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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
15 *背信/Betrayer*3
「雛彦様!」

 突然、藤咲が絶叫した。
 一体何かと雛彦の脳が予測する前に彼の目の前で両手に光の蛇を絡ませ、淫乱に笑うレガシィが面白おかしく添えるように歌った。

「Come, Come, Ye Saints!」

 恐れず来たれ、聖者たち!
 皮肉をたっぷり含んだ歌、そしてそれを歌う恐れず進んで敗れた聖者たち。
 彼らを喰らい、下僕とした恐ろしい邪悪な少女。
 その上、彼女の声は澄んだ少女のそれで――だからこそ雛彦の神経を逆撫でした。

「であるからこそ! 我らは聖徒として、御使いとして、貴様を原初の彼方の彼方の彼方まで否定し尽くす!」

「そうだ! さっさとかかってこんかい! 聖なるの雄豚ぁ!」

 挑発する彼女の凶悪な歌声に雛彦は応えた。
 雷光のナックルが降り下ろされ、雛彦は双剣でかちあげる。
 さらに旋律返しでレオの体は軸を失いよろめく。
 アーマーがミノタウロスでなければ吹っ飛んでいたところだ!

「滅びろ、レガシィ!!」

 再び雛彦が振り上げる。
 三味線と聖歌の旋律が重なる。
 守護と不浄のハーモニーが響き、誰もが目眩を覚えて目を伏せる。

「まずい、魔法詠唱を逆手に取られた!」

 口の中で呟くなり藤咲は駆け出し雛彦を追う。
 突然隊列を崩した隊長の左右をぴたりと合わせたビリーとジェーンもようよう事の事態を察した。
 がしゃん、がしゃんと重たい音を連ねながら雛彦とレガシィはどちらの立ち位置も譲らず剣を、拳を叩きつけあい、その音さえも聖歌に溶けていく。

「雛彦様! そいつの狙いは、旋律ですわ! 戦慄ですわ!」

 かしゃん!
 雷光に光るレガシィの腕と黒い残像を引く雛彦の剣が噛みつきあうと同時にレガシィ、そして雛彦をふっ飛ばす。

「ぬぁ!」

「雛彦様」

 藤咲の足元に着地した雛彦はすぐさま立ち上がり足を地面に深くめり込ませながらもその場でとでまったレガシィに舌打ちした。

「旋律に旋律を同化させて……盗んだ!」

 レガシィはペリドット色の目で笑い、これからだと言わんばかりに構え直した。
 その身一つで、その意志一つで何故何故どうして立ち続けるのか。
 まるで彼女は――。

「犠牲をいとわぬ、破滅の意思……貴女は……貴女は、風見チロルにも似て……」

 藤咲の呟きが闇を帯びる。
 青く苦い思い出が旋律に滲んで彼女の奏でる曲調が変わった。

「でもレガシィ……貴女の愛は優しすぎる……」

 ガンっ。
 怒る三味線の音色に緊迫し、呆然としていた空気が我を取り戻す。
 最早模倣する旋律はないよ言うのに小馬鹿にするようにアポフィスの詠唱だけがぐるぐると続いていた。

「不愉快だ」

 改めて決別を示す雛彦も武器を構え直す。
 踏み込んだ足が砂をじっくり噛み締め、沈黙には背後に構える聖者の呼吸も束になる。
 卑怯な策も小賢しい手も通用しない。
 彼女には覚悟がある。どれだけの地獄を味わってでも、一人の裏切り者を守ろうと。
 不愉快だ。あの化け物の醜い姿こそがその証明。彼女を否定し蔑むほどそれは色濃くなり強くなる。
 荒唐無稽で一途な愛にとどめを刺さなくてはならない。

「不愉快だ! こんな戦い!!」

 先手をとった雛彦に応えてレガシィは右手を空に向けて太陽を掴む。
 降り下ろした右腕の中には歪な長槍が収まっていた。
 ずん、という巨人の足音のような地響きを立て突き刺さる槍を最小限の動きでかわした雛彦。
 さらにそこから大ぶりになった彼女の懐に入って左右に斬りつける。
 血のラインが十字に引かれ、ふわりと”魂”の甘い匂いが薫った。
 一歩踏み込み後ろざかるレガシィとの距離をさらに縮める。

「速いな」

 藤咲が雛彦の守護を切り替え速さへの支援を行っているからである。
 しかしレガシィの眼球は確かに雛彦の双眼を射抜いていた。
 ぐっとにぎった拳が雛彦の端正な顔に叩きつけられ、恐らくは反射される何倍もの威力で跳ね返される。
 砂の上に叩きつけられた雛彦に追撃はないがレガシィは余裕綽々で笑っていた。

「まだ一発目だ。立て」

「ぐ……」

 言われるがまま立つ屈辱。
 身体の痛みより精神的な痛みの方が響くのが黒金の特徴なのか怒気に歪んだ雛彦の顔は見ものだった。

「雛彦様」

「何だ、ビリー」

 明らかに冷静に話を聞けそうもない雛彦に、ビリーは臆したがジェーン、そして他の聖者達の気持ちを口にした。

「やめましょう。貴方を失ってしまっては我々浄化班はどうしたらよいのです」

「そんなモン、勝手にすればいいだろう」

 怪我のせいで言葉はどこか拙かったが、あまりに無責任でつっけんどんな態度。
 ぺっと血の混じった唾を吐きだす雛彦の態度はさすがは兄弟といったところなのか黒金絹夜に良く似ていた。
 顔面の左半分が赤く、そしてやや歪んでいるようでもある。
 奥歯だか頬骨だか、はたまた両方が折れているのかもしれない。

「雛彦様、貴方がここで邪神に折れてしまったら、我々は一体……どういう死に方をすれば良いのですか」

「…………」

 本来であればそれでも邪神に立ち向かえと、立ち向かって死ねと命じた雛彦だが
 アポフィスの口の中で彼女の言いなりになって喜んでいる部下の様を見て雛彦はためらった。
 あのセンスのない、下劣な快楽。
 優しい優しい母性、淫らな淫らな情愛、無垢で無意味で無頓着な――混沌。

「……そうだな」

 そう言いながら雛彦はおぼつかない足取りで再びレガシィの前に立つ。

「法王庁浄化班責任者としてこれ以上部下を巻き込みたくはない。
 だが貴様に虫唾が走るのは確かだ」

「おおっと、おっと……私怨? そういうこと」

 大げさに眉をねじってレガシィは雛彦を見下すも、ミノタウロスのアーマーを解除しビキニにホットパンツという無装備に変化した。
 そしてかたをぐりぐりまわしてようやく雛彦との歩を詰める。
 向かい合う雛彦も武器を左右に放りだした。
 何が始まるのか、傍観を決め込んでいたジョー達の目は期待にきらりと輝いて、そして聖者達は唖然としていた。

「おおおおおおおおお!」

 雄たけびと共に互いの顔面に拳を叩きつけ、両者は同じように左足で踏ん張る。
 相手が倒れなかった事を知ると今度は左手で胴をえぐった。



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