NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
13 *崩落/Destroy*2
焔と血とちぎれた手足の中でそいつはうずくまっていた。
ケタケタと腹を抱えて笑っている。
ロケットランチャーを食らわせたというのに、死に絶えるどころかご満悦だ。
どんな銃弾も爆薬も、彼女の足元で這い回る影が大きな口をあけて飲んでしまう。
混沌を纏った、混沌を従えた混沌の女が、焔を振り払いながら立ち上がった。
鼻血をぬぐいながら彼女は拳を握りしめのしのしと歩いてくる。
その間に彼女の服は重油のような煙を纏い、ごつごつとしたアクセサリーと鎧の一部を纏ったボンテージになりかわっていた。
「ああああぁぁぁぁ!!」
質素な壁に囲まれた狭い廊下めいっぱいに雄たけびを上げ、目を光らせた黒い悪魔が駆け抜ける。
銃弾を吐き出しても、爆薬を投げつけても、血と笑い声をまきちらしながら彼女は正面から向かってきた。
レガシィ。
いつそんな化け物の、悪魔の、邪神の力に目覚めてしまったのか。
最早人間としての同情の余地もなく、ダウは一切合財の銃弾も爆薬も、兵も己も差し出したが彼女が以前のように可愛らしくおどけることはなかった。
レガシィが雷電を纏う拳を宙に突き付ける。
途端、重たい衝撃とフラッシュを放ち、見えない壁が廊下を駆け抜け、バリケードを立てていた兵士たちもろとも左右に吹っ飛んだ。
一瞬にしてバリケードは破られ、残りはダウと数人の傭兵だけになった。
足元では陸に打ち上げられた魚のようにびくびくと身体を痙攣させる屈強な男たち。
彼女がニューヨーク本社の地下の研究所に現れてからたった5分での出来事だった。
鉄壁王の鉄壁の城がたったの5分で陥落したのだ。
「手加減して殺さない程度にはしてあげたのよ。もう一回立ちなさい」
驚くべき事に、彼女がそう唱えると、ふらふらと何人かが立ち上がり再度、彼女に銃口を向ける。
レガシィは満足いったかのように反り返ってバカ笑いを見せつけた。
「アッハッハッハ! そう、そう! 私を倒すのは一体誰!
出てこい、救世主! 出てこい、神の子! 私にぶっとい鉄槌を落として! アーッハッハッハッハ!」
なんて事だ。
ダウは激しく後悔した。
そして危機感を覚えた。
彼女の存在が許されてしまうと、何か人類が大事に信じつづけてきたものがちっぽけで価値の無いものだと証明されてしまうような
そんな宗教的な危機感だった。
そう、例えば”正義”とか”美徳”とか、それらの綺麗な道徳が全てあのアバズレにひっくり返されてしまうような。
だが、確実に彼女と対峙することによって、闘争の愉悦がそこにあるのをダウは感じ、だからこそ恐れていた。
誰もが彼女の死を欲しがっている。
まるで神の愛にすがるように。
恐れ慄きつつも、促されるようにダウも再び銃口を上げた。
結果が違うだけで、行為はまるで同じなのではないだろうか。
白か、黒かの違いなのではないだろうか。
いかん、相手のペースに飲まれている。
「レガシィいいいい!!」
恐れを振り払うダウの咆哮に、彼女は愉悦して高慢に微笑んだ。
磔刑のように両手を広げ挑発する彼女にダウは銃弾を叩きつける。
それも利かぬと分かるとダウは武器を投げ出し、己のオーバーダズ、ミノタウロスで立ち向かった。
すると今度は細身の黒い貴婦人がミノタウロスの前に立ち塞がり、枯れ枝のような細腕一本突き出して突進を止める。
「ぬああ!?」
本来一人の人間が持てるオーバーダスは一体だ。
なぜなら、オーバーダズは魂”バァ”をエネルギー”カァ”に投影した姿だからである。
それが一つの器にいくつも入っているのは異例中の異例。
しかし考えられる手段はただ一つだった。
「魂魄喰らい……!!」
ダウの畏怖と同時にニャルラトホテプは彼の身体をふっ飛ばし、もう片方の手でミノタウロスの動きを止めた。
セクメトだったらまだ多少、勝機は残っていたかもしれない。
だが近接タイプのミノタウロスにとって、魔という不条理な力を操る事に長けたニャルラトホテプは最も苦手とする戦闘タイプだ。
当初から崩れることなく圧倒的有利のままレガシィはとうとうダウを壁際に追い込んだ。
やっとのことで背中を壁に預けながら立ち上がったダウに身体を添わせるようにレガシィは近づき彼の顔を覗き込む。
鼻先が触れ合い、ダウの目前に黄緑色の双眼が広がっていた。
「サキュバスめ……!」
「だったら何よ」
にやりと笑った彼女に甘い吐息を浴びせかけられダウは顔をしかめた。
死の直前にうっすら香る魂の匂いだ。
「――レガシィ!」
横から飛んできた聞き覚えのある声に、レガシィは我に気付くようにはっとした。
ダウの胸ぐらを締め上げながら視線だけをそちらに向ける。
「エリオス様! 来てはいけません! こいつは貴方が思っているような可愛らしい生き物ではない!」
白いキザなスーツ、エリオス・シャンポリオン。
脳内から情報が溢れてきて、さらに彼が掲げた木箱の中の黒い像を見て、レガシィの殺気はすっかり消えていた。
「『時代の獅子』……」
私を慰む唯一の。
視線と思惑が激しく交差し、ダウは帯刀を抜いた。
僅かにレガシィの力が緩んだその時、彼女の体から銀色の刃が突き上げられた。
「やめろ!」
エリオスの叫びが一体何を制そうとしていたのか。
ダウのサーベルが無防備なレガシィの腹に突き立てられ、切り裂き、ぐりぐりとねじられる。
「地獄に帰れ、イーヴィルゴッド! いいや、無に還れ!
秩序と言う秩序がお前の存在など許しはしない!」
ごふ、とレガシィの口から血がもれだす。
彼女は人形のような生気のない顔で視線をダウに戻し、かっと睨んだ。
「っ!」
彼女を捕らえた側だというのにダウはみるみるうちに蒼白になっていく。
レガシィの目はまさしく人間のそれではなく、明るみの猫や蛇のような長細い瞳をしていた。
その奥にダウは見た。
彼女が喰らった何人もの聖者が現世に手を伸ばし、無残に引きちぎられたパンツァーが顎を軋ませるようにキャタピラを鳴らす様を。
彼らは彼女の中に”いる”!
「やめろ、やめろ!! くるなぁあ!」
長い瞳は獣の口のように牙を立てる。
これが、邪眼。
これが、ゴールデン・ディザスター。
「よこせ」
赤く濡れた唇から低く唸りを上げたレガシィ。
彼女が腕を掲げると彼女の背後からアポフィスが現れ、ダウに見せつけるように大口を開く。
大口の中では沢山の聖者たちが虚ろに視線を投げだし、呆けながら聖歌を歌う。
だらしのない歌声、時折きらめく銀十字。
「神への冒涜だ、俺は嫌だ! 貴様のような悪魔に犯され続けるなんて!
どうして、どうして早く殺さなかったんだ! 誰も殺さなかったんだ! こんな女を生かしておいた!
怨むぞ、怨むぞ! その可能性の全てを!」
「クックック……わがまま言うんじゃありません。あんただって私を倒せなかったんだから。
怖がらないで。奈落から生まれて奈落に帰るだけじゃない。ほら、優しくしてあげるから大人しくなさいボウヤ」
「ううぅ、ああ!」
顔面から水を吹き出し、処女のように震えたダウの頭をそっと抱き抱え、あやすようにレガシィは汗ばんだ首筋を撫でていた。
彼女の後ろではアポフィスがミノタウロスを頭から飲み込み始めている。
「暗い、暗いぃ! いやだ、消えたくない!」
ダウはレガシィの胸の中でも叫んだ。
「可哀想に。オーバーダズが逆流してるのね。諦めなさい、甘えて堕ちなさい。
放棄という唯一の逃げ道に敗者らしく逃げ込めばいい。
正義や道徳を掲げる神の愛など、私の暴力の前には無力だと教えてあげたじゃないか」
絶叫は嗚咽になり、とうとうダウは無感情に一つ唱えた。
「イエス……マム」
ばぎゃり。
ミノタウロスが噛み砕かれた。
ほぼ同時に、カラン、と虚空に音お立てて『時代の獅子』がエリオスの足元に落ちた。
ずるり。
レガシィの腕の中から最早生気の無い顔色のままへらへらと、よだれを垂らしながら笑う人形のようなダウが落ちる。
アポフィスが巨大なものを嚥下しながら彼女の影に収まり、レガシィは大げさな程ゆっくりとエリオスに向き直った。
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