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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
11 *陰謀/Conspiracy*1
 浅黄色の草木は風に逆巻かれ優しく歌った。
 灰色の空、冴えない乾いた空気。
 エーゲの最果て、名も無い島は黒い針山のような歪な城一つとさびれた草原に支配されていた。
 まるでおとぎ話の世界だ。
 潮騒とカモメの声の中、片腕の男が歩いていた。
 残った左腕にオークの木の枝を下げており、それで目の前を払うようにしながら歩いていた。
 石畳の道を歩きながら片腕の男――ルーヴァス・ヴァレンタインは妙な雰囲気に気がついた。
 ほんの一年前にであったトラキア系の少女のものに似ていたが、それは禍々しい変容を遂げていた。
 そうだ、ハイパーレガシィとか大層な名前を名乗っていたか。
 いる。
 彼女がこの島にいる。
 久しぶりに邪眼オクルスムンディに魔力を走らせると、彼女は1キロほど先の石畳の上で黒いローブをかぶっていた。
 そしてこちらの気配に気がついたのか少しだけ顔にまでかぶったローブを持ち上げる。
 おとぎ話の中の不気味で美しい魔女だ。
 黄緑色の目、黒い肌、情熱的な美貌。
 美しすぎる破壊の徒。

「ハイパーレガシィ……」

 その名を口にすると、彼女はぞっとするほど妖艶に、大げさに腕を上げて一礼した。
 愛を失い狂った魔術師には神々しい光景だった。
 胸の高鳴りを抑えつけながら歩いていくと彼女は確かに黒い影が石畳の塀の上にちょこんと腰をかけていた。
 彼女の首元から大きな耳を持つ不細工なコウモリが顔を出している。
 ちぃちぃ、と可愛らしい声を上げながらそいつが舐めていたのは、女の指から滴る少し黒味を帯びた血液だった。
 頭からすっぽりとローブをかぶっていたレガシィにルーヴェスは大きな溜息をついた。

「随分と……醜悪なものになったな」

「それだけ多くと混じり合った、ということだ」

 彼女の返答にルーヴェスは全身が奮い立った。

「……素晴らしい!」

 思わず、そんな称賛が口から出てルーヴェスは目を丸くし、彼女のローブに手をかけた。

「せっかち」

 妖艶に唇をゆがめながらレガシィはそのローブをとり以前に比べ痩せて精悍になった顔を見せた。
 本当に彼女の変化はルーヴェスにとって信じがたいものだった。
 かつて愛する妻を失い大切に守るはずらった息子を奪われ、人である事をやめてしまった自分は
 どうしてこの少女の――女のような情熱を燃やす事が出来なかったのか。
 愛の深さゆえに絶望の谷もまた深いはずだ。
 間違いと、外道とわかって道を踏み外し、人間であることを辞め、己を丸ごと棒に振る。
 そんな強さと愚かさをなんと呼んだらよいだろう。

「君は”絶望”を知らないのか」

 レガシィの隣に腰掛けルーヴェスはオークの枝の先になっていたどんぐりをむしり始めた。

「絶望……絶望ね。それは無様に神へ許しを乞う行為?」

「いや、いや……最早、神に仇名す君に問うべきではなったな」

「ええ。私はもう、誰からも許されない。私の身勝手な恋心一つに、全部を地獄に落としかねない。
 神が愛だというのなら、私の欲望も、火照る身体も、全部神に負けた無様な残骸。
 だからこそ、この醜態をもう一度彼に見せてあげないといけないじゃない。
 そうしないと……彼は……絹夜はずっと、自分の事を許してあげられないだろうから」

 絹夜は――黒金絹夜は確かにずっと自分を責め続ける男だった。
 狼になるには優しすぎた、獲物を狩るには優しすぎた。
 人の弱さを盛大に抱えていて、誰とも分かち合うことも出来なかった。
 孤独と、拒絶と、甘えの間でうずくまっているような男だった。

「君がやっている事は全部無駄だよ。
 絹夜はもう死んでいるかもしれない、もし生きていたとしてもアサドアスルのエサになっているかもしれない。
 君の事を覚えていないかもしれないし、最悪、君の敵になるかもしれない。
 このまま彼を綺麗な思い出にしてあげればいいじゃないか」

「馬鹿言わないで。私は死に媚びない。”潔白な死”より”醜悪な生”を選ぶわ。
 神も悪魔も踏破してでも、命一つを懸命に果たせ。人間って、そういう生き物だったはずよ」

「人道踏破をした女の言うセリフか」

「私はどこまでも人間のつもりだけど?」

 ちぃ、と彼女の首元でコウモリが鳴いて頬ずりした。
 なんて様だ。
 あまりにも淀んだ光景の中で美しく映えていた。
 黄緑色の草原、黄緑色の目をしたジプシー。

「ベレァナ」

 ルーヴェスはもう三十年近くも前に失った妻の名を呼んだ。
 人の命を奪う恐ろしい魔女だった。
 己の欲に従順で、残忍で、人間に怯えていた。
 ふと、あの華奢な魔女と目の前の影が重なっていた。
 風に揺れる異国の横顔。鮮やかに輝く猫のような凛とした双眼。
 愛とは何だ。そう問うと、いつも彼女は笑った。

「レガシィ、君の愛は何だ」

 同じようにルーヴェスが問うと、レガシィは冴えない空を見上げ、呆れように微笑むと唇を小さく動かした。
 
「それを証明する為にドサ回りしてるんでしょ。黙って見てな」

「……そう、か」

 少し眩しすぎる。
 ルーヴェスはそう感じて、そして彼女のオーバーダズであるセクメトが太陽神ラーの娘だという事を思い出した。
 太陽の娘。殺戮の女神。何にせよ彼女の存在はこの世界には鮮明すぎた。

「では行くとしようか、邪神レガシィ」

 ルーヴェスはオークの枝を放りだし、歪な黒い城に足を向けた。
 そう、あれこそが”腐敗の魔女”の城だ。
 ここですっかりルーヴェスと対決するものだと思っていたレガシィからしたら興ざめだ。
 しかし彼女は肩をすくめ、マントの中で巨大なマシンガンケースを担ぎなおした。


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あきゅろす。
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