NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
32 *超越/HyperLegacy*2
「……何で、持ってきちゃったのかな……?」
「頼まれた。二階堂礼穏から、お前なら信頼できると」
冷たく動詞だけを吐き出す字利家の態度がツンツンと突き刺さってくる。
しかも言う度に苦しそうに顔をゆがめるものだから見ていられなかった。
「……んん、まあ、確かに俺ってば信頼厚いけど」
調子を取り直して明るく言ったが、言葉が続かずジョーは肩を落とした。
そもそもこの貧乏くさい家に呪でもかかってそうな像が置いてあるのは異様だ。
しみじみ『時代の獅子』を見ていると、ユリカがヒステリックな声を上げてジョーに掴みかかる。
「どうして私ではないのですか! こんなちゃらんぽらんな女たらし! 泥棒猫!」
女たらし。
字利家の前では言われたくない言葉だったがそれを選ばずにぽんぽん口に出来るのがユリカの特殊能力である。
ずずずずず、と派手に熱くも無い茶を啜ってスルーを決め込んだ字利家に怯えながらジョーはユリカの手を払いのける。
「あんたもう帰れ!!」
とうとう悲鳴を上げながらジョーはユリカをつまみだす。
玄関先で散々人を罵倒した末、ユリカは愛馬レオンにまたがり去っていった。
本当にハタ迷惑な女である。
家の中ではずずず、とお茶をすする字利家が残っていた。
下の妹達はわいわいがやがや奥の部屋で遊んでいるのだが春野だけは不安そうな眼つきで兄を見ていた。
どうして兄はこうも女難の相が濃いのだろう。
春野の顔にはそうありありと顔面いっぱいに書かれていた。
「用件はそれだけだ。お邪魔した」
かつん、とテーブルに置いた缶はお土産だろうか。
首をかしげていると字利家はツンケンした態度のまま玄関を出て行ってしまう。
「あ、ちょ! ひとみさぁん!!」
それを追いかける兄よりも、春野は字利家が置いていった缶を見て言葉を失った。
エッフェル塔が描かれている。
どこに行ったのかバレバレだ。
字利家を追いかけ土手の道でようやくたどり着く。
ごろごろとトランクを引きずって前を向いたまま無視する字利家、その隣をジョーは歩いていた。
「どうして……怒ってるの?」
それにも返事はなく、ただ歩く速度だけが早くなっていく。
春野にもこんな時期があったな、とジョーは思い出していた。
まさか17の時分で味わうとは思わなかったが、女の子にはよくある”お父さんとのパンツと一緒に洗濯しないで”現象だった。
しかし彼女の場合、何よりプライドが高くて精神的に過度な武装をするのは目に見えている。
「なんつうかさ、こう……ひとみさんは気持ちがファイティングポーズとってるカンジがするんだよね。
俺、全然そんなつもりないのに……ちょうど河原あるし、殴り合いでもする?」
軽く嫌味を含んだ冗談のつもりだった。
ごろごろとなっていたトランクが止まる。
まずい。
それこそ本当に殴り合いになったら勝ち目が無い。
余計な事を口走った。
だが、字利家は立ち止まったまま川とは反対側のビル群、もしかしたらもっとその先を見ていたのかもしれない。
冬空のどんよりとした分厚い雲の陰鬱な風景だというのに、彼女が立っているだけで神秘的に思えた。
何かを思いつめたような悲しい表情をしていなければ、もっと美しかったろうに。
いいや、彼女は一度も心から笑った事なんてなかった。
苦渋か、虚空の表情しかしていなかった。
「寄るな。近づかれると……怖くなる」
助けを求める様な、今にも泣きそうな表情で乾いた空気の中に字利家が吐きだした言葉が酷く哀れっぽくて期待していて、ずるかった。
一人でいたいと馬鹿げたプライドが叱咤している反面、都合のいい甘えを期待している。
どっちも許せなかった。
パチン、と軽く彼女の頬をはたいてジョーは脅す様にに言った。
「この期に及んでまだプライドに媚びてんのかよ。全部一人じゃ出来いただの人間なんだよ。一人じゃ生きていけなくなったんだよ。
武装を解かない限り、あんた、一人だぞ。欲しがらないと、愛されないんだぞ」
武装。
その言葉に過剰な程反応した字利家の表情が怯えに変わって、崩れていった。
罪悪感も少しあって、ジョーはそっと頭に手をやる。
彼女の首には鳩のレリーフのネックレスが下がっていた。
いつも首から下げている大事なもの、彼女は死に追いやられてやっと控えめに、判りづらく感情を露わにした。
あの時から気持ちは繋がっていたはずだ。
「長い間、辛かったな……」
思わずそんな言葉が出ていて、彼女に言ったのか自分言ったのかよくわからなかった。
名前を呼んで胸に飛び込んでくる彼女を抱きとめると、ようやく救われた気がした。
* * *
レオと字利家が日本へ戻った後、神緋庵慈はもう一度”先見”の魔女と会う事にした。
何かを思いつめているような彼女に言わせなければならない事がある。
いつの間にか”五大魔女”のまとめ役的位置となっていた庵慈を向かい入れ、今度は魔女同士向かい合って座っていた。
「確定未来を変える事が出来ない、それはあくまでも真実。
あの子は自分の未来について一切聞かされていないようだったわね」
「……確定未来の楔は外れません」
「確かにそれは真実。でも過去も未来もその意味を変えられるのもまた真実」
大事な人を失い己を縛り付けていたころを思い出し、庵慈は窓辺の風景を見て微笑んだ。
「私が見たのは、あの娘が絶望の果てに自らをアサドアスルに差し出す光景。
そして彼女とアサドアスルが一つとなり、地上に出るのが確定未来。
地上に出た彼女が最初にやる事は……我々魔女の抹殺と法王庁の破壊。
アサドアスルは、世に出ればそのような事が出来る程の力を持つ、正しく邪悪な神なのです。
ただ……あの娘が絶望しているようには見えなかった」
「……そうね。定められた未来の意味が、変わるかもしれないわね」
さて、どう引っ繰り返す。
誰が言ったか、二階堂礼穏という名前を抹消された彼女はこう呼ばれるようになっていた。
「ハイパーレガシィ」
――超越の遺産と。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!