NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
31 *哀別/Here*3
「貴様も同族を裏切るのか?」
絹夜は彼女に応えず、ジョーに呟いた。
「後は任せた」
絹夜の言葉にジョーは体の痛みを忘れた。
頭をぶんなぐられたような衝撃を覚えたが、やがてそれは胸を突き刺すものに変わる。
何も言えなかった。
上手に答えられなかった。
だが、彼が認めてくれたのだから、任せてくれたのだから、子供の様にぐずって泣いてもいられなかった。
ジョーが後ずさり十分な距離を取ると銀子とクロウに手を貸し出口を目指す。
気がついてユーキも頭を床につけて肩を揺らしているレオを担ぐように支え、ルーヴェスに肩を貸す。
「敗退など……無様な」
扉は開いたままで、アサドアスルはそれを閉じようとしたのだろう。
僅かな抵抗があったが、オクルスムンディは許さなかった。
ジョーやユーキ達が扉の向こう側にようやくたどり着いた時、レオがユーキの腕を振りほどく。
「絹夜!」
視界に入ったのは彼の背中だけだった。
距離にしてたったの数メートルだ。
手を伸ばしても手首から先は無い。届くはずもない。
「人間の浅知恵もいいところだ。お前が私を捕縛する限り、私はお前を捕縛する」
「お前、まだわからないのか」
「ふん? 何をか」
「何故初代腐敗が死ぬとわかっていて――死して尚、継承者を守ろうとしたのか」
「……胸糞悪い」
そう吐き捨てたアサドアスルは恐らく、わかっていて否定していたのだろう。
ぎちぎちとアサドアスルの右腕が上がりはじめた。
「絹夜! 早くッ!!」
泣き叫ぶ彼女の声が聞こえる。
胸が張り裂けそうな痛み、本当に初めて感じた。
裏切ってしまったのだ。
彼女の愛を。
「絹夜ーッ!!」
ユーキを振り払って扉の内側に戻ろうとしたレオをジョーが後ろから羽交い絞めにする。
ジョーも漢所を押し殺し、そしてやはり言葉が浮かばない。
ただ、彼女まで巻き込んでしまっては、いつか、遠い未来、天国だか地獄かで彼に八つ裂きにされる事だけは間違いない。
黙ってレオを引きとめながら、ジョーも泣くのをこらえていられなかった。
「嫌だよ! いなくなっちゃうなんて!」
「すまん」
「約束したよね!? 連れて行ってくれるって!
どこでもついていく! 地獄でも!」
「……悪い」
レオの脳裏に、二人でどこに行こうかとはしゃいでいた絹夜の子供じみた笑みが突き刺さっていた。
あの時から彼はこの結末を覚悟していたのだろうか。
飛んだ嘘つきだ。
「嘘つき……大っ嫌い……!」
「……ごめんな。欲張れなかった……お前が生きていけるって、これからも笑っていてくれるって思ったら、満足しちまった」
アサドアスルの腕がのびきり、掌は扉に向けられる。
「ごめん」
酷く優しい言葉が泡の様に浮いて、石の扉が閉ざされる音に押しつぶされた。
彼女を止めていたジョーの力もふっと抜けてレオは残った左手で必死に戸を押した。
巨大な石の扉の前、呆然とする中、レオの呻き声だけが何度も何度も繰り返される。
「……絹夜のバカ。もう……笑えないよ。
私、このままじゃひとりぼっちで、絹夜の事をずっと思い出して、悲しくて毎晩泣きながら眠れなくて……!
そんな風にあと60年ぐらいもある一生過ごして、悲しくてやっぱり泣きながら死んじゃうんだよ!
手に入らないものをずっと欲しがりながら、独りで死んじゃうんだよ!!」
体の限界が来たのか、レオは扉にもたれかかり息を整えた。
絹夜は答えなかった。
ただ、その分厚い扉の奥から迷子の子供が鳴くようなしゃくりあげる声だけが聞こえていた。
正しい選択をして世界を救い、それでも後悔した男は欲望のままに選択して、満たされてた。
後悔はしていない。
覚悟も十分に出来ていた。
ただ、想像していたよりも心が痛んで今になって甘えて欲張った時の甘い感情が蘇る。
後悔はしていない。
覚悟も十分に出来ていた。
絹夜の目の前ではアサドアスルがオクルスムンディを突破し、頬杖をついて絹夜の心情を見透かし、笑っていた。
無様で哀れで惨めな醜態。
後悔はしていない。
覚悟も十分に出来ていた。
言い聞かせても心が潰れてじわりとわき出てくるものが押さえられなかった。
「レオ……レオ……!!」
どうして最初からこう出来なかったのだろう。
無様に、哀れに、惨めに愛を乞えばよかった。
遠慮とプライドなんてそう高くない壁のはずなのに。
自分はそんな壁も乗り越えられなくて、そんな壁がある事すら気がつかなくて、強引に引っ張りだされてやっと分かった。
許さなくちゃいけない。
欲望も、弱さも。
「絹夜」
押し殺したようなレオの声が扉の向こうから聞こえた。
そして、どかんという乱暴な衝撃の後、彼女があの邪悪な笑みを浮かべる気配を感じた。
全身がぞくりとした。
臓腑の全てた震えた。
「キミを誰にも渡したりはしない! 必ず取り戻す!」
そうだ、その旋律だ。
「絹夜を嘘つきにしたくない。一緒に行こう、地獄の果てまで!」
それが彼女からの最後の言葉だった。
地獄の果て。
面白そうじゃないか。
ただ、君がいる場所を地獄とは言わない。
ひとまず、長きにわたり続いたこの男の物語はこれにて終幕。
* * *
満身創痍で完全解放されたゲートから戻ってきたレオたちを待ち受けていたのは、黒いタンデムローターのヘリコプターだった。
まだプロペラ音を立てていることからして着陸したばかりなのだろう。
歩けず、全員が立つ事も出来ずその場で彼らが来るのを待つと、控えめに扉が開いて黒服の三人組が現れた。
そして先頭の隊長、藤咲乙姫は見知った男の姿がなく、また仲間達のこの有様を見て聞かねばならない事が喉で詰まった。
特に二階堂礼穏とルーヴェス・ヴァレンタインについては体の一部が欠損しているという壮絶な傷を負っている。
「……隊長、どうしましょう……」
ピリーが視線を泳がせて乙姫の横顔を伺った。
この二人は既に法王庁では生死問わずの討伐対象だ。
ここでとどめを指してしまえば大手柄である。
しかし、藤咲乙姫がそれ相応に有能であるにも拘らず、厄介者とされる暴走部下2人の世話係ばかりさせられて出世出来ない理由もビリーはよく知っていた。
きりっとビリーに視線を投げて乙姫は彼が思った通りの事を言った。
「最寄りの病院に連絡して。ヘリコプターで病院に運びます」
「はい!」
またしばらく出世できませんね、隊長。
心の中でそう呟きながらもビリーもジェーンも彼女のその美しい意志に惚れこんでいた。
どうにか意識のある鳴滝ジョーと赤羽ユーキの力も借り、全員をヘリコプターに乗せた。
どうして黒金絹夜はいないのか。
胸が痛くて思わず涙腺がじりじりと熱くなって、それでも泣くのをこらえると顔面がぐしゃぐしゃに歪んだ。
いつも危なっかしい事ばかりをしていて、心配ばかりしていた。
心配し続けて、心が壊れそうになった事もある。
まるで子供の様に無邪気だった彼。
そして時間相応に社会に慣れていく自分。
絹夜は子供が知らない大人に気を遣って話すような態度になり、そして自分はその歪みを受け入れ、同じように気を遣った。
大事にしあって、何も見えなくなっていた。
乙姫は意識が恐らく無いであろう二階堂礼穏に目を向ける。
ふと、彼女の受難の表情が10年前に見たまだ可愛らしい少年だった黒金絹夜に重なった。
「絹夜くん……」
呼びかけるとピー、と無線の受信音が機内に響く。
ヘリコプターを操作しているビリーにかわって、ジェーンが横から手のひらサイズの子機を乙姫に渡した。
「雛彦様です」
「ありがとう」
受け取り耳に着けると、雛彦はいつもの数倍も緊迫した口調で
いつもの挨拶も無く相手するのが面倒なねちっこい唐突に話に入った。
『現場はどうなった。無事なのか!?』
「あ――」
心の整理がつかず、乙姫は見たままの情報を機械的に伝えた。
いつからだろう。
そうやって鋼になる事が出来るようになったのは。
とても疲れるが、そうやって理不尽に付き合う事が出来た。
それでも雛彦の沈黙に耐えかね、乙姫の頬に涙が伝う。
だが、雛彦も同じように己の使命に心を預けたのか絞り出すように言った。
『残念だが、確定未来はやはり揺らがない。アサドアスル、二階堂礼穏のいずれかが消えなければ、世界に邪神が放たれる。
わかるか、藤咲。これが法王庁の意志だ。クソ喰らえなのは俺も分かっている』
二階堂礼穏を始末しろ。
何故か乙姫には、それが黒金絹夜を殺せと言われているように思えた。
「そのご命令は……確かにクソ喰らえです」
普段口にしないような事を言った上司にぎょっとしてジェーンが全列シートからふりかえる。
藤咲乙姫は懐かしむような表情を二階堂礼穏に向けていた。
いずれ、政府や法王庁は正しい選択を盾にしてそれこそ世界を脅かすだろう。
確定未来は揺らがない。
そして二階堂礼穏が圧倒的に正しい答えにどう立ち向かっていくのかを期待した。
神を踏破した聖魔混在の少年、正義に立ち向かう邪神の少女。
またしても巡りあった物語に乙姫は不謹慎と分かっていながら胸を躍らせていた。
やれやれ、やってしまえ。
神も悪魔も踏破しろ。
あの時と同じように念じながら、乙姫は微笑みかけた。
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