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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
31 *哀別/Here*1
「――我が名はアサドアスル。時代を屠る終末の獅子なり」

 黒真珠の髪に、血色のいい肌。
 たくましく美しい魔人だった。
 睨まれると全身ががくがくと震える。
 流れているのが人間の血である限り、恐ろしいに間違いない相手だ。
 黄金の装飾と黒いドレスを纏った彼女は、ゆっくりと訪問者の顔を見つめ、そしてレオで視線が止まる。
 ペリドット色の目と目がぶつかりあい、そして――!

「うあッ!」

 レオの頭がはじかれた様にのけぞる。
 邪眼ゴールデンディザスターを使ったのだろう、その間で競り合いがあり、レオが競り負けた。
 アサドアスルは冷笑し、そして左手をすっと上に上げる。
 同時に、レオの右腕もあがる。
 さらにそのまま何かに掴まれたかのようにレオの足が地面から離れ5メートル近くも浮いた。

「大事な肉だ。傷つけるわけにはいかぬ。
 お前はそこで人間どもが息絶えるのを見ているといい」

 レオはバタバタと中空で身をよじらせるが右腕は固定されておりびくともしなかった。
 そこにオーバーダズを使おうとしたが、魔力さえも遮断されている。

「そん……っくあぁッ!!」

 ぎちぎちと彼女の腕が捻り上げられた。
 透明の巨人の人形の様な状態でレオはアサドアスルを睨みつける。
 すると、アサドアスルは彼女の思考を読み取ったのかほくそ笑んで答えた。

「すぐには殺さぬ。お前の絶望が熟すまで、こいつらをいたぶり続けてやろう。
 一日か? 百日か? それとも一年か? 一人ずつか? それとも全員一度にか?
 さぁ、どの苦痛から見たい……? お前が決めろ、絶望の鎌を振り下ろせ」

 アサドアスルのペリドットの目がぎらりと輝いた。
 そんな中、唖然とする一行の最後尾から殺気が走る。
 今まで感じた事も無いそれは風を纏いながら絹夜の横を通り抜けた。
 ガキイィイン!
 金属音が鳴り、アサドアスルの左腕に派生した長い爪とルーヴェスが構えていた長剣が噛み合った。
 がちがちと均衡状態の音が響き、そんな中でもアサドアスルはにやりと笑っていた。
 両手で剣を押しこむルーヴェスに対し、アサドアスルは指先を立てているだけだった。
 あの強烈なルーヴェス・ヴァレンタインが全く歯が立っていない。

「お前からか」 

「腐敗の魔女をどうした」

「……お前、何だ?」

 傍観を決め込んだいてルーヴェスがここで真意を現し抜け駆けに走った。
 優雅で他人事だった態度とは違う。
 その腕にはぐろぐろと黒い蛇がはいずり、彼の構えた長剣はニャルラトホテプを装備したようだった。

「初代腐敗を取り戻しに来た」

「……貴様、随分と多くを知っているようだな。人間の分際で」

 ちらり、とアサドアスルの瞳が動き、自分の右肩を示した。
 そこには彼女を椅子の背もたれごと抱きかかえる様な女の手の形をした彫刻があった。
 乳色の滑らかなそれが、全て力を失った腐敗の魔女と、そしてアサドアスルと命運を共にしたアテムの戦士達だと悟る。
 それらが一緒になって彼女を引きとめ、縛り付けている。

「教えてやろう。この場所で何があったのか」

 アサドアスルが手首を返し、ルーヴェスの剣を振り払う。
 唯一自由な左腕を突き出し、静かに息を吐いた。
 すると眼前が歪み、フラッシュバックの様に光景が流れた。
 ここに座っていたのは腐敗の魔女だった。
 真珠の様な真っ白な肌に漆黒の髪を垂らした妙齢の女はシチリアの海を思わせる美しい青の衣を纏っていた。
 正面にはアサドアスルを先頭にした行列があった。
 光さす出口を背に向け、逆光の中で邪悪にほほ笑み何かを口にしたアサドアスル。
 腐敗の魔女は首を振って、答えた。
 お前達を倒し、喰らう力すら残っていない、と。
 同時に、光さしていた扉が閉められ、重い錠がかけられる音だけが残った。
 謀られた!
 それだけがアサドアスルの表情に刻まれ、そしてすぐに憎悪に変わった。
 まるで蠱術。
 最初からこの魔女と共食いさせる為に自分は生まれたのだ。
 さらに目の前にいるこの女はすれすら見抜いており、力を他の誰かに継承して切り札と相撃ちになるつもりでここにいる。
 貴様らアテムが欲しいと言ったから、この邪悪な力を人間の界に下したというのに!!
 アテムの一族を守るという使命の為、そしてそんな自分を崇め媚びる者たちの為に人として邪神に犯された屈辱にも耐えたのに!
 次の瞬間、アサドアスルの左右に立っていた青年達が、まるで水風船が割れたかのように液状化していた。
 どさり、と落ちたのは絞られた雑巾のように肉と布が噛み合った無残な肉体だけだった。
 アサドアスルは不格好な蛹の様な肉塊をつまみあげ、滴る血を啜る。
 恐ろしさに悲鳴を上げるアテムの戦士達は扉を叩くが門戸は固く閉ざされ、そしてその向こう側にいるであろう同族も彼らを見捨てた。
 腐敗の魔女は言った。
 人間は恐ろしい。無知蒙昧で残酷だ。
 彼女は立ち上がり青い瞳を向けた。
 弱々しかった。死ぬとわかっていた。
 だが、アサドアスルにはその穏やかな表情がただ事ではなかった。
 次の瞬間には五体がばらばらになった腐敗の姿があった。
 戦士が持っていた剣で跳ね飛ばされたその首の穏やかな表情は歪む事がなかった。
 物音に振り返れば、真紅に染まった少年兵が這いつくばりながらアサドアスルの足首を掴み――息絶える。
 壮絶なものを見た気がして、安心したのも束の間、美しい大理石の床を浸した血の絨毯から腕が伸びる。
 何本も、何本も伸び、あっという間にアサドアスルを、腐敗の魔女が鎮座していた椅子に縛り付けた。
 永久に沈め。
 腐敗の魔女の声が耳元で聞こえた。
 その映像全てが一瞬で、頭に記憶そのものを叩きつけられたかのようだった。
 己をも畏怖して腐敗と閉じ込めた浅ましい人間への侮蔑、憎悪。
 死の淵で裏切られてもまだ一族の為に戦おうとする少年兵。
 あれだけもさぼり喰らったくせに死というものに満足していた腐敗の魔女。
 破壊の衝動までが再現されて腸がぞっと燃え上がった。
 アサドアスルが恨んで、憎んでいるのは人間ではない。

「私が滅ぼしたいのは、愛そのものだ」

 抽象的な言葉を紡いてアサドアスルはゆったりとした動作でレオに人差し指を向け下から上へと突きあげた。
 同時にレオの悲鳴が上がり、彼女の手が真紅に染まる。
 かなり離れた距離のはずのアサドアスルの爪も赤く光り、彼女はそれを人間にしては異様に長い舌でなめとっていた。

「アテムの血……美味い」

 そしてガシャ、と素早く掌を返し、前に突き出した。
 爪の先は宙を貫いたというのに、大理石に血が滴る。

「な……」

 ルーヴェスの腹から赤いものが滲み出はじめ、そして彼は両膝をついた。
 警戒していたはずだ。
 しかも攻撃は届いていなかった。

「……何を、操っている!?」

 即座に剣から触手が伸びルーヴェスの体に巻きつき傷を修復計算式を構築し始める。
 攻撃力、再生能力に長けたニャルラトホテプを見て、アサドアスルは鼻を鳴らして笑った。
 さらにその左手が指揮をするように宙を滑る。
 応じて、剣を握ったルーヴェスの右腕があらぬ方向に曲がり、めきめきと音を立て外れて落ちた。

「――!!」

 痛みよりもルーヴェスはアサドアスルの問答無用の術に目を疑っていたようだった。

「蜘蛛! 止血を!」

 どさりと落ちたルーヴェスの右腕に宿っていた黒いものが泡を立てながら溶けていく。
 土蜘蛛の糸がルーヴェスの右肩の止血を行うが、ルーヴェスは声もあげず、そしてようやく結論を述べた。

「お前が操っているのは……私か!!」

「その通り。ゴールデンディザスターは”バァ”を操る至高の邪眼。
 私のこの熱き想いで満ちた魂をお前達にも分け与えてやる。
 憎悪を分かち合おうではないか!」

 憎悪。
 先ほど見せたのは彼女の憎悪の断片だったのだろう。

「贄よ、絶望しろ。お前の絶望でこいつらを満たしてやる。
 絶望こそが私のご馳走」

 アサドアスルの黄緑色の目が輝いた。
 途端に腹の中に生温い鉛を入れられた感覚が起きて、手足にやり場のない力がこもる。

「う……!」

 銀子が体を小さくして震え始めた。
 クロウもその憎悪に正面からアタックされたようだ。
 そしてジョーとユーキは受け流そうと平静を保つよう試みたがそれが原因で喪失感に襲われる。
 絹夜は――思い出していた。


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