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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
13 *崩落/Destroy*3
 ゆっくりと息を吐く彼女の背後には血だまりと武器と死体が並んでいる。
 腹に黒いぬるぬるとした手が滑り、すぐに傷がふさがった。
 化け物だとダウは罵っていた。
 そうかもしれない、彼女は化け物なのかもしれない。
 しかしその化け物が、これほどまでの怪物が、どんな理由で『時代の獅子』を求めて世界中を彷徨い歩いているのか。

「一体……何の、為なんだ……」

 足元に落ちた『時代の獅子』を拾い上げエリオスはそれにデリンジャーを突きつけた。
 眉をしかめてレガシィは足を止める。

「あんたの指が引き金を引いた途端、あんたは壊れる。あと、ついでに世界も壊れるわ」

「……すまない、レガシィ。俺は今、お前の言葉が理解できるほど冷静じゃない……!」

「…………」

 歯を食いしばり、震えを抑え込み、エリオスはようやく正面から彼女を見やる事が出来た。
 ほんの数カ月前に出会ったおどけた少女ではなかった。
 異形の神々を従えた、人の形をした化け物だった。
 彼女の様が醜悪で恐ろしい程、彼女の想いは強く強く燃えたぎっていると証明されているようだった。

「嫉妬……?」

 彼女の言葉を聞いてエリオスの心はまたぐらついた。

「言わないでくれ……! 分かってる!」

 あなたは優秀よ。
 母の声が脳裏で激しくリフレインしていた。
 思考を遮る暗示の中レガシィはエリオスのすぐ前まで近づき、今にも泣いてくずおれてしまいそうなエリオスの顔を覗き込む。

「懐かしい……気がする。前にも、こんな事が、あった」

「っ!」

 絞り出すようなレガシィの声にエリオスはぐっと心臓を掴まれたような痛みを覚え、
 飛びのいてさらに分かりやすく『時代の獅子』に銃を向けた。
 しかし血と硝煙の匂いのするレガシィの腕はエリオスの胴に巻きつくと拳銃ごと抱き寄せる。
 途端、レガシィは前のめるように身体をエリオスに預けてきた。

「ぐ……うぅ……何、これ……痺れ……」

 彼女の左手が抑えたのはダウに刺されたわき腹だ。
 毒が塗られていた事にここで感づいたレガシィ。だがもう傷はふさがっている。
 回復能力を逆手に取られたのだ。

「レガシィ……!? おい、どうした!」

 レガシィは答えず、エリオスの背に爪を立て、声にならない声でうまくとぐったりと力を抜く。

「レガシィ!」

 ちぃ!
 彼女のマフラーの中でコウモリが鳴く。
 するとレガシィはかすれた声で答えた。

「ダメ、飲んじゃ……! 毒が」

 ちぃちぃ!
 懇願するように彼女の頬をぺろぺろ舐めるコウモリ。
 どうもそれが冷たくなっていく母にすがる自分に重なった。
 エリオス。貴方は優秀よ。
 自分が優秀であるか否か、そんな事はどうでもいい。
 そう言ってくれる人を失いたくないだけだ。

「レガシィ、しっかりしろ!」

 例え女一人と言えど、エリオスに抱えて走るなんていう体力はなかった。
 肩に担ぎながらずるずると引き摺るように廊下の先のエレベータまで運ぶ。
 エレベータを待つ間に携帯電話をとる。

「トマス、ダウがやられた。地下の研究所だ」

『はい、存じております。只今そちらに向かいます』

「上出来だ、トマス」

 そこで、チン、と小気味いい音を立ててエレベータが到着する。
 無骨な音を立てて扉が開くと、そこにはいつもの穏やかな笑みを浮かべながら、
 傭兵を従え拳銃を構えたトマスの姿があった。

「お褒めにあずかり大変光栄です、社長」

「――トマス?」

 問答無用だった。
 バスン!
 重苦しい音と共に吐き出された銃弾はエリオスの心臓に走るが着弾したのは巨大な黒い暗幕だった。
 その瞬間、レガシィがぐっとエリオスの身体を締め付け、喉の奥からか細く叫ぶ。
 赤い双眼が輝いてカマソッソがトマスの前に立ちはだかり、突風に揺れるカーテンのように銃弾を浴びていた。

「この! なんだ、こいつ!」

 ちぃ!!
 レガシィのマフラーの中で口元を赤くしたブサが叱咤する。
 銃声が激しくなる中でエリオスは茫然としながらようやく踵を返し、彼女を引き摺りながら来た道を戻り研究所の方へと歩いていく。
 レガシィがどれだけ暴れていたのか、死体と武器と血だまりの道を抜け、研究員の避難したラボに到達する。
 誰もいない真っ白な廊下、エリオスは歯を食いしばりながらあふれ出す母の言葉を封じようとしたがうまくいかない。
 あなたは優秀よ。

「そうじゃない……!!」

 本当の自分はそうじゃない。
 どうしてわかってくれなかったんだ!
 死の間際まで!
 溢れ出そうになる怒りが力を与えてくれた。
 どうにかラボの休憩用ソファーにレガシィを横たえる。
 彼女のマフラーの中で、ブサが弱々しく鳴いていてレガシィに頬ずりしていた。

「お前……レガシィの血を飲んだのか!? だめだって言われただろう!」

 ちぃー。
 ブサは自慢げに鳴いて答えた。
 まるで生死をどうの叫んで、取り乱している自分を笑っているんだとエリオスは思った。
 そしてレガシィの頬に甘えるように寄り掛かり、見えない目を開けたまま動かなくなった。

「レガシィ……」

 こんな冷たく凍えるような世界で生きていくよりも、高慢に笑う灼熱の太陽の下で焦がれていたい。
 レガシィの唇に残る彼女の血を飲めば、自分も”向こう側”に加えてもらえるのではないか。
 漠然とする中、エリオスは彼女の枕元に座り、そっと顔を近づける。
 黒豹のようにしなやかな、鋭く美しい娘だった。
 箱から『時代の獅子』を取り出し見やる。
 彼女のオーバーダズが示すように、彼女も、この像もセクメト女神を関係している存在なのだろう。
 レガシィの涙腺にぎらついた黄緑色の水が溢れだしたと思うと、ぞろっと影が波打った。

「わっ!」

 飛びのいたエリオスをよそにレガシィは目を開き、まだ温かいブサと両手でそっと包み込む。

「ブサ……」

 聞いたことも無い情けない声で歯を食いしばったレガシィの様子を見て、
 ようやくエリオスはそのコウモリが彼女にとってどれだけの存在だったのかを察した。
 地獄のような日々の中を一緒に駆け抜けてきた戦友とも言える存在だったのだろう。
 あの自慢げな鳴き声を、彼女は聞いただろうか。
 何と言っていたか当然わからず、彼女に伝えようがなかった。
 レガシィが両手を被せ、また開くと、そこにブサの身体はなかった。
 あのコウモリも彼女の中、”向こう側”へ飛び越えてしまったのだ。
 ブサのぬくもりが残る手をぐっと握りしめ、レガシィはうつむいたまま深呼吸して冷たく光る双眼でエリオスを貫いた。
 押し殺した。
 彼女は自分の感情まで屈服させた。
 その瞬間はエリオスの目に焼きついた。

「あんた、何してるの」

 口調も酷く重く、以前の調子に乗った小娘の面影はなかった。

「……まだ、『プロジェクト・アテム』の夢を見ているの」

「当然だ、いくらかかったと思っているんだ! 私が――」

 エリオスは自分がそれまでの人間だと思い知った。
 彼女が『プロジェクト・アテム』について探りをいれてきたときと、同じ返事をしていたからだ。
 要するに数字。要するに金。
 目に見えないものを計れない人間だった。
 言葉を詰まらせ黙ったエリオスにレガシィは何も言わず、再び横になった。
 両手を頭の方に投げだす無防備な姿勢に驚きながらもエリオスは恐る恐る彼女の顔を覗き込む。

「トマスまで君を倒そうとしている」

「そう、正しい判断ね」

「君はダウを喰い、トマスまで喰うのか!? それとも滅ぼされるのか!?
 私はどちらも望まない! レガシィ、君も傷ついているじゃないか! もうやめにし――」

 レガシィが状態を持ち上げ、太い獅子の咆哮を上げた。
 次の瞬間には彼女の髪がふわりと目の前に広がり、首筋に牙が当たっていた。

「指図をするな。お前の命なんぞ腹の足しにもならない。
 ゴミ虫はゴミ虫らしく黙っていろ」

 威嚇するような吐息と共に身体を離したレガシィは再び横になって今度は背を向けた。
 ならば何故、そのうるさいゴミ虫をひとひねりしないんだ。

「う……あう……ぐっ」

 身悶える彼女の額に脂汗が浮き、だんだんとソファは赤く染まる。
 彼女が自分で腹を切り裂いて血を絞り出していた。
 ぬらぬらと光る血の中に妙なきらめきが浮いて出る。
 ペリドット色の、彼女の力だった。

「一体……一体君はどうして、そうまでして……」

 エリオスが考えていた以上に彼女の覚悟は重かった。
 何をしてでも、人を殺めても、どんなに苦しんでも、それでも彼女には『時代の獅子』を集めなければならない理由があった。
 その理由に嫉妬していた。
 少しだけ彼女の様子が落ち着き、ぬらぬら濡れた爪の長い手がレガシィの傷口を塞ぐ。

「理由はない」

「え……?」

「ちゃんと死にたい。ちゃんと、私を殺すべき男の手で滅ぼされないと死んでも死にきれない。
 その人じゃないといけない理由は、彼を愛しているから。
 彼を愛している理由は――特にない」

 がばっと上体を持ち上げたレガシィは右腕を高く持ち上げた。
 すると、部屋の壁に黒い片翼が広がる。
 その壁を見て、そこに光る赤い二つの目を見てレガシィは力強く頷いた。

「だから、理由はない。
 この世を滅ぼしてでも彼に滅ぼされたい程、私は世界を愛して滅ぼす」

 意味がわからず、しかし彼女の魂が奪えないものだと分かると、エリオスは全身が冷めるのを感じた。
 いや、それよりも彼女が滅びを望んでいた事に落胆した。
 その横顔に穏やかな絶望を湛えたレガシィに心ががたがたと派手に軋み、エリオスはぐっと胸に手を当てる。
 声が震えた。

「君が消えてしまう事を……悲しむ人間の事を……君は考えたりはしないのか」

「私はそんな事、考え――」

 また言い訳か。
 聞きたくない。
 聞きたいのはそんな答えじゃない。
 エリオスは血まみれで、硝煙と死の匂いがするレガシィの前に膝をつき、抱きしめて口づけていた。

「君が世界を滅ぼしても、何も変わりはしない。
 君が恐ろしい邪神になっても、君である事は絶対に覆らない。
 どんなに神が手心加えようと、例え世界が滅びようと、どんなに人の気持ちを食べて膨張しても」

 黄緑色の目を大きく見開いた彼女の頬に手を添えてエリオスは懇願するように額を合わせて丁寧に唱えた。

「君が消えてしまったら、いなくなってしまったら……誰がどんな顔をするか想像してみろ、レガシィ。
 君が何と言っても、彼らは悲しんで、引き摺って、毎日君がいない事に嘆くんじゃないのか!?
 毎日毎日、泣きながら……泣きながら君の事を思い出して、手に入らない君のせいで眠れなくて……!
 君を思って……泣きながら独りで死んでいくんじゃないのか……!?」

 エリオスの涙がレガシィの頬に落ちる。
 それでも彼女は邪悪に嘲笑し――。














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