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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
3 *歪曲/Cry*2
「――ひとみさん!」

 ジョーと渋沢の言葉が重なり、そしてお互いにぎょっとした顔つきで視線があった。
 だが、すっとジョーの横を抜けて渋沢がぐったりとしたひとみを抱えると部屋の奥に入ってしまう。
 ジョーもそれを追いかけたが、彼女をベッドに寝かせ、脈を測る渋沢の後ろでその様子を見るしか出来なかった。

「僕は彼女と同じ病院に努めている小児科医の渋沢栄一郎だ。よろしくな」

「…………」

 さわやかに手を差し伸べた渋沢。
 歯が光ってなかなか男前で、しかも医者で金持ちで性格も丸くて精神的にも経済的にも余裕のある年上の男だった。
 あんな事されたっていうのに冷静なのは恐らく、自分を子供扱いしているからだろう。
 ジョーは冷徹に彼を分析し、握手もしなかったし名乗りもしなかった。

「あんたの役目は終わったろ。さっさと帰んな」

「いやぁ、しかし。君は……ひとみさんの弟さんか何か?」

「……何でもいいだろ」

「そういうわけにはいかないよ。君が何者か、ひとみさんが起きないとはっきりしないからね」

「っるせぇな!! 付き合ってんだよ! 出てけお前は!」

「ツキアッテイル……? 君が? ひとみさんと?」

「ひとみって呼ぶな!! 気にくわねぇ!」

「すまんすまん、でもあまり大声を出さないでくれ。起きてしまうよ」

 自分が呼びたくても呼べなかったその名前を軽々しく口にするこの男が気にくわかなかった。
 いいや、びびっていた。
 渋沢には自分が理想とする男の像が備わっていたからだ。
 自分が望んでいる、彼女に相応しい男の姿をしていたからだ。
 何だこいつは、急に出てきて痛いところばっかりつっつきやがって。
 諭されるような形でリビングのソファにつかされたジョーに渋沢はまたしても恐ろしい言葉を吐いた。

「付き合ってるって、彼女も思ってるの?」

「……はぁ?」

「勘違いってこともある。若いうちは……まぁ、そんな経験もするだろう」

「あのな……さっきから好き放題言いやがって、てめぇ……覚悟は出来てるんだろうな」

 指を鳴らすと渋沢はふふ、と噴き出す様に笑った。

「じゃあ、何で彼女の様子に気がつかなかったのかな」

 ハンサムな渋沢の笑みが悪魔のそれに見えた。
 顔面の筋肉が引きつき、反論の言葉が出ない。
 気がつかなかったわけじゃなかった。
 変だとは感じていた。
 ただ、彼女が何も言わないから。

「何も言われてなかった……倒れる程だなんて……」

「じゃあ、君はそれだけ信頼されていないと言う事だ」

「…………」

 今度は反論する気も起きなかった。
 そうだ。
 信頼されていない。
 彼女はいつだって一人で抱え込んで爆発して耐えきれなくなった後、ようやく自分は助けていた。
 事前に彼女を救えた事なんてなかった。

「言わないひとみさんの強情が全部悪いんだけどねぇ……。
 美人に比例してツンツンしちゃってるからねぇ。おっと、呼んじゃいけなかったね、字利家さん。うん、そうしよう」

 確かにあいつは強情で融通がきかなくて頑固で言葉がきつくてすぐ人を傷つける。
 そのくせ一番自分が傷つきやすくて、泣いて苦しんでも助けてと言えない、本当にねじまがった性格をしてる。
 性格が悪いと言われても彼女は認めて屁理屈を返すだろうが、渋沢の何もかも知ったような口ぶりが気に食わない。
 大ピンチじゃないか。
 ふと、愛する人の為に孤独で壮大な戦いをおっぱじめた二階堂礼穏の事を思い出した。
 誰も頼る事の出来ない海外で、たった一人で自分の命を狙うような敵と戦って、彼女は恐れないのだろうか。
 自分は怖い。
 すぐ漏らす子犬並にびびってる。
 今でも誰かが助けてくれて、どうにかしのげる事を祈っている。
 こんな小さな世界の中で、大事な人の気持ちが移ろう様を想像するだけで恐ろしい。

「お前こそ、随分と粘着質だな」

「彼女は魅力的だからね」

 やっぱりそう言って渋沢は笑った。
 余裕、そして少し邪悪な笑みだった。
 こんなガキに女を取られるわけがない。とられてもぶん捕り返せる。
 笑顔でそう威圧をかけてきた。
 相当ヤバイ。

「僕も忙しい身だが、一つはっきり言わせてもらう」

 うわ、トドメかよ!
 なんつう大人げねぇ!
 覚悟はしたものの、ジョーにとって最悪の言葉だった。

「彼女が口にする言葉が本心なのか、君は確信が持てるのか?
 頑張り屋さんだからね。愛しているふりを続ける事も厭わないかもしれない。
 君を傷つけまいがために、ね」

「…………」

「お互いそれほど信頼していないみたいだね。安心したよ」

 トドメを刺したうえでもう一発入れて渋沢は去っていった。
 えげつない。
 あいつは本気だ。
 多少手が汚れても、恨まれてもひとみを横合いから奪うつもりだ。

「ちょっと待て……何だ、この展開……!」

 相手は自分の理想の男像。
 まさしくひとみに相応しい、頭と経済力と精神的な余裕がある男だ。
 そして自分は欠損だらけの、まだ成人式も迎えていない、短気でガキで金もないガキだ。
 あの時腕をへし折ってやったとしても、完敗だ。
 なんせ相手の武器は腕力一本じゃない。
 オーバーダズ、魔力補正、そして必殺の五感覚醒、全部無意味な相手だ。
 そんな相手にどう立ち向かえばいいと言うんだ。

「わかんねぇ……」

 守ってやれないかもしれない。
 黒金絹夜はここに立たされたのか。
 死んでも守ってやる。
 出放して幸せになれるなら。
 彼が選んだのはどっちだったのだろう。
 聞かないと。
 そう思ってベッドルームに入ると、さっきは気がつかなかったがカトレアが窓辺でこちらを見ていた。
 花も萎えてきており、多年草でありながらきっと、今シーズンはこれで最後だろう。
 熟した花の香り、そしてそれに似た綺麗な人。
 ただの興味本位だった。彼女の容姿に中てられていただけだった。
 優しくて、乾いていて、柔らかくて、無色無音無味無臭だった。
 青空も、転がる空き缶も、喧騒の中の誰かも、この世の全てをまるで手出しの出来ない外側から羨ましそうに見ているような、そんな目をした人だった。
 見せびらかされて、食いつく事も諦めたような人だった。
 ある時、彼女は言っていた。家のあるホームレスだと。
 彼女は帰りたくても、帰れない。帰る場所があるのに、帰りたいところがあるのに、使命の為に帰れない。
 命を助けられなければ、きっと帰る事が出来ただろう。でも、もうここに閉じ込められてどこにも行けない。

「……ひとみ、俺の事、恨んでる?」

 自分のわがままの為に、彼女が切望していた場所を奪ってしまった。
 ひとみの額に手をあてて前髪を払うと苦悶の表情を呻き声を浮かべ、彼女は目を開く。
 薄暗い中、彼女の眼球が開いて反射するのを追った。

「……栄一郎、先生……」

 参ったな、こっちも名前呼びか。

「俺だよ。病院行ったら、倒れたって聞いたから。ごめん、渋沢さん、追い返しちゃった」

 少し呆けていたようだったが、ひとみは上半身を持ち上げて、しかしそのまま前屈状態で動かなくなった。

「……今度は何、怒ってるの」

 返事はなく、そのまま再び横になるとひとみはシーツを頭までかぶった。

「……怖い」

 かすれるような声でようやく振り絞った言葉。
 しばらくすすり泣くような声が続いてそして突然静かになった。
 眠ったのか、気絶したのかもわからないまま、ジョーはそれ以上手出し口出ししなかった。
 本当は帰ったふりをしてリビングで待っていようかと思ったがじっとしていられないのも確かだった。
 渋沢栄一郎。
 笑顔がさわやかで落ち着いていて頭が良さそうで金持ちで、何より強欲で優しそうだった。
 家に帰ると妹が昼食を用意していたが手をつけずに木刀を持って庭の裏手の川辺で大蛇薙ぎをぶん回す。
 くそ、レオがいたらあの強烈な”反省”を喰らう事も出来たのに。
 くそ、黒金絹夜がいたらあてにもならないアドバイスで話も気分も反らす事が出来たのに。
 すぉん、と木刀の先が空気を斬って嫌な音をたてた。
 久しぶりに聞いた自分の嫌な音だった。
 その木刀を正眼に構えたままジョーは鼻で笑った。
 何食わぬ顔をして携帯電話を取り出し、緊急の際に取り決めていた空メールをクロウに送る。
 鳴滝ジョーからクロウ・ハディードにこのメールが届いた場合は彼の自宅での異常を知らせる合図だった。
 その送信を確認すると、挑発の言葉をジョーは口にした。

「なぁに、コソコソしちゃって」

 彼の言葉を合図に鉄橋の下からガラの悪そうな男たちがへらへらと笑いながら登場する。
 見覚えは一応あったがイマイチ記憶には薄かった。
 つい先日、夜の九門高校に侵入してきて裏界を暴こうとしていた盗賊達だ。
 あの時は初の海外からのお客さんの出迎えで少し調子に乗っていたので後々銀子にやり過ぎだと怒られた。
 だが、やり足りなかったようだ。

「一人ずつ片づける」

 相手はそう言ってオーバーダズを背後に控えさせた。
 あの時は仲間たち勢ぞろいで相手したがこの人数を一度に、しかもオーバーダズを使うそれ相応の力を持った人間を4人も相手するのは難しい。
 オーバーダズのスサノオを持つジョーにとって、4人は大したことないのだが相手もオーバーダズと使うとなると話はかなり違う。
 2対8だ。
 盗賊達の後ろにもまた似たような筋肉隆々の男の影がある。
 幸いにもジョーが知りえない魔法を遣うタイプのオーバーダズはいないようだったがピンチである。
 表情には出さないままスサノオを構える。
 クロウが今すぐ気がついたとしても大学の受講中だろう。抜け出してきても30分はかかる。
 一人ひとりの力量がそれほどではない事は分かっているが、
 数で競られては耐えられるかもわからないし、五感覚醒を遣っても5秒で全員倒すのは厳しいだろう。
 そんな状況であるにも拘らず、ジョーは調子が悪いのをひとみのせいにして内心、彼女を責めた。











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