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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
17 *福音/Evangel*1
「なるほどねぇ」

 軽い口調に拘わらずレガシィの表情は冷たく冴えていた。
 舞台は月夜の輝く砂漠。
 砂は銀色、空は濃紺、月は本能を煽るような黄金色。
 そして目の前には黒い細身のドレスを纏ったアサドアスルが吹かれるまま髪をなびかせていた。

「要するに……身体が1つ、力の根源も一つ、そんでもって乗っかってる魂があんたと私の二つ」

 最早どうすればよいか明確だった。

「誤算だったな、レガシィ」

「全くその通り」

 ふんぞり返ったがアサドアスルの沈黙に堪えられなくなりレガシィはぽりぽりと頭をかいた。
 レガシィとアサドアスルの戦いはレガシィの勝利だった。
 その差は『時代の獅子』。
 レガシィの右手にはエリオス・シャンポリオンという現代の魔術師の加護があった。
 手当たり次第ながら構成されたプログラムは確かに役割を果たし、『時代の獅子』封じを切り抜けアサドアスルの命を丸ごと喰らった。
 それで終わりという予想までは出来ていたレガシィだが、アサドアスルが言った通り、誤算が生じていた。
 もちろん簡単にアサドアスルをねじ伏せて己の糧にする算段だったレガシィ。
 しかし自分の中に入った途端、『時代の獅子』封じは――当然のことながら――レガシィの中にいるアサドアスルにも見事適応されており
 彼女の肉体の中で二つの魂が睨みあっているという状態に至ってしまったのだ。

「あのキモオタ……ちょっとは考えろよ……!!」

 華麗な程の責任転嫁。
 だが物理的に制裁を加える相手はおらず、つまりは目の前の古代巫女に八つ当たりするしかない。
 アサドアスルとしても思ってもみなかった逆転勝利のチャンスに嘲り笑いが止まらず
 今度は彼女が反り返ってバカ笑いを見せつけた。

「くそ……なるほどねぇ」

 苦境を認めて腕を組み他の情報に意識を傾ける。
 どうもエヴァンジェルレオンと絹夜のやりとりは頭の中にしっかり情報として流れ込んでおり、
 10年前に何が起きたのかレガシィもそれとなく理解した。
 最早推測するにも足らないが、10年前までエヴァンジェルレオンの意志は残っていたのだろう。
 それが絹夜に倒されエヴァンジェルレオンの導きが失われて大いに困った人間がいる。
 吾妻クレア。
 10年前に一連の事件と共に、彼女の邪神飼育の夢も木端微塵に打ち砕かれたのだ。
 慌ててエリオス・シャンポリオンに首輪の作成を持ちかけたが
 その前に彼女は兄ヘイルの私利私欲によって殺害され、結果、彼女はレガシィに首輪をつけられず、
 今やそのレガシィはアサドアスル共々こうしてエヴァンジェルレオンの力を巡っての抗争を始めようとしている。
 皮肉と言うか、棚から牡丹餅というか、荒唐無稽というか。ローリングストーンが如くお宝があっちへこっちへ流れていく。
 一体それで誰が得をするのかというと、首をかしげてしまいそうだ。
 アサドアスルはそれを知っていた?
 エヴァンジェルレオンの消失を知っていたからこそ?
 いいや、もうどうでもいいだろう、そんな事。
 皆が皆、私利私欲の為に画策し、奪い合い、そこに愛なんて存在しなかった。

「悪党どもが夢の跡……ってね」

 自分の考えに口の中でぼそぼそとツッコミを入れてレガシィは卑屈に笑った。
 勢いよく両手を広げると左右の砂が起き、黒い腕がレガシィの身体に延びる。
 品の無い悲鳴や咀嚼音を上げながら影達が彼女をコーティングした。
 気だるそうに首を一つ回したレガシィの顔には仮面、身体はスリットの入ったドレスで
 さながらアサドアスルの模倣――否、彼女が纏っていたのはニャルラトホテプの頂上に座していた”腐敗の魔女”だ。
 彼女の姿を見た途端、アサドアスルは文字通り熱気を帯び、背景を揺らめかせる。

「こともあろうにその姿……アテムを愚弄するか」

 返事はなく、アサドアスルは左、レガシィは右腕を振り上げた。
 鏡合わせになる二人の間に血色の雷光が落ちる。
 砂が掃けたその場所は黒く焦げ付き――まるで地面そのものに穴が開いたように砂は吸い込まれていく。
 砂時計の上のガラスに入れられているというのか。
 頭をめぐらすうちに情報が流れ込んでくる。

「……時間が無い」

 アサドアスルとレガシィは同じ言葉を吐き出した。
 エヴァンジェルレオンがこの身体を操作する為のプログラムを自動構築し始めた。
 それまでに決着をつけねば、全て暴走プログラムに持っていかれる。
 今度は見開いた邪眼ゴールデンディザスターがぶつかり合ったがはじき返し魔力のせめぎ合いになる。
 同じ者同士が戦い合い、少なくとも同等に疲弊した後、
 たとえば自分が勝利したとしてもその次、エヴァンジェルレオンを止められるのだろうか。
 こうして頭が疑問形の警報を叫んだ場合は常に”否”だった。
 かといって手を抜けば乗っ取られる事間違いなし。
 その時、自分の中のエネルギーが命じてもいないのに動き始めたのを覚えレガシィ。
 砂の中からもぞりと白い芋虫が顔を出す。
 すぐに人の指だと分かるが、指先は次から次へとはい出てとうとうむくりと岩男が起き上る。
 レガシィの胴程もあろうというふとい腕をもつ傭兵のダウだ。
 さらに彼の部下、トマス、神父やシスターが砂から這い出てきた。
 最後、機械的で平坦で感情が見えない声の主が体中の砂を落としながら姿を現した。

「へぇ、こいつがアサドアスル……楽園の支配人っていうわけだね」

 耳に小指を突っ込み、抜き出すとその先端をふっとやってカイは全く関心がなさそうだった。
 喰った魂たちの軍勢を従えた形となったレガシィが腕を下げ、
 同じくアサドアスルも苦々しい面持ちで左手を下げる。

「つまり、これはどういうこと」

 するとカイはレガシィとアサドアスルの間に入って、くるりと踵を返した。
 カイと向かい合う形になってレガシィの表情が初めて凍りつくと、
 彼らはくすくすと笑いながらカイと同じようにアサドアスルの前に立ちふさがる。
 最後に爆発したようにアサドアスルの高笑いが響いた。

「分かるでしょ、姉さん。僕たちは貴女を殺したくて仕方なくて、それでも無念にも敗れた。
 僕はどっちでもいいんだけどね、姉さんと永遠に一緒でもいいんだけど……この方が悪者っぽいでしょ」

 わずかにでも援軍を期待していた。
 わずかにでも勝利を喜ぼうとしていた。
 幸いにも簡単に、正面からそれは打ち崩された。


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