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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
4 *遠呂智/Orochi*2
「病院の空気って最高だよねぇ」

 はぁはぁと興奮した調子で深呼吸しているクロウの横でするするとリンゴをむいているユーキ。
 そして既に剥かれている果物をもしゃもしゃと口に運んで行ってるユリカと銀子。
 包帯だらけでベッドに座っているジョーは家族が持ってきたフルーツバスケットを勝手に食いはじめる教師と友人に
 串刺し公さながら冷たい視線を突き刺していた。

「全く無茶して」

 そう言いながらカットしたリンゴを串に刺してジョーに渡すユーキ。
 受け取り限りながらジョーは言い訳をした。

「しょうがないでしょ。俺んち目の前だったんだから」

「だったら逃げればよかったんじゃないですか」

「俺に敵前逃亡しろって?」

「あー、そうでしたそうでした。君はそういうところ、バカでしたね」

 外国人の盗賊にリンチにあっていたジョーのピンチに駆け付けたのはママチャリにのった赤羽ユーキだった。
 クロウからのメールを受け取って学校からママチャリで飛び出し10分程で加勢したのだがそれでも分が悪かった。
 だが相手を追い払ったのはユーキの大ウソだった。
 戦闘中に携帯電話を取り出し仲間に詳細な場所を教えるふりをしながら、仲間がかなりの大人数である事をほのめかした。
 そしてクロウとユリカが来た時点でさらに大勢がいるような文言を使って結局相手を追い払った。
 よくあの状況で大ウソがつけたなと感心してしまうのだが、赤羽ユーキという男は命を預ける仲間に対しても2割しか本性が明るみになっていない。
 笑顔で穏やかな言葉遣いの割には、サドでドライな性格、しかし付き合いはいいという都合のいい男である。

「ひとみさん来ないですか?」

 もぎょもぎょ。
 口の中でリンゴの塊が動いているのに銀子は器用に喋った。

「うん、連絡してねぇもん」

 悪びれて言ったジョーの言葉に銀子がユーキの耳元に手をあててコソコソと、聞こえる声で言った。

「鳴滝くんとひとみさん、どっちが悪いと思います?」

「いやぁ、強いていえばああいう面倒くさい人を選んだ鳴滝君が悪いんじゃないですか、全面的に」

「ぶっちぎりに聞こえてるから。喧嘩売ってんの?」

「売ってないです!」

 口を尖らせた銀子はもう一つリンゴをつまもうとしたがその皿をユーキはユリカに回し、ユリカはクロウに流した。
 ようやくクロウがリンゴにありついたところで銀子がまたしてもいらない事を言った。

「昨日おでん屋で会いましたよ。ほら、駅前の」

「あなたよくあの泥酔状態で覚えてますね」

「いえ、全然覚えてないんですけど、朝から山崎先生がゴリラのマネしながらしつこく聞いてきたんで」

 多分それはゴリラのマネではなく、単純に彼がゴリラ顔だっただけである。

「確かに、ものすごいぐだぐだな……脱皮に失敗した蛇がそのまま死んだみたいな状態になってましたね」

 わかりづらいのだがさらりと壮絶な引用をもってきたユーキにジョーとクロウはぎょっとした。
 確かに蛇は脱皮に失敗すると死ぬ。
 だが何を持ってして彼女にそれを重ね合わせたのかユーキの真意がわからず、ジョーは話を打ち切りたくなった。
 彼女の事はもういい。
 しばらく考えたくない。
 あえて隣にいた男の事は言わなかったのだが、何か思い当たっているようなのでユーキは楽しくなってきてついにやりと笑った。

「でも、連絡しないっていうのは……僕、後が怖いんだけど」

「まぁ、好きにしろよ。俺からはしないってだけだから」

「うーん」

 はっきりしない状態のままクロウは立ち上がり電話をかけに病室を出た。
 また、それにユリカもいそいそと立ち上がり、怪しげな冷笑を一つジョーに刺し向けてクロウを追う。
 非常に嫌な予感がする。
 そう思ったがジョーはこれ以上悪くなるような事も考えられなかったので止めなかった。

             *                      *                     *

 すこしじめじめしてきた。
 昨日まではよく晴れていたのに何かの前兆の様に急に低気圧に見舞われ、少し不気味な雰囲気だ。
 分厚い銀色の雲が天を覆いはっきりしない陰影の中でひとみは病院の裏庭の花壇に水をやっていた。
 雨が降りそうなので少なめに根元に注いでやるが、湿気でやや葉が萎えている。
 なーお、と足元で猫が鳴いてひとみの足にすりよってきた。

「ねこねこ」

 しゃがんで白黒の猫を撫でていると、からからとサンダルの音がしてひとみは鋭く振りかえった。
 そこにはかっぷくのいい白衣の男がおり、少し距離を置いたところで立ち止まった。
 その距離感は字利家ひとみの警戒網ぎりぎりで4メートル強もあった。

「字利家くん、体調はどうだね」

 この病院の院長であり、渋沢栄一郎の父である。
 渋沢院長と混同しない為に息子の方は栄一郎先生、と呼ばれていた。
 ひとみが答えずに周囲をきょろきょろと見回しているので渋沢院長は小声になった。

「例の夢はまだ見るのかな」

 彼女の性格を知っての配慮の出来る院長にひとみは好感を持っていた。
 こくりと頷く彼女の足元で猫がその冴えない表情を見上げて鳴いた。

「龍を産む夢か……私なりに調べてみたけどね、それは君がノルマに縛られている、責任感の強い人だと言う表れだそうだよ。
 君の状況は私には理解してやることが出来ないのかもしれないけれど、周りの人に協力してもらうのもいいんじゃないかな」

「ご迷惑をかけてばかりですみません」

「……字利家くん。私は無神論者だけど、いい言葉があるんだよ。
 自分を愛するように、隣人を愛せってね。自分を大事に出来ない人は、誰も大事に出来ない。
 自分を助けられない人間に、誰かを本当の意味で助ける事は難しいと思うんだよね。
 君は自分の事が好きだとか嫌いだとか以前に、認められていない気がするんだよね。
 自分で自分を否定し続けるのは悲しい事じゃないかなぁ、ねぇ」

 子供扱いだったが、この院長はいつもこんな調子だった。
 怒鳴ったりまくし立てたり焦ったりしない、度量の大きな男だった。

「ねこくんも心配してる」

 そう言って渋沢院長はしゃがみ、ちっち、と舌を鳴らすと、白黒の猫はたったか駆けていって院長の腕に収まった。
 ごろごろと喉を鳴らして本当の意味でなついているようだった。
 餌目当てに媚びて近づいているわけじゃない。
 その様子をうらみがましく見つめたひとみに渋沢院長はさわやかに笑い、彼女の心情を全て悟ったかのように言った。

「媚びているのは君の方だ。愛しているふりをして、許しを請うているだけだよ。
 君が君の呪縛を解き放たない限り、君を愛そうとしている人たちも巻き込むことになる。
 向き合って戦わないといけないんだよ」

 猫をあやしながらさらりと言った渋沢院長にひとみは返す言葉が無く、しかしポケットの携帯電話が震えていた。
 出なさい、と手で合図した渋沢院長に応えてひとみは無骨でぼこぼこに凹んだ携帯電話を取り出した。
 もう何年も前の機種で塗装も剥がれ銀色の基盤が覗き、老練な戦士のようだった。
 着信はクロウ・ハディード。
 ひとみに、いや、大抵口の強い相手にはびくびくして関わり合いを持たがらない事なかれ主義のお手本のような青年だ。
 そんな彼からの時間を考えない連絡にぎょっとした。

「私だが」

『あの、あの……』

 どもっているとガサガサとノイズが走り、そして甲高い声に切り替わった。

『あなた、何やってますのッ!?』

 伊集院ユリカが彼の携帯電話を取り上げたのだろう。
 何をやっていると言われても仕事に決まっている。
 少し受話器と耳を離して一方的に言われるがままになってしまった。

『鳴滝が! 鳴滝が大怪我を!! 意識不明の重体ですわよ! うぅ……見ていられませんわ……!』

「……何の冗談だ」

『冗談なんかじゃありませんわよ!! 貴方、鳴滝が死んでもいいんですの!? 薄情な人!』

「ジョーがそう簡単に――」

『自宅の近くでオーバーダズを使う外来の野蛮人4人に囲まれて酷い目にあったみたいですわ。
 私たちが駆け付けた時にはもう……!』

『と、とにかく、この間字利家さんが入院していた病院だからね、早く来てね!』

 そう言って一方的に通話が切られた。
 オーバーダズを使う相手。
 数で押されてはいくら力量が高くても防戦は難しいだろう。

「おやおや、何か緊急の連絡だったのかな」

 渋沢は猫をあやしながら時計を見た。
 あと40分程彼女の勤務時間が残っている。

「蛇はね、脱皮に失敗すると死んじゃうんだよ。
 でも、脱皮しないと成長できないからねぇ。どんな気分なんだろうね、脱皮を強いられる蛇の気分は」

 苦しくて窮屈で、目の前には死が横たわっているという恐怖。
 諦めと悔恨と絶望。頭上に広がる銀色の空の様に重く冷たい色で煌めいている。
 自分の中から出ようとしているものが何ものであるのか、自分の中身が何ものであるのか。
 怖くて自分の中身を開く事が出来なかった。
 そんな自分では。

「脱皮に成功できるわけがない……」

 唱えたひとみに渋沢院長は背を向けカラカラとサンダルを鳴らしながら院内に入っていく。

「もうすぐ雨が降るよ。風邪ひかないように気をつけて行ってきてね」



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あきゅろす。
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