NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
5 *病/Sick*3
今までの苦労をねぎらう様な下り坂の先に高層マンションがそびえたっていた。
絹夜に肩を貸してエレベータホールまで担ぐ。
絹夜が部屋番号を入れ、指紋認証をした後、ガラス戸は言う事をきいて口を開いた。
幸い、一階についたエレベータは誰も乗っていない。
こんな状態の人間が担ぎこまれただ誰だってぎょっとするだろう。
エレベータに乗り込み、13の文字を押すと、ようやくレオは絹夜に肩を貸しながら安堵のため息をついた。
「さすがに家の鍵は持ってんだろうね」
黙って財布を出すとレオはそこからチェーンにつながった鍵を見て、うむ、としっかり頷いた。
エレベータの微妙な重力抵抗、オイルの匂い。
ぐるぐるしてきた。
「気持悪い」
「は?」
「吐く」
「もうちょっと。がんばんな」
腰に巻いていたセーターを取って絹夜の顔面に押し付けるレオ。
ほぼおんぶの状態で絹夜を背負うと、13階に到着と同時にスタートダッシュ、13階、端の部屋を開いた途端、
絹夜はレオそっちのけで土足で部屋の中まで入った。
トイレのドアを開いて便器に全部吐き出す。
吐しゃ物を見て愕然とした。
ほぼ青白い魔力結晶だ。
だらりと目からもそれがこぼれおちるのがわかった。
自分の体は本当に魔力に耐えきれなくなっておかしくなっているのだ。
胃液と魔力結晶が混ざったものを流してもつきつけられた現実は脳裏から消えなかった。
聖魔混在、そんな都合のいいものでい続けることなんて出来ない。
”腐敗の魔女”の本能を理性で抑えつけながら、誤魔化しながら生きていくことなんて出来ない。
捨てなければいけない。
選ばなければならない。
孤独で自由な魔女となるか、法に縛られながら仲間と生きる聖者か。
「大丈夫……?」
締め切った扉の先から声が聞こえた。
大丈夫なわけがあるか。
こんなの、こんな事、存在否定だ。
自分の体が自分の事を否定したんだ。
悲しくて悔しくて泣いたのに、頬に伝わっていたのはやはり青白い結晶だった。
「畜生……!」
体の芯が震えているのか怒りに腸煮えくりかえっているのかもわからない。
何もかもがめちゃくちゃだ。
ただ楽になりたかった。
リビングには勝手にエアコンをつけたりしていたレオがそのリモコンを片手に突っ立っていた。
振り返ると彼女はやはり目から流れ落ちている青い結晶に驚いていた。
「黒金、目が――」
「…………今は、ほっといてくれ」
「それ、変な病気なんじゃないの!?」
「…………」
「魔法、全然使ってないじゃん! なんでそんな色になってんだよ!」
「そうだよ。ほっといてくれ」
一歩踏み出そうとしたがそれも出来なくなって泣けてきた。
するとレオが背中をさしだしてくる。
「ん」
優しくすんな。
理性が悲鳴を上げる。
だが、震えてどうしようもない状態でもう怯えさえもわからなかった。
彼女の濡れた髪の匂い。
濡れたシャツとその奥にある温度。
昔も、本当に何十年も前、こうしてもらった記憶がある。
夕刻のイタリアの街で。
* * *
光と影が連続した。
いいや、青白い影の方が圧倒的に多い。
むき出しの鉄骨の中、檻が持ち上がっていた。
いいや、エレベータだ。
出口のないエレベータがひたすら上がっていく。
時折、光の通路が上から下に流れていくがエレベータは止まらず同じ速度で登り続けた。
「蝕まれている」
エレベータの箱の隅から声が聞こえてきた。
よく知っている声だ。
「聖魔混在、よく言うぜ。お前の”魔”は他のものと併用できるほど生温いもんじゃない」
よく知っている自分の声だ。
影の中から絹夜は光を見つめる絹夜の背中に呼びかける。
影の声はぼやけていて、だからこそよく耳に入った。
「どちらかを捨てなければお前は魔力の坩堝になって、別の何者かに卵を植え付けられる肥えた力になり下がる。
”腐敗”を受け入れろ。でなければ捨ててしまえ。聖剣を手放して法王庁を完全に裏切るもよし。
両方だなんて都合のいいことが出来ない事は分かっているだろう」
「…………わかってる」
「人は光と闇に分断される。今のお前は両方にまたがってしまっているじゃないか。
光と闇が混ざり合う存在なんて誰も受け入れてはくれないじゃないか」
「わかってんだよ、そんなこと」
「分断されるべきなんだよ、”俺”と、”お前”も。
今はこうやって同じ檻の中で同じように立っていられるが、いつかこんなバランスは保たれなくなる。
その時お前は選ぶはずだ。俺という”理性”か、お前という”本能”か。
でなけりゃ、お前の自我なんてのは未完成のままだ。
選ばなければならない。その体、力、運命をいったいどの自我が支配するのか」
「…………」
光の中をぼんやりと見つめてしまう。
どんどんと、自分は時間を重ねて駆け上がってしまう。
エレベータの唸り、光と影の繰り返し。
光の中、逆光のはずなのに鮮明に何かを捕えた。
「…………ッ!」
光の通路の向こう、ただただ立っていたのは金色の髪の少女だ。
黒い着物、喪服に長いストレートゴールドを滴らせる美しい少女だ。
「風見ッ!!」
ガシャン、と派手な音を立てて飛び立つ鶴を描いた檻に手をかける。
無常、檻はするりと上がって檻の向こうの少女の姿も先送り。
「風見! 俺だ! 風見!!」
下方に呼びかけても返事はない。
通り過ぎてしまったのだ。
「…………ああ、何度でも夜は明ける。
そして何度でも日は沈むのさ」
背中から嘲笑が聞こえる。
たまらなく悔しくなって膝をつく。
鉄の格子にからめた指もほどけ、自分の目からは青い光が滴った。
「ダセェ……女の記憶に膝着くほど、お前の覚悟は軟弱だったのか?」
「……そうじゃ、ない! あいつに、今なら――!」
「――お前の答えなんざで、閃く風見鶏でなかったさ。
錆びついて真っ黒だったじゃねぇか。あいつは”破滅”に喜び勇んで向かっていった。
あいつらは喜び勇んで死んでいったんだよ、お前にゃ出来ねぇ! あいつの覚悟を超える事なんざ出来ねぇんだよ!」
「――超えられるッ! 俺は、俺は! 死んだって構わない、俺も心臓を差し出せる!
だから、愛されてもいいじゃないか! その為なら、”破滅”これしき、そんなもん――」
「やめろ、考えるな――!」
轟々とエレベータが軋み始めた。
何秒かに一度見えていた光の通路もなくなり、暗闇だけが続く。
「……っはぁ、はぁッ!」
パニックだ。
遠く和太鼓をたたくような音が響いている。
同じリズムで心臓がむせっている。
ぐるぐると目が回り、吐き気が蘇る。
「あ――ぐおぉッ!」
じゅ、と焼け石に水をかけるようなはかない音を最後に絹夜は気がついた。
――体がとられた。
”破滅”、”諦め”だ。
絶叫する。
声が出ないまま絶叫する。
* * *
「――大丈夫」
ビデオデッキが深夜をさしている。
まだ雨音の止まない中、かすれた声が耳元を掠める。
荒い吐息、じっとりとした汗、目の前はぐるぐるし続けている。
体中に熱がこもらず、冷え切って無機物みたいだった。
「太陽を呼ぶことも、夜明けを導く事も出来ないけど、
暗くて怖い夜からも、悪夢からも、ちゃんと守ってあげるから。
そばにいてあげるから」
薄ぼんやりと見える黄緑の瞳。
夜明けの番人じゃない。
「”死”なんて――恐れて、いない」
自分の底から声が出た。
痺れる手がようやく言う事を聞いて、その緑の瞳に手を伸ばす。
「俺は……”孤独”も恐れていない、与える覚悟がある。それなのに――」
どうして”絶望”しているんだ。
そうして”諦め”ているんだ。
この恐れの正体は何だ。
「眠って……”絹夜”」
眠りたくない。
眠ったら、きっとまたあの恐ろしい思いをするに違いない。
「――」
いやだ。
言葉は出なかった。
「楽しい夢だといいね」
伸ばした手を握って両手で包んでくれた。
意識が遠のく。
命じられてすんなり従ってしまったのだ。
屈服と敗北、彼女はそれすらも心地よい相手だった。
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