NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
17 *福音/Evangel*2
「滅べ、レガシィ! 死者までもがお前の終わりを望んでいる!
あっはっはっはっは! 滑稽だな、お前が喰った魂に裏切られるとは!」
アサドアスルが笑う。
続いて魂たちも一気にわめきたてた。
「皮肉だな……貴様の中ではお得意の邪眼でもう同化することはできない」
「エリオス様をたぶらかし、私に主君を狙わせた罰。
償ってもらいますぞ」
「姉さん! 姉さん! 絶望してよ! 今度は僕が気持よくしてあげるよ!」
「救世を!」
「邪悪なる魂に無慈悲な鉄槌を!」
「神よ、神よ! 聖なるかなグロリアス!」
わめきたてる声は波のように溢れ返り――レガシィは右腕を持ち上げすぐに振り下ろした。
特大の鞭が皮膚を裂いたような音、舞いあがる砂に罵倒が止む。
「裏切り? 絶望? 馬鹿言うな。
一度殺したニンゲンをもう一度殺すことくらいわけはない」
獣の咆哮、ノイズ、絶叫が一度に響き渡りレガシィの腕に黒い槍が再び納まった途端、
容赦のない一閃が放たれ聖者や傭兵達を串刺しにする。
だが彼らはにやりと邪悪に笑って砂となってはじけ、その周囲は歓声があがる。
さらにその奥、アサドアスルが振り上げた左腕が見えてレガシィは咄嗟にその場を回避した。
だがそこには見慣れたアポフィスの口があり、虎バサミの要領でレガシィの足に喰いつく。
閃光こそ吐かなかったものの、顔を上げると既にミノタウロスが拳を振り上げていた。
すかさずニャルラトホテプを元の形に戻してセクメトを鎧い、ミノタウロスを食い止める。
「我らに死を、邪神に永劫の苦痛を! 私に続け! こいつに償わせろ!」
トマスが聖者も傭兵もごった返しにして攻め立てる。
足を一本取られ身動きできない状態でレガシィは黒い槍で応戦した。
いち、に、さん!
次々に首は飛んで砂になり、彼らの歓声はさらに熱を帯びる。
いち、に、さん! いち、に、さん!
いちにさん!
いちにさんいちにさんいちにさんいちにさん!
斬首されるのを待っているような大群は何がおかしいか腹を抱えて笑いながら、窒息しそうになりながら聖歌を歌い始めた。
だらしのない歌声、狂ったような罵声、死して喜ぶ歓声。
「……っ殺してやる! 死にたいやつからっ……ま、前に出ろおぉ!」
砂にむせたレガシィの言葉にさらに華やかに笑い声が盛り上がった。
「やってみなさい、ええ?」
レガシィの前にしゃがみ、彼女の顔を覗き込んだトマスだが次の瞬間に脳天は弾け拍手さえ巻き起こる。
それも束の間、一方アサドアスルは死者たちをかき分けニャルラトホテプに攻撃を仕掛け始めていた。
ダウのミノタウロスを止められるオーバーダズはニャルラトホテプくらいで、しかも足を取られている状態では
他の機動性オーバーダズでどうにかなるものでもない。
「姉さん」
珍しくカイは憐れむような表情で呼んで、レガシィを見下した。
視線が合うと、カイは子供のころに見たか弱い弟の表情で上向きにした手のひらをぐっと握る。
「っああああああ!!」
レガシィの足は生気のある枝を無理やりへし折ったかのような鈍い音を立て、
アポフィスはそれを吐きだすと作業のように彼女のもう片方の足に喰いついた。
いっその事ねじりきってしまわれた方がまだマシだ。
ふくらはぎがぶよぶよよした肉の帯になったのを見てさらにレガシィは痛みに熱を上げる。
「あはっ……あはははははは!!
死者の僕たちにとって滅びは解放。だけど中途半端な姉さんにとっては苦痛でしかない。
はやくこっち側においで! 楽になろう、姉さんが教えてくれたように死は暖かくて優しいよ!」
膝と手足でようやく顔が地面についていないだけのレガシィの目の前に黒いドレスが広がった。
アサドアスル。
レガシィがそう認識すると同時にアサドアスルは左手を振り上げ下ろす。
じゅく、と身体の中から水音がしてレガシィは自分の腹から突き出して砂にめり込む稲妻のような矛先を見た。
「ぐ……っ」
どうにかニャルラトホテプを戻して傷を塞ごうとするレガシィの思考を探ってか
アサドアスルは不敵な笑みを一つ落とすをぐるりと振り返りミノタウロスと揉み合うニャルラトホテプに左手を向ける。
するとダウ、そしてミノタウロスは目を爛々とさせて黒いドレスの貴婦人を前後で羽交い絞めにした。
「そうだ、今だ! 殺してくれ!」
次の瞬間には焼けつくような光と轟音がそれを襲い、砂煙が上がったそこには黒ずんだものが落ちて
また開いた足元の穴へとさらさら流れていく。
「ルーヴェスーッ!!」
彼が大事にしていた”腐敗の魔女”の思い出ごと、だった。
私の”生”を、君と言う濁流に加えてほしい。
私はルーヴェスとの約束が守れな――何を言うんだね、君は。
「……?」
レガシィの頭の中にするりと耳に懐かしい男の声で情報がなだれ込んだ。
”生”とは”存在”ではない。
存在であるのなら、私を構成していた原子は質量保存の法則によってまだエーゲの海上を漂っているだろう。
私も、ニャルラトホテプも、君が今手にかけている死者も――アサドアスルも、全てが同じ。
”影”だ。
分かりやすく言うと”影響”だ。
姿かたちは失われても、彼らの影は君の中で確かに響いている。
「ようするに……」
ぶつぶつ唱え始めたレガシィ。
両手で身体を支えるのが精いっぱい、その上無様な四つん這いで張り付けにされている彼女の顎を
アサドアスルはつま先に乗せて顔を上げさせる。
レガシィの視線に生気が戻りアサドアスルに刺さると、アサドアスルのつま先がレガシィの顔面を横殴りにした。
「……異常だ。頭がおかしくなったとしか思えない」
そよ風のような優しい口調でアサドアスルは言って、彼女の背後でカイは吐き捨てた。
「”なった”んじゃなくて、元からおかしいんだよ。
己の欲望を抑制できない、愚かで間違っていて、最ッ低な人間。
諦めも敗北も理解できないし、認識もできない」
「な……」
アサドアスルから動揺したような声が漏れた。
にやりと邪悪に笑ってカイがレガシィの横につき、彼女の胴に刺さった黒い槍の柄を掴んでぐるぐると手慰みに回す。
「あ、ああ! カイいぃいッ!!」
「あーっはっはっはっは!! 姉さん、ぐちゃぐちゃのドロドロじゃないかぁ〜! はっはははは!」
「く、そ……ガキぃ……! ぶッ殺すぞ!」
「もーぶっ殺されてるよ」
手を止めたカイはちらりと視線をアサドアスルにやる。
次の瞬間、黒い槍はレガシィの身体から引き抜かれ振り返りざまにアサドアスルの左胸に突きたてられた。
「ぬぐっ……ご、ほ……」
吐血するアサドアスルはカイの前に膝をつく。
皮肉にも左右対称で黒い獅子を従えカイは槍を軽々背負いながらアサドアスルの肩にもう一度振り下ろす。
骨ごと粉砕して地面についていた左腕を取ったカイに、まばら残っていた聖者と傭兵たちの視線が刺さった。
「ニャルラトホテプ……ルーヴェス、最後にいい仕事をしたね!
姉さん、ルーヴェスはアサドアスルにニャルラトホテプを狩らせて満足させる為に託したんだと思うよ。
だって、ほら、こんなに簡単に――!」
うつぶせたアサドアスルの顔面にカイは黒い槍を強引に突っ込む。
恐れ慄いた形相のままアサドアスルは矛先を咥え、さらにそのまま身体は仰向けになり、
後頭部から出た先端は地面に突き立てられた。
喉から赤い泡を吐きだすアサドアスルは妙なブリッジの姿勢のままびくびくと痙攣する。
「……っふ……はははははは!! お前のような使命活動家には邪神の冠は似合わないんだよ!
それから、恋する乙女にも、ね……」
カイが言い終わらないうちに歓声が上がった。
残った聖者達をアポフィスが噛み砕いていく。
「姉さん……やっぱり僕は……姉さんの事が大好きだよ。
だから、今度は僕が飲んであげる」
正面にはアサドアスルから引き抜いた槍、背後には口を開いたアポフィス。
深紅に染まった砂漠の砂も、もう底が尽きそうだった。
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