[通常モード] [URL送信]

NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
10 *漆黒/Mahakala*1

 大の男たちが目を丸くする中、鶏7匹分のお骨を皿に積み上げてレガシィは腹をさすった。

「あー……食ったあぁ……」

 今日も今日とてハイパーなんとか。
 もはや大事な何かを忘れてフードファイターにでもなるんじゃなかろうか。
 エジプト、ルクソール。
 12時間の飛行機の旅を終えてルクソール美術館の手前まで来た彼女はやはり恒例の大食いメニューを制覇し
 物理的に重くなった腰をようやく上げた。
 今回レガシィの腹に収まったのはマハシ・ハンマムというエジプトの名物料理なのだが、詳細は割愛。
 観光地として有名だが、街中はさびれており、高い建物がある街並みの中歩く人影が少ないという不思議な光景だった。
 イスラム教の文化が残り、そんな中、黒いマントを被ったレガシィの姿も目立たない。
 チィ、とマフラーの中でブサが鳴いた。

「何よ、お前だけ腹いっぱいになってずるいって……? じゃあアンタ、金はらえんの?」

 コウモリに向かって無茶苦茶を言ったレガシィにさすがのブサも溜息のように鼻を鳴らした。
 いたしかたなくドライマンゴーを食べるふりしてマフラーの中に落としてやるとブサは急に機嫌を良くしてそれに食らいつく。
 もちゃもちゃと耳触りな音がする中でレガシィは不気味な振動が鼓膜を揺らすのに気がついた。
 人間の耳に具体的な音として捕えられないような重低音。
 常人は無意識に足を向けなくなるだろう。
 誰がこんな音を放っているのか。
 超高音には鋭いが低音には鈍感なブサが相変わらずくちゃくちゃとマンゴーを食べている中、
 レガシィは針のように神経を尖らせ、空気の振動の変化を読み取る。
 今度は明確に、地面を伝わって足元から音は巻きあがってきた。

「……地下?」

 その方向に目を向けると、くろがね色のオベリスクがそびえていた。
 そしてその先にある近代的な建物がルクソール美術館である。
 もう一度、彼女に確信を持たせる為かのように足元が低く唸った。
 この世には、見てはならない領域がある。
 そしてその魔も聖も恐れる新たな要素”邪”になりつつあるこの少女は喜び勇んでその震源地に向かっていくのだった。

             *                      *                     *

 がちがちと獣のあぎとのように軋む銃口を自らの額に突き付けながら彼は息をのんだ。
 指先に力を入れれば、乾いた土埃の上に脳漿はさらされ、命が終わる。
 不出来な死体を一つ残して人生の閉幕だ。
 夜の帳が降りかけて西にわずかなオレンジ色を湛えた空の下、すっかり掘り起こされた岩肌の上。
 決意がぶれたか、男は銃を下ろした。
 ディウフはこうして人気のない打ち捨てられた旧発掘現場で、何度も頭に銃を突きつけては下ろしを繰り返していた。
 茶褐色の肌にじっとりと脂汗が浮かび、彼は袖でそれをぬぐった。
 数日前の事だった。
 突然、観光事務局から連絡があり、一時閉鎖しろという命令が下った。
 何が起きたかわからぬうちに閉鎖、発掘物の仕事をしていたディウフはついでの厄介払いにリストラされていた。
 確かに自分の腕はよくないし、ここのところノルマが厳しい。
 不景気のあおりを受けたかと思うとその原因は世界規模の大金持ち、エリオス・シャンポリオンだという。
 この世の不条理に呆れかえったディウフは生活する術も、信頼する人もなくこうして砂漠で一人銃を片手に立っていたのだ。
 ここで死んで死体が見つかればきっとそのエリオスは後悔するだろう。
 そして世間に弾劾されて落ちるがいい。
 そうだ、これは復讐なのだ。
 太陽が落ちる寸前にディウフはもう一度こめかみに銃口を突き付けて自問自答を始めた。
 魂の再生、ホスルの迎え、太陽が昇るように自分はまたここに戻ってくるのだろうか。
 信じよう。
 引き金に力を込めたその時だった。

「…………?」

 ごうん、ごうん、と足元が揺れ、それは段々と強さを増してくる。
 黄土の砂が舞い上がり始めてとうとうディウフの目にもわかるような亀裂が地面に入った。

「地震か……!?」

 恐ろしくなってその場をのいた直後、亀裂はとうとう口を開き、地下から巨大なミミズのバケモノが飛び出してきた。
 唖然として暗闇の中にせりあがったそれを見ていると、恐らくは人間と思わしきものがその先端にくっついている。
 刹那、その人とミミズの化け物の間が光って当たりに得体のしれない粘液が降り注いだ。
 ドドド、と重低音が続き、マシンガンを背負った人影がミミズの頭部から振り下ろされてディウフの目の前に着地する。
 ぬちゃ、とディウフの頭にもミミズの粘液が落ちてきていた。
 だが、ディウフは気持ち悪いより、恐ろしいより、落ちてきた人影に釘づけになったまま立ちつくしてしまっていた。

「ブサ、反応遅い。もうちょっとどうにかなんないの?」

 ボロのローブを纏った少女。
 その下はホットパンツにビキニという非常に露出の高い格好だった。
 なにより、巨大なコウモリの翼が彼女の背中にはついており、畳まれると同時に霧のように消えていく。
 ちぃ、と彼女のマフラーの中でコウモリが鳴いていた。
 それに大げさに溜息をつきながらやっつけ仕事のようにミミズにマシンガンをむけて放つとミミズは亀裂の中で縮こまるが退散する気はないようだ。
 シュー、と息を洩らしながら穴から少女を威嚇しているミミズ。
 少女は振り返ってディウフを鋭く睨みつけた。

「邪魔くせえとっころに立ってるなよ、オッサン!」

「な、何だお前!」

 問う暇もなく少女は急に横跳びになった。するとその足元からネバついた触手がつきだし彼女を追尾する。
 それを腰に刺した巨大な銃で撃ち落とし、再び顔を出したミミズに応戦する。
 戦闘の中で地面にはさらに亀裂が入り、とうとうディウフの足元まで走っていた。
 少女が触手を撃退したそのタイミングで遺跡の影からカーキ色のタンデムローターヘリコプターが顔を出す。
 地面とそう距離の無い低空飛行でミミズに両側のマシンガンを向けたと思うとすぐにそれを放ち、同じくして少女も狙っていた。

「レええガああシィいいいいい!!!」

 野太い声がマシンガンの銃声の奥で怒っている。

「出たわね、牛男! あんたとは決着付けたいと思ってた!
 赤い糸で結ばれてるのかもねぇ!」

「反吐が出る! 今日こそ貴様をエリオス様に献上してくれるわ、山猫娘!」

「ライオンだっての!」

 ミミズは今度ヘリに狙いを定め、ヘリは少女、少女はミミズに攻撃を仕掛けていた。
 絡まる三つ巴の抗争、その中で亀裂がディウフの足元まで迫る。

「崩れる!!」

 ディウフが思わず叫んだその時、それを証明するように地面がクッキーのようにぼろりと砕け、
 少女が振り返ったのがわずかに見えたのを最後に、ディウフの足元も崩れて落ちていく。

「ブサああ!」

 ディウフが落ちる瞬間に紺色の空を見上げると、そこにはコウモリの翼を背負った少女のシルエットがあった。
 よくある少女を模したデビルとのような形状に妙に納得してしまい、ディウフは目を閉じ自分が地面に叩きつけられるのを覚悟した。
 地上ではマシンガンの音が響き、ミミズの威嚇音も空気を震わせている。
 そろそろだろうか。どれだけ痛いのだろうか。
 ディウフの想像とは裏腹に、くん、と身体は停止して宙づりの状態になりながら彼は床に足をつけた。
 背中に暖かい人肌を感じてディウフが振り返ると、例の悪魔少女が翼でパタパタと飛びながらにやりと微笑んだ。

「悪魔の、人助け?」

「タダで助けたと思ってんの?」

「……いや」

 彼女がゆっくり着地すると翼は砂のようになって消える。
 ちぃ、と彼女のマフラーの中から本物のコウモリが顔を出して少女の頬をぺろぺろ舐めていた。

「何? そんなにマンゴー気に入ったの?」

 ちぃちぃ。
 まるで意志疎通が出来ているように少女がドライマンゴーを与えるとコウモリはもさもさとほおばり大人しくなる。
 頭上では今度ヘリとミミズの抗争がはじまり、それを一瞥すると少女はディウフ腕を引っ張って穴倉のさらに奥に進んだ。
 何が何だかわからぬまま少女についていくと、開けた場所に到達する。
 少女がマントの中からLEDランプを取り出してそれで周囲を照らすと、そこは遺跡と言えるような人口建築物の中だった。
 まだ遠く地上での戦いの振動が伝わるのか、時折砂埃が落ちてくる。

「何だ、ここは……」

「さあね。ただ、荒らされた後もあるから世紀の大発見ってわけじゃ無さそうだけど。
 そんであのでかいミミズがここを守ってたってわけ」

「貴様、墓荒らしか!?」

「その呼び方やめてよ。トレジャーハンター。もっというと別にこの遺跡には興味ないんだ」

「まさか、お前の狙いは美術館か」

「オジサン、鋭い〜」

 ということは異様やたらにエリオスとかいう若造がしゃしゃり出て警備を強化したのも、全てこいつのせいなのだろうか。
 先程は確かにその傭兵に狙われていたようだし、この異形の少女にただの警備員では叶わないだろうことも想像できた。
 となると、自分の生活が苦しくなったのもこの娘のせいなのだろうか。
 銃を向けて撃って当たる距離だった。
 しかし、彼女に命を助けられたのも事実。
 皮肉な因果応報にディウフは溜息をついた。

「ここから地上に戻れるのか?」

「多分ね。アイツと遊んでるうちに道外したから調べたルートに戻れれば小一時間で美術館の真下なんだけど。
 あ、地上? 来た道戻ればすぐだけどそんなに戻りたい?」

「……いや、いい」

「じゃあついてきな。エジプト人には特別優しくする性質だから安心して」

 そうして唇を吊り上げる彼女の頬笑みの邪悪な事。
 ディウフは困惑しながらも少女についていくことにした。
 LEDランプの無機質な光が遺跡の壁画を照らしだしていく。
 ディウフは記憶にないその遺跡が、公式には隠されたものだと察した。
 なんせ、人工物は持ち込まれているというのに、こんな大規模な遺跡の話は聞いたことがない。
 原因はあの巨大なミミズの化け物だろう。
 耳にした事がある。この世にはまだ魔や聖という力が残っており、それは人間だけではなく動植物にも宿っている。
 悪用しやすいエネルギーであるそれは非公式であり、またその関連物も政府の情報操作によって隠匿されるのだ。
 それを嗅ぎつけてくるのがトレジャーハンターであるし、この謎めいた少女も魔やら聖やらの力を持つ”異物”なのだろう。
 少女の名はハイパーレガシィ。ネット上だと有名らしいのだが、ディウフはインターネットはやらないし、当然聞いたこともなかった。


[*前へ][次へ#]

28/29ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!