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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
6 *牛頭/Minotauros*1
 暗闇の中でかちゃかちゃと食器がこすれる音だけが続く。
 スポットライトの様に光をあてられたデスクが一つと、その正面で何やら細かい手作業をしている痩せた男がいた。
 カッチャカッチャカチャカチャカチャカッチャカッチャ。
 時折、チン、という聞きなれた音がまだ明るみの残っている遠くのキッチンから聞こえてくる。
 カチャカチャカチャチン。
 極細のコンデンサを二重の螺旋で繋ぎ、安定性と出力を保つ装置の開発中だったが、いかんせん資金が無い。
 ”五大魔女”に数えられる”機械仕掛けの魔女”から支援を受けているものの、クロウの生活費に回すとそう多くない金額だった。
 カッチャカッチャカッチャカッチャ。
 いつ法王庁が来るともしれないこの状況で露出の多い小娘が急に押しかけて命からがら手に入れている食料を軒並み食い倒す。
 彼女も同じ境遇、いや、自分たちより分厚い包囲網が敷かれている分同情するべきではあるのだが、
 隣で食器の音を立てられてついでにあるものの全てを腹に収められてはたまらない。
 カッチャカッチャカチャチン。

「大学芋できましたぁ〜」

 可愛いフリルのエプロンをつけたホムンクルスのルゥルゥがラップのかかった皿を小娘の前に刺しだした。
 礼も言わず、空いた皿を突き出して小娘――レガシィは大学芋を次から次へと口に入れた。

「ああ、もう! 気が散るッ!!」

 女性に免疫がないウェルキン博士も潜伏先の実験室で害音を立てられて流石に大声を上げた。
 極細のピンセットをテーブルに叩きつけ、頭をかきむしる。

「ちょっとくらい手ぇ休めなよ。博士ハゲるぞ」

「そうですよ。一応お客さんの前なんだから」

 ふてくされた調子でルゥルゥが口添えしてようやくウェルキン博士は体をレガシィの方にもっていった。

「あ、あのなぁ! 来るたび来るたびガツガツ冷凍食品食い漁って!
 き、貴様の腹は一体どうなってるんだ!!」

「カロリー燃費が激しいんだからしょうがないだろ」

「人間発電所だもんね」

 ふん、と嫌味を言ったルゥルゥだったがレガシィもしぶしぶ頷き納得した。
 確かに発電はしているが、その場合は口当たりのいい電力を出し続けなくてはならず、長時間行うには難しい。
 発電所とは言われても全くエコロジーに貢献できないのも確かだった。

「っかぁああ、もういいもういい! 一体何の様だ! 二階堂!」

 懐かしい名前で呼んだウェルキン博士の口に大学芋を押しこみながらレガシィは言った。

「レガシィ。ハイパーレガシィって呼んで」

「ほんわこほ、ろうらっへひい……!」

 もごもご大学芋をやっつけているウェルキン博士の横でルゥルゥが叫ぶ。

「は、博士! 関節チューです!」

「ば、ばか! 余計な事を言うんじゃない! こっぱずかしい!」

 漫才もいつものことでレガシィは聞き流してポーチに手をかけた。
 折りたたんだ小さな紙と一緒にコウモリが飛び出して彼女のマフラーの中に入る。
 足のとても弱い生き物なのでどこか袋状の部分に入らなければ安定しないのだ。
 レガシィの頬にすりすりとすり寄る様子はペットとしては可愛らしいのだが、ウェルキン博士はぎょっとした顔つきでそれを見ていた。

「そのコウモリ、病原菌とか大丈夫なのか」

「ちゃんと獣医に連れて行って検査してもらったから大丈夫。
 ばっちくないよね〜、ブサ」

 チィ、と鳴いて非常になついているようだ。

「その、ブサっていうのが名前なんですか?」

「うん。ブサ可愛いのブサ」

 ブサイクで可愛い。
 鼻がつぶれていて、小さなくりくりした離れた目をもっていて、ブサ可愛いと言われれば確かに頷ける。
 しかし最終的にブサイクの部分だけが残った可哀そうな名前だった。
 取り出した紙を丁寧にデスクに広げ、その内容をウェルキン博士に見せた。
 すると彼は仕事でやらかした様に青い顔をして口元の脂汗を拭う。

「何だこれは。どうしたんだ、どこで手に入れたんだ」

「イタリアのマフィアの隠れ家。吾妻クレアがギーメルギメルから抜けだそうとしていた話があったんだ」

 イタリアマフィアの基地で見つけた紙きれだったが書かれている内容こそ『プロジェクト・アテム』のものだった。
 経緯とエリオスから得た情報をウェルキン博士に全て話すと、彼はルゥルゥに飲み物を持ってくるように頼んだ。
 すぐにオレンジジュースが出てきてウェルキン博士はそれで急にからからになった口の中を潤した。

「いや、これは……不味い事になっていたな」

 ウェルキン博士はそういうと眉間に指をあててゆっくりと何かを思い出そうとする。
 そしていくつかのキーワードを拾いながら話した。

「私の記憶による推察でしかないが、『プロジェクト・アテム』、思い当たる。
 結果的にこれによってクレアは君を産んだんだ」

 彼女の出生の秘密を語る事になるが、今更彼女が後に引き返す様な事をしないとわかっていてウェルキン博士は確認もとらずに話を進めた。

「クレアは科学者でありながら暗号解読に優れた才能を持っていた。
 遺伝子と言う生命の暗号を読み解く実験を行っていた二階堂啓の研究に携わり、いつしかその主権を握っていった。
 そして彼女が見つけ出したのが、第16番目染色体99番情報、ソウルジーンだ。
 このソウルジーンは名称の通り”魂”、わかりやすく言えば”バァ”の情報を乗せる部分らしい」

「”バァ”……魂の精神部分、つまりは影」

「うむ。オーバーダズは生まれ育った土地の伝承が発現する事が多い。
 また、血縁者間では類似した形、若しくは関連した神話を模した形となりやすいそうだ。
 つまり、それは代々受け継いできたものだと言ってもいい、その情報は遺伝子に乗るのだから。
 ソウルジーンを使って、クレアは君を生み出し――」

「古代アテムの一族はアサドアスルを作った……というわけか」

 じっとりと脂汗のういた額を拭いながら頷いたウェルキン博士に対し、レガシィはオレンジジュースを飲みながら涼しい様子だった。
 ウェルキン博士の後ろで難しい話に首をかしげているルゥルゥも興味津々の顔つきをしながらうるさい口を閉ざしてくれている。
 それほど緊迫した空気が張り詰めて、ウェルキン博士は気合いと共に続けた。

「ソウルジーンは誰にでもある。大発見ではあるが、今は大した問題じゃない。
 今問題なのは、君の存在だ。二階堂礼穏――いや、ハイパーレガシィ。
 皮肉な名前じゃないか。『過度の遺産』などと」

「私、そっからはっきりわからないのよね。詳しく優しく説明してちょうだい」

「そうか、わかった。結論から言ってしまえば、法王庁と同じ考えに至る。
 君が存在すると言う事は、邪神のゲートが表の世界に現存すると言う事になる。
 早い話、君は実害こそないが邪神とイコールだ。君の遺伝子には邪神が乗っている。
 君のDNA、特にこのソウルジーンはこの世のそれではない。古代アテムの一族が残した、まさしく『過度の遺産』だ」

 ふぅん、それから、とレガシィは大したことでも無いように耳を傾けていた。

「ただ、邪眼ゴールデンディザスターには色々と難しい条件があって、特定の遺伝子配列、特定のホルモンバランスの年代にしか発現しないんだ。
 染色体XXの上にそれぞれ邪神の力とゲートの配列が載らなくてはならない。つまり染色体XX、女性のみの限定発現だ」

「遺伝子学的な根拠に基づいて、私やアサドアスルは誕生したってことは事実なのね。
 一応聞いておくけど、吾妻クレアはどうやって私を産んだの?」

「君も言っている通り、遺伝子を組み替えたんだ。彼女はアテムの一族のサンプルを大量にもっていた。
 彼女はアテムの一族の末裔。どちらかの遺伝子を持っていてもおかしくはない。
 そして欠けたもう片方の染色体情報を組み込んだ女児系の人工精子と結びつける。結果、君が生まれた」

「……なるほどね。アサドアスルはあくまでアテムが生み出した巫女の一人。
 アサドアスルは洒落に出来ないくらいに強いけど、殺せない相手じゃないってことね」

「君は……まだそんな事を考えていたのか」

「……そのよく出来た頭、腐ったザクロみたいにしてあげようか? 口を慎め」

「す、すまん……しかし、聞いた話あの”黒金絹夜”が太刀打ちできなかった相手だ。
 何かこう、正攻法ではどうにもならんような気もする……」

「認めたくないけどその通りよ。かといって私も邪神の力にオネガイしちゃったらマジで広範囲滅びる可能性もあるからね。
 邪神の力に頼らないで邪神を倒す方法っていったら、やっぱ勇者様とかそういう系?」

「……アサドアスルは、遺伝子操作で生まれた邪神の器。邪神の力をローディングして使っている、あくまで人間。方法としてはいくつかある。
 ローディング先の邪神を倒してしまう、ローディングの接続を切断する、彼女の遺伝情報を操作する、彼女の肉体を破壊する。
 どれが一番現実的かと考えると、頭が痛いな」

 溜息の後、ウェルキン博士は大学芋を一つつまみ椅子をくるくる回しながら唸り始めた。
 何事かをぎょっとしているルゥルゥが耳打ちする。

「博士、まともに考えている時はこうなっちゃうの。きもいよね」

「きもいっていうかさ……!」

 白衣に無精ひげ、小汚いおっさんがくるくる回っているところを見ても何の感情も浮かばなかったレガシィ。
 しかしよくもまぁルゥルゥも生みの親、育ての親に対して辛辣な事を言えるものである。


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