NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
2 *超悪意/SuperMalicious*3
ぐしゃぐしゃ、と乱暴に頭を撫で、しかし彼女は途端に鋭い目つきになり腰から女性が扱うにはいささか大きな銃を抜くと、
エリオスの顎を掴んで無理やり立たせこめかみに押し付けてくる。
何事かと思っていると無骨な足音がいくつも連なって私営のガードマン達が入口からライフルを構えてきた。
「お前がハイパーレガシィだな」
「雇い主の脳みそぶちまけられたくなかったら道を開けるのね。
言っておくけど、こいつがいなくても私はあんたら全員を黒焦げにして逃げる自信あるよ」
「俺たちもお前の指が動く前にハチの巣にする自信がある」
「面白い冗談言うわね」
黒焦げ、の意味がガードマン達には判らなかったのだろう。
彼女が操るのは銃器ではなく、どういうわけか素手から発散される電気だ。
ハイパーレガシィの目的は『時代の獅子』、そして『プロジェクト・アテム』についての情報だ。
『時代の獅子』だけが目的ならトマスを倒した時点でさっさと盗んで去ればいい。
彼女の目的が自分である事を思い出す。
「レガシィ、私から例の話を聞きたいのに、ここで私を撃つのか?」
片眉をピクリとさせて動揺を見せたレガシィだったがギロリと冷たく澄んだ黄緑色の目をエリオスに向けてあっさり答えた。
「別に」
脅しの視線。
嘘だ。
彼女は完全に『プロジェクト・アテム』に食いついている!
撃てるはずが無い!
「撃てはし――むごぉ」
レガシィの左手が顎から背中、頭に回って顔面が彼女の豊かな胸に押し付けられた。
「ドタマぶちぬくって言ってんだろ。それとも痺れて気持ち良くなっちゃいたい?
どっちも嫌だったら余計な事考えるな」
「ふぁ、ふぁい……」
いい返事はしたものの余計な事を考えるなと言われて考えずにいられない体勢だった。
指一本で脳漿が飛び出る状況下、撃たれて出るのは煩悩そのものなんじゃないかとエリオスは別の意味で怯えた。
「それから、こいつらがいい子ちゃんに出来るようにあんたから命令しな。
失せろってね。私は二人っきりがいいの」
屈辱的だ。
これはもう隠しきれない大事だ。
鉄壁王、コソ泥の女王様に敗北。これに間違いない。
ハンドジェスチャーで撤退を命令するとおずおずとガードマン達は引き下がっていく。
そしてようやく頭を上げたトマスにも同じように命令すると彼はひいひいめそめそと泣き
社長を賊の盾にされるとは、と言い残して随分あっさり去っていった。
そのままレガシィがエリオスを引きずり歩いて入口をロックする。
そこでようやくエリオスを解放したレガシィは濡れた体をそのまま、まず『時代の獅子』を確かめた。
恐らくはナンバーキー式のロックがかかっているかと思われるそれを電撃で壊し中を検める。
そこにはやはり『時代の獅子』が収められていて、レガシィはそのアタッシュケースを綴じなおすとソファに置き、彼女もそこについた。
「毎度乱暴な入室をされても困るな。
たまにはノックして入ったらどうなんだ」
替えのシャツに着替えたエリオスはレガシィにもタオルを渡す。
よく見れば彼女は濡れる以前に埃と油まみれで煙突から入ってきたダメサンタのようになっていた。
タオルをひったくって顔を拭うと真っ黒な後が残る。
「エアダクト掃除したら」
「判った。今度、清掃業者を呼ぶ」
「それから、トマスっていうあのジジイ。強いわね」
「何でも、昔軍人だったらしい。詳しくは聞かないけど」
「……そう」
エリオスがひとしきりうろうろし終わりコップを持ってソファに着くと、レガシィは大きなため息をついた。
「何その態度」
いきなり嫌味を叩きつけられて警戒態勢をとったエリオス。
だが、彼女は気だるげにアタッシュケースを枕にしてソファに転がっていた。
「当然の様にそれを持っているが、渡したつもりはないからな」
正面のソファについたエリオスの手にはデリンジャーが収まっていた。
だがレガシィは軽く身をよじってアタッシュケースを両手で抱えるようにした。
「だめ。もう私のだもん」
「…………」
いとおしげに、まるで我が子のように『時代の獅子』を抱える彼女にそれ以上反論が出来ず、エリオスも嫌味を飲みこんだ。
彼女にとって『時代の獅子』がどれほど大事なものかが想像できなかった。
女性的で、しかし筋肉質で攻撃的な体のライン。まさしく自由奔放、そして傲慢な黒い豹だ。
「お前は『プロジェクト・アテム』についてどこまで知っているんだ?」
「全然。何も」
「なら、何故『時代の獅子』を追い求める」
「ただの趣味」
「…………」
お互いが相手の情報がどれだけのものかを探った状態で全く話が動きそうもなかった。
エリオスは嫌々先手をとった。
「『プロジェクト・アテム』は持ち込みの研究だ。遺伝子工学に基づき、現在は公表されていないエネルギー源を生みだす事が可能だと予測される。
イタリアでお前が盗んだ『時代の獅子』はその研究者が持ち込んだものだ」
「研究者の名前は……吾妻クレア?」
「……何故知っている」
「女の秘密を暴こうとするのはモテない男のする事でしょ」
「『プロジェクト・アテム』については機密度Sクラス指定を受けている情報だ。
我が社の命運をかける一大プロジェクトでもある。それを犯罪者であるお前が知っている事自体、我々にとっては死活問題といってもいい。
お前が知っているという事はともかく、漏えいされてはたまったものじゃないからな」
「実行しようとしているの?」
「当然だ。莫大な資産を払って手に入れた研究だ。代償を払った私が使って何がいけない。
お前に知れていたのは私のミスである事は確かだ。補うにはいくら払えばいいんだ?」
「そうね。80億ってところかしら」
80億、ドル?
こいつは会社ごと買収しようというつもりか。
相当痛い額だが無理な額ではない。
『プロジェクト・アテム』の予想換金額は1兆だ。
そのくらい払ってついでに彼女を手に入れる、そんな算段が浮かんでエリオスは少しにやけて、隠す様に堅苦しい言葉を探した。
「それならすぐ小切手を用意して――」
「ニン。80億ニン」
ニン?
どこの国の通貨だろう。
首をかしげたところでようやく彼女の言っている意味がわかった。
「貴方の会社のセキュリティで世界全人口80億人の命が保証できる?」
「何を言ってるんだ……?」
「あんたが欲しがってるその力は、それだけのものをブッ壊す力がある。
強すぎンのよ、人間がぶん回すにしちゃあ」
「お前はその力の正体を知ってるって言うのか?」
「……少なくとも、あんたのセキュリティでどうにかなるものじゃない」
「……しかし、その全てを知っている研究者は私のセキュリティプログラムを高く評価していた。
つまり、私のセキュリティによってその力を制御できると、想像したんだがね」
何故『時代の獅子』を研究材料としてロゼッタ社に預けたのか。
既に死んでいる吾妻クレアの真意を知る事が出来ないが、エリオスは彼女がギーメルギメルを蹴り、
小さな企業であったロゼッタ社に乗り換えた理由は、ここに彼女の研究を完成させる何かがあったと思っていた。
レガシィもその考えに行きついたのかぱっとしない表情になった。
チェックメイトだ。
「つまり……その研究、完成していないんだ」
しまった。
彼女は全くもって知らない立場にあったのか。
根本的な事を言われてエリオスは喋りすぎた事を後悔した。
「研究者が何を研究していたのかはわかっている、だけど決定的な証拠となるものが無い。
再現させるにもその部分は、吾妻クレアの頭の中で彼女は天国だか地獄にまでそれを持っていってしまった。
全ては机上の空論のまま。研究のやり直し。そういうところかな」
その通りだ。
吾妻クレアの研究結果は彼女の謎の死と一緒に紛失した。
今やミッシングリンクを探し求めて研究者たちに鞭打っている。
「一つだけ私の知ってる事を教えてあげる。
『プロジェクト・アテム』はもう、実行されている。それも紀元前、遠い昔に。
そして、アテムの一族は結果に後悔した。強すぎた……だからこそ封印した。それを暴いてどうするの」
「随分と昔の研究結果だな。紀元前は紀元前。現代は現代だ」
レガシィは冷めた目でエリオスを見つめ、そして勢いをつけて立ち上がるとアタッシュケースを肩にかけて窓を開いた。
またしてもそこから降りるのか。
すでに暗くなった外気の風が心地よく部屋を通り過ぎる。
「右往左往してればいいわ。バカは好きだし、アンタはバカだけど……私、アンタは嫌いだわ。じゃあね」
そのまま当然の様に身を投げたレガシィはビル風に乗って落下しながら何かの装置を動かすと、黒い羽根を広げた。
軽量のグライダーだろう。
追って撃ち落とす事も出来そうだったが、エリオスはソファについたまま彼女が使ったタオルを見ていた。
彼女は何故吾妻クレアを知っていたのか。
電話をかけ、トマスを呼びつけると彼に彼女が使ったタオルを渡す。
「鑑識部に回してくれ。ハイパーレガシィの身元を調べるんだ。
私は本社に戻る」
身元。
いいや、本当に知りたいのはそんな書面上のデータではない。
彼女を構成する情報、DNAだ。
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