解読しようと思ったがこの状態でもレオが攻撃を仕掛けてくる。
 その間にも、文様――魔法陣はどんどんと大きくなりすっかり三人の足もとに広がっていった。
 ――我は滅びを喰らう門なり。
 視界に入る情報が反射的に絹夜に情報を与えた。
 ゲートが起動した!

「早速かよ……!」

 絹夜の吐き捨てるような一言を最後に、三人の姿は一瞬にして春の光の中に溶けた。
 当然、その出来事を他に見ているものもない。








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