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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
1 *再再来/ReReturn*3
 最高級のスイートルーム、置いてある装飾品のいくつかで土地と家がセットで買えてしまう値段だ。
 上海らしい赤と黒、モダンアートの絵画。
 それらに手をつけず、彼女は一直線にベッドルームに向かった。
 パインのグラスを片手にしたメイドはポケットからゴム手袋を取り出すと、グラスの中を一気に飲み干す。

「くっはー、たまんねぇ」

 そしてグラスについている指紋に合わせてゴム手袋の指先を押し付ける。
 あらかじめ塗ってあった薬品が反応して指紋がゴム手袋に複製された。
 複製した指先をベッドルームの端に置いてあったトランクの指紋認証キーにあてる。
 ガチッと主を認めてトランクが口を開いた。
 早速ベッドに乗せて中身を拝見――と、いきたいところだった。

「随分大胆なコソドロがいたものだ。私を誰だと思っている」

 壁に背を預けて髪を掻き揚げたエリオスは片手にデリンジャーを構えている。
 床に座って無防備な状態のメイドはそのままぴくりとも動かなくなった。

「……足音」

「防音処理を施してある」

「……なるほど」

「どこの社のスパイだ? 幾らで雇われた」

 口をあけかけたトランクとにらめっこしたままメイドが肩をすくめる。
 デリンジャーを構えながら距離をつめフレアカチューシャに銃口を当てる。
 自分の指が間違いを起こせば彼女の脳漿はスイートルームの床にぶちまけられる。
 もちろんそんな光景は見たくはないが、人を傷つけることは厭わない覚悟はあった。

「今警備員を呼ぶ。それまで大人しくしていろ」

「大人しくしていられると思う? この私が」

 ぎょっとした。
 彼女はこの状態で減らず口を叩いた。
 少女の声で、妖艶な口調で。
 もう一方の手で胸ポケットの無線を取り出した途端だった。
 手ごと通信機が蹴りあげられ、さらにいつの間にか体勢を高くしていた女の足がエリオスの顔面をヒットする。
 パスン、とデリンジャーが空に着弾し、エリオスは壁に叩きつけられた。

「くはっ」

 と、同時に腹に重い衝撃が走る。
 体が宙に浮き上がる程の痛みに背筋が凍った。

「もう一発欲しい?」

 目の前で眼鏡の光を反射させながらメイドが笑った。
 首を振ってそのままずるずると床に倒れこむエリオスだが、メイドはそれを抱きとめ細腕で簡単にベッドに放り投げる。
 すると彼女もベッドに飛び込んできて眼鏡をはずすと仰向けになって痛みをやりすごしているエリオスの眼鏡の上にさらにそれをかけた。
 視界がぼんやりする中でメイドはエリオスのベルトを抜き取ると両手を縛ってベッドの装飾に結び付ける。

「次悪い子になったら気絶するまでシビれさせるから」

 そう言って彼女は自分のメイド服に手をかけ、乱暴に脱ぎ捨てた。
 黒い上下、そして腰に低く取り付けたポーチから大きな布を取り出して羽織る。

「……お、お……お、まえ」

 最後にサングラスをかけた。
 それが本来の姿であるとエリオスは直感した。

「……そんな」

 髪をかきあげた指先に真紅の電撃が走る。
 ダブル眼鏡のせいでぼんやりとしているが、それはネット上に流れているハイパーレガシィの姿そのものだった。

「何? もっときつくして欲しいの?」

 イメージ通りだった。
 高圧的な黒い豹。眼鏡のせいで顔こそ見えないがよく出来た肉体に小麦色の肌。

「レガシィ……」

 ようやく声にすると、彼女は悪者の様に意地悪く笑った。

「残念だったわね、社長さん。私を捕まえたらいい宣伝になったのに。
 今日は私の勝ち。だからご褒美貰って帰るね」

 レガシィは彼のトランクに手をかけ、それをまっさかさまにする。
 まずい!

「や、やめ……!」

 ボタボタボタっ。
 落ちてきたのはレガシィの求めるものと似て非なるものだった。

「…………」

 台座に乗った女の子のフィギアだった。

「…………なにこれ」

 ダブル眼鏡を貫通する冷たい視線。
 レガシィはそれを手に取ってみるが、どれもこれもパンツ丸出しの健全なお店で売っている系ではない。
 大きいお友達が観賞用にずらりと並べるやつだ。

「ふぅん……社長、こういう趣味なんだ……イイ男だと思ったけどちょっとガッカリした」

「ニツワの商品だ!」

「こんなに大事にしちゃってどうだか。ってかデカチチばっか……。ところで、像は。黒い像」

「ふん……やはり、お前の目的は『時代の獅子』だな」

 『時代の獅子』。
 その単語が出てレガシィは重いオーラを放った。
 そして勢いよくエリオスの胴にどすんと乗りまたがりネクタイを掴む。
 内股がきつくが胴を締め付けた。

「出しな」

「こ、断る」

「ここにはないのか?」

 さらにネクタイを引っ張り首を締め上げるレガシィ。
 その衝撃で彼女の分厚いメガネがずり落ちた。

「……あ」

 ペリドットの鋭い瞳。
 ジプシーの様な美しい目鼻立ち。

「はっきり言わないと……どうなるかさっき教えてあげたよね?
 これ、さっきのよりずーっと痛いんだよ」

 彼女の左手にバリバリと赤い電撃が走るのを見た。
 冗談ではない、そんな物騒なもの喰らってしまっては鉄壁王という仇名が嫌味にしか聞こえなくなる。

「それでもしてほしいの?」

「こ、ここには無い」

 ここは被害を最小にして何事もなかった様にふるまうのが最善だ。
 その為には彼女をどうにか追い返さなければ。
 事実、今は『時代の獅子』は持っていなかった。
 適当に嘘をついて彼女を引き揚げさせよう。
 エリオスが適当な言い訳を考えているところだった。
 こんこん、と控えめなノックの音が張り詰めた空気の中を無神経に繰り返される。

「社長、いらっしゃいませんの?」

 アーメイデル!
 色々な意味で来ちゃ駄目だ!!

「社長! お部屋に戻られたのは確かに見ましたのよ」

 最悪の脅迫だ。
 エリオスの顔色が変わったのを見てレガシィは獲物を見定めた猫の様に瞳孔を広げた。

「お互い時間が無いみたいね」

 そう言ってレガシィはエリオスのあばらの間にツインテールの女の子のフィギアを置いた。
 こんな状態誰にも見せられるか!

「『時代の獅子』はどこ? 『プロジェクト・アテム』って何?」

 バリバリと唸る彼女の左手がだんだんとこめかみに近づいてきた。

「社長!」

 だんだんとノックの音が激しくなる。
 そのうち誰かをつかまえてアーメイデルが乗り込んでくるのも時間の問題だ。

「確かにここではゆっくり出来ないな。
 『時代の獅子』は我が社の上海支部に保管してある。
 『プロジェクト・アテム』については君がやって来た時に話してあげよう」

「……それはいい考え」

 ネクタイから手を離すと、バタフライナイフを華麗に操りベルトを切る。
 やっと解放されたと思ったら全く逆の状態になっていた。
 足は足、手は手で拘束されてレガシィの唇はエリオスの耳元にあてられていた。

「嘘つきは泥棒の始まり。泥棒に嘘ついたら、何の始まりになるのか、よく考えておきなさい」

 甘い脅しを吐いた唇が頬に押し当てられてエリオスは全身の血潮が奮い立つのを感じた。
 これがレガシィ。
 求めていた彼女そのものだ。
 気がつくとレガシィはひらりと窓枠に足をかけており、ウインクを一つして小さく手を振った。
 ばいばい。
 そしてそのまま夜闇に体を投げた。

「な――!」

 ここは20階だ!
 起き上がってあわてて窓の外を覗き込むとだんだんと小さくなる彼女の影があった。
 そしてそれは垂直に落ちていたにもかかわらず急に角度を変えビルの壁に這うように動いた。
 ロープの様なもので街灯やネオン看板の間を行き来しているらしい。
 まさしく怪盗だ。

「…………」

 彼女の影も追い切れなくなり、眼下にはきらびやかな夜景があるばかりでエリオスは現実へ帰ったような気分だった。
 振り返ればやはり彼女が荒らした部屋はあるし、自分の体にも熱と重さの感触が残っている。
 想像をしていた通りの――いや、想像以上だった。
 無線機を手に取ると外で待機している自社のガードマンに連絡を入れた。

「部屋の前にいる女をどうにかしてくれ」

 しばらく茫然としているとアーメイデルが暴れている声が聞こえる。
 そんな中物思いにふけりながらフィギアをトランクに戻す。
 
「レガシィ……私の部屋に勝手に入り込み、私のトランクを勝手に開けて、私の……」

 心をこうも簡単に奪ってくれるとは。
 鉄壁王の名に賭けて取り返し、そして奴からも奪わねばならない。



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あきゅろす。
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