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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
6 *風見鶏/Tirol*2
 先日の怪我で縫合された部分の抜糸を終えて絹夜はシャツに袖を通し、礼も無しにして保健室を出ようとした。

「ああ、黒金先生。ちょっとお待ちを」

 去っていこうとする絹夜をドアあたりで呼び止めたユーキはデスクから蛇皮のケースを取出し絹夜の前に差し出す。
 手に少し余る大きさのケース、何故だかオクルスムンディが怯えの慟哭に震える。

「師匠に相談したところ、応急処置手ではあるけれど、と送って下さいました。
 使うかどうかはお任せします」

 魔力膨張についてだろう。
 長く生きているだけあってその分知恵もある。
 おばあちゃんの知恵袋的な発想ではあるのだがやはり彼女は的確な答えを持っていたようだ。

「……神緋は他に何か言っていなかったか?」

「どうでしょう……大したことは思い当たりませんね。
 あの人のことだと、何か知っていても確証がないかぎり切り札として手元にとっておくかと思います。
 気になるようなことがあればせっついておこうかと思いますが、いかがしますか?」

「いや、いい」

 せっついたところで口を割るような女じゃない。
 むしろ興味がありませんよ、と冷たくしていると自分からネタを明かすタイプだ。
 神緋さておき、絹夜は蛇皮のケースに手をかけた。
 蛇皮といっても上品なセピア色の光沢を放っている。
 本物だ。
 蓋を開こうとするとオクルスムンディが騒つく。
 かまわずそれを開くと、スクエアフレームの眼鏡が入っていた。
 シルバーのフレームとシルクの布、間違いなく絹夜も知っているイタリアブランドのものだ。
 眼鏡拭きの下には薄紅色のメモが挟まっていた。
 開いて見ると見なれたイタリア語でつらつらと書かれていた。

『私が使っていたモノの改良品よ。
 あなたがまた魔道の歴史を引っ繰り返すのが楽しみだわ。
 五大魔女的にはチョー応援してるから。
 近いうちに近況を聞きに行ってあげるわね。
 ――あなたの永遠の保健医、あんじぃより。』

「他力本願か……」

 以前も彼女は厄介ごとを押しつけては自分だけ甘い蜜を吸おうとしていた。
 結局最後の詰めが甘く共々苦労するところが憎みきれないのだが、何百年それを繰り返して反省するのか。

「それが何なのか、聞いてもいいですか?」

 メモを見た絹夜の表情に首をかしげてユーキが聞く。
 律儀に中身を確かめるようなヤボをしなかったのだろう。
 何も知らないだろう彼は覗きこむようにメガネのフレームなどを観察していた。

「……邪眼の封印装置だ。儀礼済みの銀に魔力流動を拡散させる細工がされてる。
 ――そうか、神緋も確か邪眼だったな」

 邪眼と一括りにしても色々ある。
 絹夜の邪眼は視線という直線上に魔力を走らせ、物質を貫通し透視さえする万能色の強いものだが、
 庵慈の邪眼は敵意を持って見つめる事により発火現象を引き起こし、またそこから螺旋状の広範囲に力を及ぼす。
 攻撃的な性質を持つだけあって封印も必要だったのだろう。
 ほうほう、と頷くユーキはそんなものも売っているんですねぇ、と薄ら関心をしていた。

「気が向いたら使ってみる。俺にとっての所詮は未来永劫”保健医”神緋によろしく」

 礼なんだか文句なんだか。
 師匠をありったけボロクソに言われてもユーキは顔色一つ変えずにうなずいた。
 庵慈がそれだけ言われても仕方がない人物だとユーキも知っているからだ。
 今日も今日とてレオとジョーを地下教材室に呼び出してある。
 この魔力膨張も誰かに無理やり使わせれば少しは安定する。
 地理教材室に行くと、そこにはレオとジョーは揃っており、何か難しい話をしていたのかレオが鼻を鳴らすように溜息をついた。

「はいはい、おしまいおしまい」

 そのレオの言葉に負けたのかジョーがいたしかたなく話を打ち切った。

「あ、ごめんねきぬやん。秘密の話なの」

「ふーん」

 今日も屋上のゲートの魔法陣から裏界に侵入する。
 大きな影は見当たらなかったが、逆に小さな影の数も格段に減っていた。
 影が少ない。
 本来なら健全でいい事なのだがいきなり減少するのはおかしい。

「特に……何かあるってわけじゃないのかな」

 何もないのなら帰ろう、そう言いたかったレオだったが、遮る様にまたしても地面がゆれる。
 ぞぶん、と廊下がやわらかく波打った。

「わっ!」

 同時に、何かこぶし大のものが足元を駆け抜けた。

『急がないと!』

「!?」

 ずいぶんと黒い影であるのに小さいそれは、ぴょこんとレオを飛び越えてゴムまりのように廊下の先の影に向かっていった。
 揺れが収まり、今のは何だったというとこと、ぴょこん、と同じものがまた飛び越えていった。

『急がないと!』

「!?」

 そして、一つ、また一つ、とぴょこぴょこ走っていく。
 小さいという事はさほど大きな問題ではない、ということだ。
 ただ、色が濃いという事はそれだけ思いの密度が高い。

「何、これ!」

 ぴょこぴょこが来る後方振り向いたレオはむしろ笑顔になった。
 見える限りぴょこぴょこだったのだ。
 波のように押し迫るゴムまりのような影に悲鳴を上げる。

「きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 影に潰されたレオはリノリウムの床にたたきつけられる。
 難を逃れた絹夜は影の思いに失笑していた。

『やきそばパン! やきそばパン!』

『メロンパン! メロンパン!』

『カレーパン! カレーパン!』

『もずくパン! もずくパン!』

「もずくパンって……聞いたことないけどね」

 行き去った購買戦争の影。
 日常茶飯事なその影はある意味どうしようもないものでもある。
 ようやく起きあがったレオと眉間に深く皺を寄せている絹夜。
 一人、ジョーはうんうん、と頷いて納得していたがそこに見送り切ったと思った、ゴムまりがわーわーと騒ぎたてて戻ってきた。

『逃げなきゃ! 逃げなきゃ!』

『空腹キター!』

『こわい空腹キター!』

『キター!』

『もずくパンキター!』

 どさどさ逆流してくる購買戦争、それをやり過ごすと、今度は暗闇の中から銃声が聞こえる。
 チカチカと暗い廊下の奥が何度か光った。

「…………?」

 その光はだんだんと大きく、近づいてくる。
 影だけのこの世界で、そんなものを使うやつがどこにいるだろう。
 再び力を灯らせた絹夜とレオ。
 迫ってくる銃声の中、獣のような唸り声が響いた。

『グウウゥフああぁぁぁぁぁぁああッ!』

 連続する銃声。
 ちらり、その光の中に絹夜は見た。
 金色の長い髪。

「――!?」

 廊下の奥からぬっと巨大な影が顔を出す。
 それはもはや人の形をしていない。
 巨大なコブラの異形だ。

「ッくぅ!」

 巨大な蛇に体当たりを食らい、人影は小さな悲鳴を上げ体をすっとばされた。
 金色の長い髪、黒い喪服。
 ネガティヴ・グロリアス。

「――」

 風見!
 反射的に駆けだし、小さな影を受け止めた絹夜。
 そのまま廊下の脇にたたきつけられるが、その反動さえ利用して立ち上がり走り出す。

「絹夜ッ!」

「理科室に逃げろ!」

 瞬時、ジョーは理科室の扉を開き転がり込んだが、レオは絹夜と足並みをそろえる。

「逃げろって言っただろ!」

「何で命令されないといけないのよ!」

「…………ッ!」

 いらっとしたまま二の句が出なかった。
 十年前の自分なら言っただろう。

「ん……っ」

 絹夜の腕の中で金色の髪の少女が目を覚ました。
 ぱちっと開いた目のその色はぎらつくような青だ。
 彼女は状況を判断するよりも先に、抱えられた絹夜の腕から上半身だけを起こし、彼の首に抱きついて後方追いかけてくるコブラの影を狙う。
 持ち上げたスカラベの装飾が光る銀色の銃が二度吠えた。

『あががががああぁぁぁぁぁぁあッ!』

 ノイズ混じりの絶叫を上げ、コブラはどす黒いものを吐き出しながら足を止める。
 隙を見て理科室に入り、内側から鍵をかけるとその部屋の奥にかたまっていた。
 絹夜は金髪の少女を降ろし、その姿をまじまじ確かめる。
 金色の長い髪を黒い着物に垂らしている。
 髪の長さと、服の形式以外、風見チロルと瓜二つだ。
 胸を熱くさせる夜明けのような目の色、朝鳥に替わった太陽の運び手の象徴――スカラベの装飾。
 模倣としか思えなかった。

「びっくりした……! 俺たち以外にも人がいるんだもん!」

「あ……ああ」

 違う。彼女じゃない。
 絹夜は漠然とそう感じた。

「ご迷惑をおかけしました。まさか、人間がここにいるとは」

 無機質な口調だった。
 感情がこもらない、何とも思っていないような言葉づかい、そして視線の動き。

「…………人間、じゃない?」

 勘鋭くレオが気がつき彼女と距離を取る。
 すると、少女は簡単にこくりと頷く。

「私はこの裏界の調停者。バランスを保つために埋め込まれた存在です。
 イノリ、とお呼びください。それが私の名前でした」

「でした……って、お嬢チャンは、心の残像――影なの?」

「はい。そのようにお考えになって下さると良いかと

「…………」

 レオとはまた別の意味でのとっつきにくさにジョーは絹夜に助けを求めた。
 今度は絹夜が問う。

「…………風見チロルについて、知っているのか?」

「存じません」

 風見チロル。
 その単語を口にしたのは何年振りだろう、鳥肌すら立った。
 気がつけば落胆のため息が出る。
 誰かが悪趣味に作った賜物か。
 その姿、彼女とは無関係と言えなかった。
 しかし、彼女とはまるで別物だった。
 答をつきつけてやりたい人間とは良く似た別人だ。

「…………そうか」

 その言葉が終わるか終らないかのうちに廊下の外から雄たけびが響いた。

『ガギャアアアァァアァァァッァッ!』

 理科室のドアがドンドンと押されている。
 すぐ外にいる。
 それが分かったとたんに金髪の少女――イノリの顔つきが変わった。

「戦闘態勢に再移行します」

 彼女が下げた銃に光が灯る。
 ドン、ドン、とコブラがドアに体当たりをしているようだった。
 何秒も持つはずがない、絹夜、レオ、ジョーもその腕に影を灯した。
 準備が整うと同時に、まるでクッキーのように理科室のドアがはじけ、奥からぬっと赤黒いコブラが顔を出す。
 すぐさま、イノリが銃撃を開始するのだが、コブラの影は唸りを上げてこちらを見定めた。

「くるぞ――よけろ!」

 絹夜の合図と共に拡散していく4人。
 そこにコブラが尻を向けて尾を叩きつけた。
 かろうじて逃げ切ったものの、今度は部屋の真ん中で大きな胴体をうねらせ、机をばりばり壊しながら暴れていた。

「ちょ! 近づけないよ!」

 机の礫をよけながらのジョー。
 イノリは銃撃を続けたが、さしてダメージがあったように見えない。
 今度はイノリめがけてコブラが突っ込んできた。
 その横っ面にレオの強烈な拳が入り、今度は教室の後ろにコブラの巨体が吹っ飛ぶ。
 ラッシュ、ラッシュでそのままパンチの雨嵐、だが、分厚い装甲の為かやはり決定打にはなっていないようだった。
 だが、それもうざったくなったのだろう、コブラの尻尾部分がレオを薙ぎ払った。

「くぅわッ!」 

 瓦礫の山に顔面から突っ込んでいったレオ。
 そしてそのまま暴れるコブラの影。

「ッチッ!」

 少し不安があった。
 オクルスムンディの発動は避けたかった。
 しかし今はそれしかコブラの影を止める手立てがない。
 丁寧に目に魔力を集中させる。
 やはりぐろぐろと不必要な力の流れが不必要にあばれていた。

「きゃあッ!」

「ちょ! き・ぬ・や・ん、はやくーッ!」

 コブラの口に片足と両手を突っ込んでその顎を止めているジョー。
 目の前では長い舌がカラカラと音を立てる度に鳴っていた。
 その後ろでイノリが銃を向けコブラの口に発砲すると、少々ダメージがあったのかさらにコブラはジョーを噛みつぶそうと暴れた。
 速攻性の高さがウリだというのに使い手がこんなでは宝の持ち腐れだ。
 絹夜は自分に叱咤しながらも冷静に魔力の流れを作る。

「もう少し時間がかかる」

「むちゃ……いうなってーッ!!」

 ぐぐぐ、とジョーの姿が縮む。
 木刀を口の中に支えに突っ込んで耐えているようだが、それも軋み始めた。
 血の中に流れているエネルギーの粒を拾い上げる。
 大きなものはだめだ。
 小さく純粋で素直なものだけを目に集中する。
 がばっと瓦礫の中からレオが顔を出した。
 後ろにいた絹夜からはコブラの目が見えない。
 丁度いい!

「レオ、経由しろ!」

 何のことか彼女はすぐに理解して自分の位置を絹夜とコブラの目が届くところに修正する。
 オクルスムンディ、発動。
 まるで鏡のようにオクルスムンディを反射したレオがコブラを捕える。
 ジョーが奇声を上げて抜け出すと、そこに絹夜の一閃が落ちた。
 
『ガギャアアアァァアァァァッァッ!』

 一刀両断されたコブラはその場でのたうちまわり、そして轟音を上げて爆発した。
 べたべたとした赤黒い破片がふりかかり、消えていく。
 すると、その下から静かに魔法陣が浮かび上がった。

「……これ、屋上のと同じ」

「…………」

 絹夜が手をかざすと確かにそれは屋上と同じ転移の魔法陣だ。

「あなた方はゲートを探しているのですか?」

「ゲート?」

「はい。この裏界には9つのゲートが存在します。
 その全てのゲートを解放すれば更なる下層のゲートが開きます」

「その、さらに下層には何があんのかな?」

「申し訳ありません。私が記憶しているのはそこまでです。
 なんせ、影ですから」

 影に影ですといわれるのはおかしな状態だった。
 余程膨大な想いを詰め込んだ影なのか、それともまた別の何かなのかはわからない。

「あの赤黒い、微妙に色の違う影は何だ?
 サソリにコブラ、あと他に何がいるんだ」

 少々責めるような口調になった絹夜だが、イノリは機械的に答える。

「ゲートの守人です」

「つまり、あれを倒せばゲートが開く。9匹全部倒せばさらなる道が開く。
 そういうことか」

「私も同じように推測します」

 機械的で無機質なのだが、微妙に風見チロルとは違っていた。
 おかしな感覚だ。
 まるで記憶喪失な彼女と対面しているような心地だ。
 十分な収穫もあって表界に戻ったが、それ以降絹夜の口数はいつにも増して少なくなっていた。


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