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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
16 *形象/GestaltPray*4
 耳が痛むような静寂。
 重油のような暗闇。
 ああ、同じだ。
 同じだとも。
 目の前に用意される選択肢はどれもこれも理不尽で納得いかない。
 だからといって選び取ることを放棄して、責任一つ担ぐ事を怖がっていた自分はいくつも取りこぼしてきた。
 あの時は、どうしても、どう足掻いてでも見たい夜明けがあった。
 たったの刹那を望んでいた。
 今は、心地よい敗北の方法だけを探している。
 ――理性は、きっとこうなることを知っていたんだと思う。
 度重なる警鐘は、この偽りの安穏を示していたんだと思う。
 きらきらと輝く思い出が、あまりに綺麗で優しすぎて、寂しがり屋の自分はあのころに帰りたくて泣いていたんだと思う。
 みんな、みんな、どこにいったの。そう怖がっていたんだと思う。
 今になってしまったが、今になってようやくわかった。
 したいから、する。
 彼女の”それ”は、ナイルの河が流れ続けるようにどうしようもない。
 それがどれだけ恐ろしい形に変容してしまったとしても、彼女の感情を捻じ曲げられる者など無い。
 ほっと一息つくと、覚えのある血の匂いが鼻についた。
 身を起こすと、まるでワイン風呂にでも突っ込まれたようにむわっと薫る。
 軸の定まらない意識を、目の前の光景がびしゃりと叩き起こした。

「なんて……」

 形容出来なかった。
 吹き出す赤い水は大理石に叩きつけられ羽虫の翼のように複雑な紋様を次々描いた。
 呻きや泡や魔呪詛を口から吐き出すアサドアスルは絶望とも恍惚ともつかない表情を浮かべていた。
 その喉元、容赦なく頸動脈に食らいついていたのは唇から太い牙を覗かせるレガシィ――二階堂レオだった。
 びしゃびしゃと血を浴びながらアサドアスルを睨んだレガシィ。
 まさしく獅子の闘争、その決着だった。
 やがて、く砕かれた首からすきま風が鳴り、アサドアスルの目からは意志が落ちる。
 ぴたぴた、と水滴が後ずさりして静寂が訪れた。

「お前……」

 絹夜が考えにようやく吐き出したのがそれだけだった。
 レガシィはアサドアスルから体を離し、最後に右手に鷲掴んでいたアサドアスルの頭を乱暴に突き放す。
 髪をかきあげながら振り返った彼女の顔半分は真っ赤な仮面を被ったようだった。
 ぴたぴたと、ペリドット色の涙を流した彼女に絹夜は震えあがると同時に胸がこそばゆく、暖かくなるのを感じた。

「なんてザマだ……レオ……」

 そしてもう一つ、溜息のように出た。

「……ブラボー……」

「嫌味?」

 冷たい視線と言葉に絹夜は少しだけ悲しくなって、子供がするようにぶんぶんと首を振った。
 するとレガシィは背中を向け、アサドアスルの亡骸に手のひらを向ける。
 鞭に似た乾いた音と共に雷光はほとばしり彼女の身体は一気に灰になって甘い花のような良い香りを残して崩れた。
 肩越しに絹夜に向いて、それでもレガシィの表情は髪で隠れて見えない。

「絹夜……私、頑張ったよね……」

「……あ……ああ」 

「ご褒美が欲しいの。聞いてくれる」

 彼女の言葉はやけにはっきりと聞き取りやすく、しかし全く感情が籠っておらず、絹夜はそれ以上返事はしなかった。
 レガシィは肩をすくめるようにして溜息をつき、振り返りざまに銃を構えた。
 銃口は天井へ延び、そして彼女は引き金を引き続けた。
 何発か銃声がして、ハンマーが空を打つ音に切り替わると、今まで共にしてきた銃を明後日の方向に放り投げる。

「……何のつもりだ」

「何もつもらない」

 おどけて肩をすくめたレガシィだったが、急に寒気でも覚えたように顔を青くしてぐっと我が身を抱いた。
 ぎちぎちと彼女の中で何かが動いている。
 遠目から見て分かるほど、レガシィは派手に震え、とうとうすとんとその場に腰をついた。
 ぜぇぜぇと息を荒げ、そして顔面の血と汗を拭う。

「世界が敵になって……貴方が敵になったとしても……私は”する”……。
 絹夜を、愛”したい”から愛”する”って……」

 彼女の混沌はあまりに純真で、だからこそ、何が何だかわからなかった。
 そして、彼女の少しはにかんだ、見た事も無い優しい笑顔がさらに絹夜を混乱させて、言葉がとどめを刺した。

「殺して。愛しい想いに蘇らないよう、貴方の手で」

 楽園の夢は終わった。
 目の前に横たわっているのは、悪夢のような現実だ。
 どうしてどうして、また大事な人を手にかけなければならないのか。
 かくん、と頭を垂れたレガシィだったが、やがてねじまき人形のように顔を上げた。
 寝起きの、少しぼんやりとした表情で彼女は満足そうに微笑む。

「レオ……」

 別のものだと、手遅れなのだと、わかってはいたが絹夜の唇から呼びなれた彼女の名が漏れ、
 しかしやはりというべきか彼女は優雅に首を振って否定した。


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