NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
12 *死点/Deadpoint*1
あっという間に島は焔を湛えた。
その凄惨な様をヘリから見下ろしながら藤咲乙姫は『時代の獅子』をぐっと胸に抱く。
島を貫通する聖法力の矢はエーゲの他の島々に届かぬよう、島丸ごとが結界で包囲されていた。
結界の指揮を任されていた乙姫にとって、それは見るに堪えない卑劣な作戦だった。
邪悪な力を持つアテムの一族を島に閉じ込め、争わせる。
それはまさしく、ヘラクレイオンで行われた、邪神と魔女の封殺と同じ行為だった。
どうして自分がそんなものの加担をしなければならないのかと思いながら、乙姫は一切口にしなかった。
ヘラクレイオンと違い、彼らは望んでこの島で向かい合っているのだ。
癇癪一つで世界を滅ぼしかねない吾妻カイ。
恋一つで世界を終わらせかねないハイパーレガシィ。
島への突入を志願した聖者さえも喜々としてあの場所に立っている。
「まるで、十年前のあの夜のように……」
光に魅せられ炎の中に舞い飛ぶ蝶のようだった。
戦車一つを貫通するアポフィスの攻撃に加え、死をも恐れぬ聖者の行列。
浄化班最高責任者である黒金雛彦は可能であれば核を落としてしまいたいと言っていた。
そうして爪を噛みながら忌々しそうに、だから殺せといったのに、と唸っていた。
地獄も迷惑千万かもしれんが、あれは現世の沙汰じゃない。地獄に落とすしかない。
二度と二度と二度と二度とこの世の原子が彼女を構成しないよう、完膚なきまでに、木端微塵にしてやる。
毎日のように雛彦は、レガシィへの呪詛の念を吐き散らしていた。
そうして彼女を殲滅させる作戦だけたてておいて、自分は汚らわしいと、法王庁に閉じこもりきりだ。
「……目の当りにしたら、どれだけ恐ろしいものか」
思わずぼやいてしまった乙姫に直属の部下であるビリーとジェーンの視線が集まる。
だが、乙姫の深刻そうな横顔に声をかけず、二人も眼下の焔島に目を向けた。
目の当たりにしても理解に苦しむ。
なんせ、彼女は自分を裏切り去ってしまった愛する人を救う為、たった一人で正義という概念そのものと戦っているのだから。
現世の沙汰では裁けない。地獄に落とすしかない。
ただ、地獄に落としたとして、蘇らない保証が一体どこにある。
地獄があんな身勝手な女を大人しく預かってくれるとも思えなかった。
* * *
戦車も人も炎を上げる。
油と脂が燃える臭いと熱風の中、レガシィはマシンガンを担ぎあげ降り注ぐ鉛の弾を受け止めた。
だんだんとハイになっていく。
それが自分の血のせいだとわかっていた。
彼女の体に流れる高揚をもたらす血は、彼女自身をも高ぶらせる。
デッドポイントを越え、むしろ少しずつ楽になってきた。
汗と血が混ざりあうものを唇から舐め、レガシィは影を右腕に纏い、マシンガンを固定する。
「正義の狗どもめ! 今すぐぶっ殺してやる!!」
人影なんて認識できないのだがレガシィはマシンガンを左右に振りながら銃弾を放った。
どさりとくずおれる音、悲鳴。
相手が死んだかどうかもわからない。殺人の感傷に浸る間もなく聖者は自分の心臓と引き換えに殺しに来る。
それどころか彼らは神への賛美を口ずさみながら死んでいくのだ。
不気味で腹の立つ連中だ。
「姉さん! 僕と一緒になろう! 僕が姉さんを食べてあげるよ!!」
一番不気味な弟の声がこだまする。
白い光が正面から向かってくるのを察知してかわすが、今度はパンツァーの集中砲火だ。
「ぬああぁぁぁあ!!」
雄たけびと同時に周囲に衝撃波が走り魔力の壁が生まれたが、
聖法力の弾丸はややそれただけでレガシィを巻き込み煙を上げる。
やったか?
聖者たちが期待したその時だった。
「姉さああぁん!」
歓喜の声、そして容赦のない白い光がギロチンの刃のように落ちた。
「逃げないで! 逃げないでいいんだよ!!」
少し焦るカイの言葉、土煙の中でレガシィは間一髪のところでカイの攻撃を避けていた。
いや、爆風に煽られて偶然攻撃が外れていた。
「ぐっ……今バラバラになるのは都合悪いのよ!」
「でも姉さんは生きている限り僕を受け入れてくれないんでしょ。
僕は死んでいても姉さんの事が大好きだよ。どんなにぐちゃぐちゃの肉片になったって、僕が姉さんを愛し続けるんだ」
「お前は……半年前と変わらない大馬鹿のままだな!」
失笑しつつも久々に走った悪寒にレガシィは危機感を覚えた。
例えカイに媚びて跪いても彼は満足しないだろう。
カイがやりたい事は、レガシィの絶対とまで言われる意志を踏みにじり、姉である彼女をさらに超越する事だ。
「……ソウルジーン」
ふと、レガシィは自分やカイのソウルジーンには”邪悪”というものが乗っているのではないかと考えた。
母である吾妻クレアは、邪神を作りあげたかった。
いや、母だけではない。吾妻の一族は常々ヘラクレイオン、邪神の復活を夢見続けていた。アサドアスルすら。
それも、無意識に。何者かに操られるように。
「まさか……」
この惨状すらも邪神の意志?
もしかして、吾妻クレアはその事に気が付いていたのではないだろうか。
彼女が欲しかったのは従順な兵器。
だとすれば、何を遺伝子に刻むだろう。
ようやく立ち上がったところでレガシィは肉体が随分と傷ついている事に気がついた。
骨を断たれる傷はかろうじて食らっていないがかすり傷とは言いにくい負傷がいくつもついている。
ぐ、と身体に力を入れると胃が悲鳴を上げて血と一緒に胃液が逆流した。
「ご、ごぉえ……っ」
吐いたものはぬらぬらと、黄緑色の魔力結晶が輝いていた。
これは――!
神経をとがらせて臓器の状態を確かめる。
手足は足りている。うまく魔力を流せばまだ動ける。
魔力を采配し直して感覚を研ぎ澄ませ。
「さて……もういい加減滅んでよ。僕は大好きな姉さんをこの手で壊して、傷ついてしまいたいんだ。
僕が姉さんを食らう。黒金絹夜なんかに渡さない……! 姉さんは僕のものなんだ!!」
さらにもう一発、レガシィに向けてアポフィスの砲撃が走る。
それも横跳びに避けてレガシィはすっかり態勢を立て直した。
本当に容赦がない、この島の誰も彼もが敵だ。
世界を敵に回したしっぺ返しだ。
「く……っくっく……面白いじゃない」
彼女の目からペリドット色の涙がこぼれ魔力膨張に身体が悲鳴を上げていた。
うるさい、従え原子ども。身体を作り変えてでもこの力の奔流を制御するんだ。
途端、レガシィの身体の、目に見えないものがざわつき始める。
焔の渦の中で聖者たちが戦慄し満身創痍だというのに銃器を構えて襲いかかってきていた。
「姉さん……そうだよ、姉さん! 僕たちは生まれつき、”邪悪”に、”邪神”に踊らされているんだ!
己の欲望を抑制できない、愚かで間違っていて、最ッ低な人間なんだよ!!」
カイが悲鳴を上げながら、彼女の変容の前にとどめを刺そうとアポフィスで攻撃をしかける。
巻き込まれる事も承知で十字架を下げた男たちが襲いかかる。
身体はぼろついて、レガシィに残っているのは意志だけで――それだけで世界を相手取るに十分だった。
「だからどうしたあぁぁぁあ!!」
右手に構えたマシンガンではなく、レガシィは左手をかざしそれを振り下ろす。
彼女の目の前に稲妻のような歪な槍が落ち、アポフィスの砲撃を左右に裂いて聖者たちを焼いた。
「私を殺せ! 私に殺されろ! かかってこい!」
瞳孔が大きく開き、どこにも焦点が合わない目でレガシィが叫んだ。
咆哮は大気を震えさせ、怒髪天というには異様な形状で髪を逆立てる。
まるで――まさしく化け物だった。
そこに降り注ぐパンツァーからの砲撃が着弾する前にずるりと黒い影が躍り出る。
十メートルもありそうな黒い稲妻の槍を地面から抜き取ると、それをナイフのように片手で振り回し、
勢いをつけると砲丸投げのように上空を舞う戦闘機に向けて投擲する。
射られた鴨のように落ちる鋼の塊がまた島に焔を上げた。
気付いていたじゃないか、あの娘の邪悪さには。
どうしてどうしてもっと早く、あの娘を殺さなかったのか。
何度もそのチャンスはあったはずだ。
同情にかまけて彼女を生かしておくなんて事が、そもそも大間違いだったのだ。
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