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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
9 *蛟/Kelpie*1
 日差しが痛い。
 気が狂っているんじゃないかと思うほど照りつける太陽の下、レオはまだ七月に入ったばかりであることを思い出し盛大に溜息をついた。
 七月の頭、今年も九門は晴天の中プールびらきが無事に行われ、体育の授業は水泳にさし変わる。
 どこの学校でもそうなんじゃなかろうかところ、レオは己の目の前の状況だけを恨んだ。
 気の抜ける鈍いテンポで体操を推し進める体育教師山崎。
 筋肉隆々の立派な体を見せつけるがごとくビキニの水泳パンツ姿を披露しているが女子生徒は若干それに引いている。
 そして、男子の列に並んでいるジョーも他の男子と比べて異様に逞しいものだからレオは若干それに引いている。
 なにより今日も見学クロウ・ハディードはうっとりした視線をレオに向けていた。引くどころか視界に入れないようにした。

「よーし、準備体操も終わったことだし! 今日は体慣らし程度にかるーくいくぞ!」

 白い歯をキラリと光らせたゴリラ山崎はレオに視線を合わせてニヤリと笑った。
 大人しく授業に参加したことを喜んでいるのだろうが、勝ち誇ったような表情がレオの癪に障る。

「男子は5コース、4コース! 女子は3コース、2コース! 50m、クロール4本、平泳ぎ2本だ!」

「全然軽くねぇだろ!!」

「お前が泳げゴリラ!」

「軟弱だなぁ! よし、オマケして50m、クロール2本、平泳ぎ4本、背泳ぎ2本だ!」

「増えてんじゃねぇかッ!」

「つべこべ言うな! これ以上増やしたくなかったら黙って泳げ!」

 人の扱いに慣れている。
 山崎の思ったとおり、文句を言いつつ生徒は少しずつプールに入っていった。
 協力的な生徒は我さきにとプールではしゃぎながら冷たい水に喜んでいる。
 それが楽しそうに見えて他の生徒も結局は始めるのだが、レオだけは列を離れていた。

「おい、二階堂。お前は1コースだ」

「…………」

 隔離。
 当然のように一人1コースのレオはまず、躊躇の末に水に入った。

「ううわぁ、きもちわりぃッ」

 普通だったら冷たいだとかの感想できゃっきゃとはしゃぐのだが、彼女の場合きゅっと身を縮ませる。
 水に浸けたネコのように勢いまでしぼんでそのままだ。
 そして山崎からいきなりビート板を渡される。

「まぁ、お前はとりあえずバタ足からだ」

 レオが水泳を嫌うのは大きすぎる胸に視線が集まるのと、極度のカナヅチという点である。
 前者、水に入ってしまえば全くどうしようもないし、他の生徒も気にせずグラビアアイドル並のプロポーションに免疫が出来たという事だろう。
 だが、後者は逆に目を反らしたくなるような重度の病気に近かった。

「…………」

 少し冷たい水に顔をつけたレオ。
 しかしそのまま浮き上がる事もなく顔を上げた。

「…………二階堂?」

 怖い顔をしてレオはビート板を握ったままだった。
 これがカナヅチの真骨頂、浮かない。

「二階堂、安心しろ! 秘密兵器を出してやる!」

 自信満々に言うので見上げると、プールサイド、浮き輪を掲げた山崎の姿があった。

「たらりらったら〜! うきわ〜!」

「見りゃわかるわ」

 早速レオに装着する。
 これで浮かない人間がいるだろうか!
 遠くバシャバシャと他の生徒がはしゃぎながらノルマをこなしていくのなんて別次元の話だ。

「よし! 二階堂! 向こう側の淵まで発進だ!」

「……お、おう!」

 威勢のいい掛け声をかけ、ようやく足元を蹴ったレオ。
 その次の瞬間には水面を逃げるようにビート板が空を舞い、レオの胴体は浮き輪から前方にすっぽぬけてプールの底に沈んでいた。

「…………」

 下方からはゴボゴボと泡が浮かんでくる。
 それが静かになってから呆れかえっていた山崎ははっとなり、プールに飛び込んだ。
 人類の英知が完全否定される瞬間を目撃した生徒は何人いただろう。
 浮き輪という水に対する完全無敵な装備を持ってしても溺れる人間がいるなんて!
 救出されてプールサイドに干されたレオを見下ろし、山崎は頭を抱えた。

「二階堂、お前はもしかしてわざとやってるのか?
 俺に対するいやがらせか。ごめん、謝るからもういい加減にしてくれ」

「んなわけねぇだろうが! こっち命かかってんだぞ!!」

 がばっと起きあがったレオに疑いの眼差しを向ける山崎。
 声にはしないがそこには迷惑とでかでか書かれていた。

 次に山崎が取り出したのは一本の竿だ。

「たらりらったら〜! 釣竿〜! いいか、二階堂! 俺がこいつで上から支える! それならいけそうだろう!」

「なんでもいい、とりあえず全部試せ!」

「良く言った! それでこそ男だ!」

 とりあえずレオの背中に釣り針をつけて、さらには先の装備を装着。
 まさかさすがにこれでおぼれないだろう。
 外野がだんだんとその期待に目を向け始めていた。

「よし! 二階堂号! 発進だ!」

 掛け声は腹が立つが、ここまでしてくれる山崎に応えなければならない。
 レオは足を離し、体を水面と垂直にする。
 すると、今度こそ、不格好ではあるがなんとか浮いてると言っていい状態になった。
 いや、たまたま水死体を吊り上げた、みたいな状態だ。
 そして実現するのも時間の問題だった。
 ガボガボとレオの顔面から泡が上がり、とうとうそれが止まった。

「…………」

「…………」

 山崎も、見守っていた生徒もかける言葉がない。
 再び沖に打ち上げられたイルカのような状態になったレオの横、山崎が頭を抱える。

「お前は息継ぎという概念も知らんのか!」

「やまピ、そいつのカナヅチは諦めなよ」

 後ろからゴーグルをつけたジョーが揚々と現れた。
 その態度からしてすでにノルマをこなしているのだろう。
 運動神経抜群、当然水泳でもその能力を見事に発揮する完璧優男にはシスコン貧乏という唯一にして最大の弱点以外に弱みはないらしい。

「鳴滝! 諦めるとか簡単に口にするな!」

「いやいや、散々やったじゃない、あんたら……」

「いいか、鳴滝! 二階堂が浮かないと人間は浮くように作られているという人体の歴史が覆されるんだぞ! 水泳の大前提が否定されてるんだぞ!」

「…………まぁ、そうだけど今日プール開きしたばっかりでいきなり泳げるようになるわけないじゃん。
 相手が手強いって分かった事だし、泳げなくてもいいような方法考えた方がいいんじゃない?」

 まさしく正論を叩きつけられてそうだなぁ、と考え始めた山崎。
 だが、そこにがばっと起きあがったレオが反論した。

「出来ないって決めつけんなよ!」

「それ、二年前にも聞いた。そして現在に至る」

「…………」

 やっぱり正論を叩きつけられてレオもあっさり納得した。

「レオちゃん、がんばってね」

 慣れ慣れしく寄って来たクロウを察知してレオはジョーの背後に隠れ威嚇音を放った。
 いつの間にか”ちゃん”になっている。
 あのキス事件以来本人は付き合ってるつもりで話を進めるしそれを信じている人間の方が圧倒的に多い。
 そのおかげで知らない女子生徒には泣かれるわ、下駄箱に呪いの手紙が入っているわで迷惑千万だった。

「よっし、クロウ。お前が二階堂の面倒みてろ。
 鳴滝、勝負だ。俺に勝ったらメシおごってやる。俺が勝ったら女の子紹介してくれ」

「おっけい、やまぴー!」

 山崎がとんでもない事を言った。
 歯をきらっと光らせてジョーと山崎が開いているコースに突撃し、バタフライ200m勝負を始める。
 恐る恐る振り返ると少女漫画の主人公のように目をうるませているクロウがやっぱり胃痛を引き起こすような熱視線を向けていた。

「レオちゃん……水着も素敵……」

 全身鳥肌が立った。
 もしかしてこれは体育の授業の度に言われるんじゃなかろうか。


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あきゅろす。
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