NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
2 *超悪意/SuperMalicious*2
まだロゼッタ社がほとんどの企業に相手にされないような小さなプログラマ集団だった時代だ。
突然、知らないアドレスから自分のパソコンにデータが送られてきた。
いつもならスパムメールすら届かないはずなのに、知らない相手からメールが届く事はありえないはずだ。
エリオスはそれが自分のセキュリティを掻い潜ってきた腕の主だと知って入念な解析を行った後、それを開いた。
『プロジェクト・アテム』の内容だった。
遺伝子に関しての知識は無いが、何でも新発見された染色体情報を利用した実験らしく、最終的にはスポンサーになってくれと言う話だった。
そしてメールの送り主は悪名高い秘密結社ギーメルギメルの研究者、吾妻クレアだった。
何でも事情を深く突っ込めば、ギーメルギメルのトップと研究の対象が異なり、自分が行いたい研究を中断せざるを得ない状態に追い込まれていた彼女は
ギーメルギメルを裏切る形でロゼッタ社にて遺伝子工学の研究をしたいと言ってきた。
彼女は遺伝子という暗号解読のエキスパートで、その証拠に既に組み上げたばかりの記号変換システムが作り上げた暗号を解読し、
さらに改善策を提示したレポートを叩きつけてきた。
天才だった。
やや高慢で絶対的な自信を持つ女性ならではのプライドというものを恐ろしく感じたのだが、エリオスは秘密裏に彼女を受け入れる準備を行い、
そして彼女が希望したイタリアに研究所を置く為、その地のマフィアに彼女が何故か送ってきた『時代の獅子』を保管した。
一体何をしでかすかわからない雰囲気もあったので本社のニューヨークから離れたところに拠点を置くと言った時、正直ほっとしたのを覚えている。
だが、彼女がイタリアに来る予定の数ヶ月前の春。
彼女がその頃暮らしていた日本で原因不明の自動車事故で吾妻クレアは死亡した。
多大な研究資料は既に法王庁に差し押さえられているギーメルギメルとロゼッタ社に分断された状態でだ。
もちろん、その両方が揃ってこその『プロジェクト・アテム』だった。
非常に手痛い損害だった。今でも喉から手が出る程欲しい。
なんせ、吾妻クレアはそれによって何人にも侵されない強大な力を手に入れられると盲信していた。
吾妻クレア、『プロジェクト・アテム』。
それらを追うように三年の月日を経て現れたハイパーレガシィ。
繋がっていないわけがない。
「『時代の獅子』……か」
それが何故そう言われているのか。
あの気味の悪い像が何だと言うのか。
ヨーグルトにフルーツ缶の中身を足してそれを腹に詰め込む。
わけあって過度な小食である彼にとってそれでも良く食べた方だった。
あとはサプリメントで補う。
「社長」
部屋の前まで秘書が来たらしくノックと共に呼びかけてきた。
ドアを開くと小包とアタッシュケースを秘書が持ち込み、テーブルの上に乗せる。
そして世間話の様に穏やかに言った。
「外で、窓清掃のコンテナが落ちてひと騒ぎありました。
例のお嬢様がこられるのも時間の問題かと。
それから、こちらはニツワ上海から送られてきたご注文の品です」
受け取った小包を半分だけ開き中に入っている灰色の鋳型を手に取る。
かなりデフォルメされているが間違いなくレガシィのフィギアの鋳型である。
造型師もレガシィを知っているようでかなり熱の入った会心の出来だった。
せっつかれても迷惑なのでベッドルームにそれを持っていくと背中に無遠慮な調子で秘書が声をかけた。
「社長、コロンなどはよいのですかな」
「コソ泥にいろ目などは使わん」
「相手が何であれ女性にはそれなりの礼儀を通さねばなりませんぞ。
野性的な生き物は匂いに惹かれますからな」
ふっふっふ、と口ひげを揺らした秘書は洗面棚の奥からエリオスも見た事のないガラス瓶を取り出した。
「トマス、何だそれは」
「Regal presence、”王者の風格”とでもいいましょうか。
ギリシャの化粧品会社が発売前のコロンを送ってきましたのでいかがかと」
あからさまに嫌な顔をしたエリオスの顔面に容赦なくシュっとひと吹きした秘書トマス。
「げほッげほッ……なんだ! これ! 青虫の威嚇臭がするぞ!」
「面白い例えですな」
エリオスの眼鏡を取り上げてさっさと拭くとかけなおし、平然とした調子で空になった皿を片づけ始めた。
自分についた匂いを嗅ぎながらエリオスはまたむせる。
「冗談じゃない。シャワーを浴びてくる。それまでお前が『時代の獅子』を見張っていろ」
「はい、かしこまりました」
アタッシュケースをテーブルの上まで運んで行き、そこでケースをじっと見つめると言う不思議な行動に映った秘書。
このトマスという男は本当に仕事はよく出来し、良き話し相手でもある。
信頼も十分しているし、向こうもまるで息子の様に扱ってくれるが、いささか食えないジジイである事にかわりはなかった。
かといってへこへこもされたくないエリオスにとってはやはりこれ以上ない右腕なのだが、こうして困らせられる事もある。
自分より優れていると思う相手に大して素直に尊敬していまい、口応え出来ないのが彼の悪いところだった。
せっかく寝癖も苦労して直したのに結局もう一度シャワーを浴びなおす事になった。
どいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつも!
まるでその怨念が届いたかのようにガコンと派手な音を立ててブレーカーが落ちた。
「…………」
「何故こうなったああぁぁぁぁぁ!!」
トマスの絶叫がキッチンにこだましていた。
何があったのか気になる叫びだが、エリオスは慌ててシャワーを止めてバスタブの中にうずくまった。
どかどかと暴れる音、そしてすりガラスの向こうから何度か赤いフラッシュがたかれるのが見えた。
しまった、『時代の獅子』が!
やがて静かになったと思うと、今度はかつん、かつん、とフローリングをブーツが叩きつける音が聞こえる。
気持ちが悪い。
恐怖と寒さで体が震え胃に詰め込んだものが逆流しそうだった。
鉄壁王、プライベートルームに侵入された上に恐怖のあまりバスルームにて全裸で嘔吐!
そんな記事書かれてなるものか。
どこをとってもダサすぎる。
カツーン。
鉄鎚の様に足音が止まり、パリッとバスルームの前のすりガラスに雷光を纏う左腕が見えた。
「社長。来てやったわよ」
彼女は恐怖をあおるような低い声でくすくすと笑った。
こんな怖い登場の仕方しなくてもいいのに。
バン!
雷光かと思ったらドアがはじけ飛んで勢いよく大きな塊がバスルームに突っ込んできた。
だが、様子がおかしい。
「捕まえました!」
「こ、このジジイ!!」
彼女の雷光が左手に宿った刹那、トマスのハイキックがそこに直撃してレガシィがバランスを崩しその上、足を滑らせて腰をついた。
その隙にトマスがシャワーのヘッドをとってお湯の蛇口をひねる。
勢いよく飛び出した熱湯を浴びせ掛けられレガシィは思わず悲鳴を上げた。
「あーつッ! あつッ!!」
彼女がバシャバシャと暴れる音の中でようやく予備電源が入ったのか電気が復旧した。
熱湯を吐き出すシャワー、そしてその先には真黒なマントを盾にして完全防備を決めていたコウモリ女がニヤリと笑っていた。
「なんてね」
「トマス! それを離せ!」
バスン、バスン!
電撃が二度走ってトマスが白目をむいてその場に倒れる。
確かに熱湯を浴びせかけられていたレガシィは濡れた前髪を払ってバスタブの中でうずくまっているエリオスの頭をがしっと掴んだ。
何をされるのか見上げると彼女はえらい上機嫌そうな笑顔だった。
「あんた、バカね。でも、私バカって大好きよ」
バカが好き。
随分変わった趣向だな。
しかし、本当に魅力的な女の子だった。
鋭くクールな容貌をした神出鬼没のコソ泥。
強気で傲慢で、まさしく自分が駆除しなければならない邪悪な存在だ。
だというのに、自分はやはり彼女がこうして無茶をして現れる事を望んでいた。
まるで眠り姫が王子様を待つように。
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