NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
13 *崩落/Destroy*1
チャールズのチャーター機で一気にニューヨークへと向かったレガシィだが、機内では相変わらず一人でぶつぶつ唱えていた。
「だから、悪かったって。そんなに怒らないでよ」
いつもの事と言えばいつもの事なのだが、レガシィはペットのコウモリに喋りかけている。
意志の疎通ができているのか、ちぃちぃ、と可愛らしい反論が聞こえる事もあった。
「まったくホントにお変わりないね、レガシィ様は」
「そのはずなんだけどね」
とはいいつつも、彼女に呼び出され空港にやってきた時、レガシィは珍しく武器の類は一切持っていなかった。
身一つになり、まさかまさか足を洗ったと言うのではないかと思ったチャールズだったがレガシィの態度はいつもの横暴そのものだった。
やれパシられろ、やれツケとけ、と女王様のような高慢な態度、そして時折見せるひどく思いつめたような表情。
客のプライベートには関わらない事をモットーとしているチャールズも、つい彼女に加担していた。
多くのわけありな旅人を見てきたが、彼女はトビキリのわけありのようだった。
ギリシャからロンドンを経由し、ニューヨークにたどり着くなり、レガシィは少し冴えない足取りで飛行機を降りた。
「チャールズ」
「ん? どうした」
「…………」
肩越しに見上げたレガシィは穏やかな頬笑みのような、底のない絶望のような表情をしていた。
今生の別れなのだな、とチャールズにも理解できた。
レガシィはため息交じりに笑って後ろ手をふる。
「ん、じゃあね」
「ボンボヤージュ」
いつものように別れを告げ、ドアを閉める。
名残惜しさにもう一度ドアを開くと、レガシィの姿はだだ広い滑走路からすっかり消えていた。
彼女は最初から存在しなかった。
そう念押しされるように。
* * *
「エリオス。貴方は優秀よ」
母はいつだってそう言っていた。
頭に手をあてて、そして微笑んだ。
楽しい勉強をして褒められる、本当に幸せな時代だった。
母は自分のやることなす事ほめていた。
自慢の息子だと笑っていた。
「本当に、優秀よ」
母はいつだってそう言っていた。
平穏だった。
家に強盗が入って母が殺されるまでは。
死の間際でも同じ呪文を唱えた。
優秀でない自分は存在してはならない。
自分は優秀な人間で、社会的上層部に属し、あらゆる人から敬われる存在でなくてはならない。
ただ、どれだけ考えても、自分が自分である事を否定するのは不可能だったし、
例え出来たとしてもそれを他者が納得させるなんて一体何回生まれ変われば完遂するのだろう。
ごめんなさい、母さん。
僕は僕以外の誰かになる事は出来ません。
優秀な僕になる事は出来ません。
許してください。
「…………」
重苦しい気持ちで夢から覚めると、エリオスは薄暗い周囲を見渡した。
他人とかかわり合いを持ちたくなくて引きこもり、アニメやフィギアにのめりこんでいた。
ただ、それとは違い何度も脳裏に呼びが得るハイパーレガシィ。
エーゲ海で極秘に行われた法王庁による彼女の抹殺作戦失敗はエリオスの耳にも届いていた。
大きな槍を降らす化け物になり変った、と。
「レガシィ……」
枕元に置いてある彼女のフィギアを手に取り、ぐっと胸に抱きながらベルベットの毛布をかぶった。
「レガシィ……! 僕の、レガシィ! 一体、何の為なんだ……!!」
愚かな変貌、堕落の理由。
それほどまでに彼女を突き動かす動機は何だ。
胸が痛み、そして嗚咽に変わっていく。
そんな夜を何度も過ごして手に入らない彼女への情欲を募らせていた。
幾晩も眠れず、誰もが化け物と罵る彼女を心が締め付けられる程に心配していた。
例え、彼女が何を成そうと、彼女である事は変わらない。
エリオス、貴方は優秀よ。
母の呪縛が教えてくれたのは、人間はその人以外の何者にもなれないという事だけだった。
例え彼女が彷徨い何かを探しているのだとしても、自分が本当の意味でその代わりになれるわけではない。
空しさが嗚咽に変わろうとした時、仕事用の携帯電話が鳴る。
警備を任せている傭兵のダウだった。
「私だ」
手早く出て起き上る。
いつもならてきぱきと段取りの上手い説明をするダウだったが、まず第一声が「社長、無理です」だった。
「一体何の話なんだ」
デスクの眼鏡をかけ、前髪を整えながらベッドの縁に座っていると、電話の向こう側で激しい銃撃音が鳴り始める。
ダウは何か言ったが一切聞こえなかった。
何事かと思ってエリオスも冷や汗を流しながらスーツに着替えると、ベルトを締めているところでダウが叫んだ。
『あの娘! 化け物だ!』
「あの娘……? レガシィか?!」
『一体どうしてあんなものを生け捕りになんて考えたのですか!
殺しておくべきだったのです、あんな――』
続きは爆音にかき消された。
すさまじい環境音、それよりもエリオスはダウの態度に眉をしかめた。
彼とてプロ。あんな泣きごと、今まで言わなかった。
いいや、多少レガシィを見下していた節すらあった。
それが今になってどうして急にライオンの前に立たされたような悲鳴を上げるのか。
第一、ここは警備にもセキュリティにも特化したロゼッタセキュリティコーポレーションのニューヨーク本部。
これまで潜入を主としてきた彼女がダウ率いる傭兵部隊相手に実力行使など。
「ダウ、どこにいる!」
『エリアD! まるで、地獄をひっくり返したような有様です……!』
ダウの押し殺したような声の奥に、獅子の咆哮のような下品な高笑いが響いていた。
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