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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
11 *須佐之男/Susanowo*2
 父はいつだって自分勝手だった。

「おい、丈。稽古だ。いくぞ」

「……う、うん」

 いつもぼろぼろの道着を着ていて、頭はボサボサ、ひげも伸びっぱなしで時代錯誤な男だった。
 不格好で木材をそのまま切り出したような木刀を担いでおり、手にマメがいっぱい出来ていて手をつながれるとざらざらとして嫌だった。
 本当は父の稽古には付き合いたくない。
 痛いし、苦しいし、とにかく嫌なことばっかりだ。
 一度だけ泣いてごねたことがある。
 当然父は怒ったし、ぼこぼこにされても嫌だと言おうと決めていた。
 4つだったジョーの顔面がはれ上がるようなビンタを食らわした。

「男のくせに、嫌だったら喚くのか。
 兄貴のくせして、妹の前で泣くのか」

 ビンタよりも効いた。
 まだ髪の毛も生えそろってない春野を抱いた母、そして初めての妹。
 このクソオヤジがいなかったら守らないといけないのは自分だ。
 とたんに恥ずかしくなった。
 自分は男だ。
 自分は兄貴だ。
 自分の後ろには守ってやらなきゃいけないものがある。
 オヤジは時代錯誤でハヤらないクソ男だし、さらに輪をかけた最低な大人たちがいっぱいいる。
 絶対にこのカスだけには守られたくない。
 自覚のある、歪んだ成長が始まった。
 確か13の頃だ。
 中学校に入ってすぐ、ジョーは他高の生徒と喧嘩をして相手を全員大けがさせた。
 家に帰ると、父は何も言わなかった。
 何も言わずに顔面が歪むほどボコボコにした。
 痛みで3日眠れず、顔がはれ上がった熱で2日うなされた。
 起き上がってみると、母が小学校の入学祝いに、と買ってくれた木刀が綺麗に三つに分かれていた。
 貧乏なのを知っているから涙が出た。

「何泣いてやがんだクソガキ」

「なんで俺の木刀折ったんだよ! あれは、かーさんがせっかく買ってくれた……っ大事なもんだって……!」

「知るか。悔しかったら俺のヤツ折ってみろよ」

 まるでそれをさせるためのように、父はぽいっと自分の木刀を投げた。
 ずっしりと重い、クマが爪とぎした後の残骸のような、長細い木材だ。
 歪でお世辞にも刀と言えない。

「折ってやる!! 絶対に!!」

「あー、やってみろよ。てめぇの歯型もつかねぇぜ。
 なんてったって剣ってのは侍の魂だ。そりゃ俺の魂だ。折れるわけがねぇ」

 そのまますっと家を出てしまう父。
 きっとまた家の金で飲んでくるのだろう。
 憎悪が爆発したかのようにジョーは父の木刀に睨みつけた。
 一番細いところなら直径3センチはないだろう、ちゃぶ台の角にぶつければ簡単に折れそうだ。
 そう思っていたジョーとは裏腹に2日たっても木刀は折れなかった。
 卑怯にも火にかけたが燃えなかった。
 水にさらして老朽化を図ったが全くの無意味だった。
 当然歯形もつかなかった。

「丈、もうやめなさいよ」

 母が止め、父がまだやってるのかと指をさして笑った。
 結局傷一つつかなかった。
 ジョーが父の木刀を手放したとき、父は何も言わずに声をかけた。

「丈、いくぞ」

 また大嫌いな稽古だ。
 だが、自分には木刀はない。
 そう思って鼻で笑おうとしたとき、父は前に持っていたのより一回り大きな、おもちゃじゃない本物のそれをジョーに放り投げた。

「今日からそいつがお前のエモノだ。
 銘は”大蛇薙(おろちなぎ)”、俺が切り出してきた一本だ。ありがたく思え」

「…………」

 まだ若い木の色。
 鼻に近づけると木の匂いがする。

「丈、そいつは折れない。お前には荷が重い代物だ。
 そいつで俺に勝った時、俺とお前の親子の縁は切れる」

「…………え?」

「俺に勝ってみろ、そいつでだ」

「…………」

 その時のジョーの表情は子供のそれではなかった。
 切ってやる。
 断ち切って超えてやる。
 攻撃的な憎悪が溢れたようにジョーは毎日毎日父と闘い続けた。
 1年経ち、2年経ち、3年目、成長期を超えた体が途端に言う事を聞く様になった。
 自分が思った以上の力が働いた。
 時に父は苦悶の表情さえ浮かべ剣を受け止める。

「今日こそはいただくぜ!」

 家の裏手の空き地、毎日毎日剣を振り回し、血へどをまき散らしながらここで育ってきた。
 小さな場所で毎日剣ばかり振り回し、父のようにごつごつした指になった。
 勝てる!
 初めて勝機を見出したその時、ジョーの体が吹っ飛んでいた。

「!?」

 地面にたたきつけられる、土ぼこりが舞いあがってすぐに体は熱く痛んだ。

「いつになったら目が覚める。
 お前は修羅にも人にもなれぬ餓鬼だ。
 人になりきるか、修羅に落ちるかしてみせろ」

「……っつぅ……」

「……無駄だったようだな、この二年間」

「ぅ、るせぇ……!」

 父が去る足音だけが聞こえた。
 土を噛む草履の音。

「お前の剣じゃ誰も守れんよ」

 それが最後の父の言葉だった。
 傷を引きずって家に帰ると、もうそこには母と妹しかいなかった。
 父のことなんて自分が心配するものか。
 意地を張っているうちに、女どもは父がいないことを当たり前に思い始めた。
 自分もそうだと思い始めた。
 当たり前のように学校に行って喧嘩をして、少し悲しげな表情の母が家にいる。
 妹たちは何も知らずに毎日はしゃいでした。
 おかしかった。
 自分の生活の中、大事なものがすっぽり抜けてしまったようだった。
 稽古が嫌いなのに裏手の空き地に立っては木刀を振り回す。
 虚空だ。
 憎悪の対象がいなくなってからすっからかんになってしまった。
 母が倒れ、生活がさらに苦しくなって日雇いのバイトをしたりしているうちに、ふと気がついた。
 剣は全然必要ないじゃないか。
 パートのおばちゃんたちは、若いのに偉いわねぇ、と誉めてくれるし、
 妹たちも母も自分のことをよそに話せるほどよく思ってくれているらしい。
 近所の人も、やれ田舎から野菜が届いた、果物が届いたとちょっかいを出してくれる。
 剣は全然必要なかった。
 剣がなくてもみんなを守れた。
 いともあっさり、井の中の蛙だった事に気がついた。
 今でも父は嫌いだ。
 自分勝手で時代錯誤の男だ。
 でも今なら、嫌だった稽古も付き合えそうだ。

「いくぞ」

 あの男の呼び声が聞こえる。
 やってやろう、やってやろうじゃないか。
 剣がなくとも、それはただの器のようなものだ。
 憎悪と虚空を超えて出来上がったものが形となりはじめる。


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あきゅろす。
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