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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
12 *死点/Deadpoint*4
 白い砲撃、黒い槍。
 飛び交う中でカイはふと、幼少の頃の母と父の態度を思い出した。
 両親は姉を恐れていた。
 何れは何かをしでかすと決めつけて――いや、知っていた。
 邪悪の遺伝子を埋め込まれていた吾妻の誰より何より、彼女が恐ろしい事を知っていた。
 母は姉を恐れる一方でよく自慢していた。
 自分は姉と差別されるように愛されていた。
 愛されるだけでは物足りなかった。自分も力であり、邪悪である事を認めてほしかった。

「……姉さん」

 その為には彼女を越えるしかなかった。
 ぎらつく黄緑色の目、焔の中に舞う黒い従者。
 愛だとか恋だとかいう可憐な欲求だけで化け物になってしまう、単純明快な本能。
 両親が恐れていたものはこれなのだろうか。
 カイは少しだけ悲しくなり、胸が痛んだ。
 彼女はそれだけ、たった一人の弱虫を――黒金絹夜を愚かしく無様に愛している。
 それがどれだけの激しく熱を帯びた感情なのか、想像もつかずに劣等感ばかり湧き上がっていた。

「お前の兵隊は全て死に落ちた。
 お前みたいな悪党に手を伸ばしてくれるほど、聖者も善人じゃないはずだ」

「まぁ、そうだろうね」

「……かかってきなよ、絶望しながら」

「絶望……」

 カイは反芻しながら目の前の黒い影をじっとみつめる。
 命を食らう化け物のくせに、よくも恥ずかしくも無く必死に生きようとするものだ。
 だが、それが圧倒的に”人間”だった。
 恥じても愚かでも、弱さも甘えも一緒くたにして背負いながらこの女は生きてきた。
 だからこれからもそうして、何もかもを許し、受け入れながら生きていく。
 ナイルの濁流。ルーヴェス・ヴァレンタインは彼女の事をそう表現した。
 誰も止めようとすら思わない、そんなものに例えた。

「絶望……?」

 疑問形でもう一度反芻したカイ、しかしアポフィスは容赦なくレガシィに光を吐き出した。
 不意打ちに少しばかり宙空でよろめいたレガシィだったが、逆さの態勢からマシンガンを構えアポフィスに銃弾を注ぐ。

「ぐっはぁあ!」

 手錠でつながれた両手で胸を押さえたカイだが、レガシィを睨み返してアポフィスに追撃させた。
 宙で身を翻し黒い翼を広げ距離をとるレガシィは地面に刺さった歪な槍を引き抜いてアポフィスの胴を突き刺した。
 どば、とカイは吐血する。
 圧倒的だ。
 圧倒的な身勝手だ。
 今のがトドメだと言わんばかりにレガシィはカイの正面に槍を突き立ててその上に立つと穏やかに言った。

「さぁ……言い残した事はある?」

 彼女が高々振り上げた手に黒い槍が納まる。

「ぼ、僕は、姉さんに殺されるの?」

「そうだよ、悪党」

 レガシィの放った黒い槍がアポフィスの脳天と顎を貫き、カイも顔面を押さえながらよろめく。

「が、は……!」

「でもそう簡単には殺さない。お前の影を私が食べ終わるまで、そこで見ていろ」

「ぐ……ね、えさん……!」

 ぞろぞろと水音を立ててレガシィの影が伸び、そしてそこから何本もの腕が伸びた。
 グロテスクな口が手のひらに開いてアポフィスに絡みつきながら咀嚼を始める。

「ぐああぁぁ! 姉さん! やめて! そんなに乱暴にしないで!」

「黙れ、悪党。お前には許しを請う権利もないだろう。
 無様で身勝手な悪党らしく、諦めと敗北の中で死ね」

「諦め……敗北……! だ、だめだぁ……っ! 僕にはわかんないよ!」

「そうだよ、それでいい。いい様だ。さらけ出して。悶えて愚かな様を見せて、カイ。
 お前の無様な姿を、私に見せて」

 泡を吐きながら影に飲まれていくアポフィスを指の間から見て、カイは自分が殺した吾妻ヘイルの末路を思い出した。
 無様で、簡単で、残酷な死に方をした。まさしく憎たらしい悪党の死に方だった。
 自分もそうして死ぬのか。そう思うと少し安心できた。

「はぁ、はぁ……姉さん……もう、我慢できない。早く、終わらせて……」

 アポフィスが影に沈む。
 ぼろりと涙がこぼれ、カイはその場に膝をついた。
 ふわりとレガシィが彼の前に立ち、カイの頭にそっと手を乗せる。

「もう、いいの……? もう、叶わぬ許しを乞わないの? 可愛く這いつくばっていいのよ。
 おしまい? あんたの悪党ごっこは」

「もう……十分恥ずかしいよ……」

「……ふふ、ダメね。あんたって」

 それは優しい姉の表情だった。
 レガシィも膝をつき、カイを抱きしめ髪を撫でる。

「……うん。でもいいんだ……」

 カイも甘える弟のようにレガシィに身体を預けた。
 じゅるじゅるという不気味な音を立てて影がカイにはいずる。

「ね、姉さん……」

「……ん? 食べちゃダメだなんて、言わないでね」

「違うよ……いいの? 僕を、姉さんの中に入れてくれるの……?
 正義に加担した僕を、こんなに汚れた僕を……姉さんと、一緒になっていいの……?」

 アポフィスと同じように幾多の腕がカイを影に引きずり込み始めた。

「カイ、お前の罪も、汚れも、愚かさも……全て、私が背負って愛し続けるよ」

「姉さん……やっぱり僕は……」

 はにかんで笑って見せて、しかしカイの身体はずるずると影の中に引きずり込まれていく。

「あ……ああ、あったかい……」

 レガシィも同じように微笑み返し、闇の水面に飲まれていく弟の姿が消えていくのを見守っていた。
 めらめら鳴り続ける焔の中、穏やかに微笑んだまま立ち上がったレガシィ。
 周囲は死体と瓦礫の山だ。
 まだ残像でもあるように、耳鳴りに絶叫と銃声が混じっていた。

「あははは……あーあー……真っ平らだわ」

 表情に釣り合わない機械的な口調に、彼女の背後に立っていた藤咲乙姫は涙腺が痛んで泣きそうになるのをこらえた。
 彼女が欲望を振り回す残忍な悪魔である事も、弱さや罪すら愛してくれる優しい少女であることも否定できなかったからだ。

「”偉大なる継承”……ハイパーレガシィ」

 熱風が二人の髪を巻き上げる。
 レガシィは振り返り、乙姫に皮肉に笑って見せた。

「何よ。あんたも私と一つになりたいの?」

「その時が来れば、お願いするかもね。でも今は違うの」

 上手な作り笑いを浮かべ、彼女が可愛らしく両手で差し出したのは『時代の獅子』だった。
 法王庁にも1基くらいあるだろう。そう思っていたものだった。

「……何故」

「少なくとも、私の想いも貴方と一緒だから。
 ”バァ”を貴方と同化させるわけにいかないけれど、気持ちを合わせる事は出来るでしょ」

「……私がヘラクレイオンを開けば、私みたいなのがもう一匹、地上に這いずり出てくるのよ。
 少なからず、どっちかがどっちかを食って、また膨張する。
 そういう可能性を残酷に摘み取るのが正義ってヤツじゃないの?」

「想いは一緒だって、言ったでしょ。
 私も、彼が無事に戻ってくる未来以外、いらないの」

「…………」

 他人の口から聞いてようやく呆れるようなセリフだと思ったレガシィは乱暴に『時代の獅子』をひったくる。
 これで、8基目だ。
 息苦しい焔島、重苦しい沈黙。
 ようやく打ち破ったのは懐かしい呼び名だった。

「二階堂礼穏。一つ教えて……カイ君は……吾妻カイは、自らの命を蝕む力の改造に堪えたの。
 貴方と闘争する為に。姉弟で殺し合う為に……。
 私、もうよくわからない……死んだら、いなくなっちゃうんだよ。
 絹夜くんがいなくなって、あなただって悲しい想いをしたんでしょう。
 どうして殺せるの……どうして、そんな風に争えるの」

 乙姫は自分の言葉が至極まともで彼女にはまるで通用しないのだとおもった。
 だがレガシィは苦々しく眉を寄せ、少しいらつきを露わにした。

「じゃあ……どうやったら争わずにいられるの……」

「……そう、ね」

 彼女が至極まともに答えるとは思わなかったし、怒られた子供のように眉を下げ、そのまま唇で弧を描いたレガシィの不器用な頬笑みは、
 彼女が愛した男によく似ていて乙姫は言葉を詰まらせた。

「それから、勘違いしないで。私は黒金絹夜を生かそうとしているわけじゃない」

「……え?」

「『時代の獅子』はもらったわ。じゃあね、ばいばい。
 出来れば、あんたには生きていてほしい。でないと、絹夜はまた……間違えるから」

「レガシィ、あなた……何を考えているの?」

 レガシィは黄緑色の目を伏せ、踵を返した。
 その背中はあからさまに落ち込んでいて、彼が戻ってくる期待に満ちているように見えなかった。
 彼女は愛する人を取り戻すという単純明快な理由で戦ってきたのではないのだろうか。
 一抹の不安が乙姫を突き刺した。
 焔の中に消えていった混沌は何を望んでいるのだろう。
 まさかまさか。
 浮かび上がった一つの可能性に乙姫はとうとう胸を砕かれるような気持ちになり両手で顔を覆って号泣した。
 なんて、なんて、愚かで無様な恋なのだろう。













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