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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
3 *賭博/Totocalcio*3
 狭苦しいロッカールーム、制服の違う連中に囲まれながらジョーは木刀を背に構えていた。
 それは攻撃の意思がない、という態度でもあるが、相手がどうだかはわからない。
 カビ臭いロッカールームにはサンドバッグが下がっていることから、ここはボクシング部か何かの部室なのだろう。

「鳴滝、性懲りもなくまたきちゃったかぁ。お前、ずいぶん金に困ってんだな」

 髭を生やしたやせぎすの男がジョーをねめつける。
 青あざだらけの顔面で苦笑いを作った。

「そうなんだよ、金、いるんだよ、俺」

「女にでもみついでんのか? ははっ」

「ははは、そんなとこな――」

 ジョーの言葉が終わる前に男のかかとが鳩尾に入った。

「ぐ……ぉえ……」

 その場に膝をつくジョー。
 からん、と木刀が落ちる音に続いて、ジョーは手をついた。

「俺達的には助かるんだけどなぁ。お前みたいな顔だけのヤツがこういう所に乗り込んでくれてよ。
 くははは、じゃあ、今日も頼むぜ。ああ、ちったぁ反撃しねぇと八百長がばれるからよ、少しはやる気出せよ」

 景気のいい笑い声をあげて男たちが去っていく。
 そんな中、ジョーはようやく起きあがって腹を押さえた。
 このバイトを始めてから腹にまともに食べ物が入らない状態になってしまったし、そのせいで手足は痺れて反応が悪い。
 ただ、今は無茶してでも金が必要だ。

「くっそ……!」

 木甲漢高校では秘密裏に学生同士の喧嘩試合が行われている。
 そしてその試合での勝敗予想賭博で儲かっているのが先ほどの不良連中なのだ。
 ここ最近では挑戦者を他高から無理やり引っ張ってくると言った手を使っている。
 それを知ったジョーは最初自ら木甲漢高校に乗り込み、チャンピオンとなる豊辺という男を倒した。
 だが、それでは面白くないのが開催者の不良たちである。
 ジョーに賞金は出ず、代わりに八百長の話がきた。
 金が必要だったジョーは自分のプライドと身を支払って数万の大金を手にした。
 見ている側からも、ゴリラみたいな豊辺に顔のいいジョーがぼこぼこにされるのがたまらなく楽しいらしい。
 ジョーは自分の見た目も気にしないし、プライドも高くはないが、間違ったことをしている自分には腹が立った。

「俺……ほんっと、情けないよなぁ……」

 自分が未成熟な自覚はある。
 大人のなろうともがいている。
 それが青春なのだろうと、達観さえしている。
 脱皮は苦しいものだし、うまくできなければ死ぬ事だってある。
 だけど、答えをしっかりかかえているのにそのカードをきれないもどかしさは何だ。
 ふと、青い光を灯す悪魔のような男の背中が思い浮かんだ。

                    *              *             *

 木甲漢高校は暗くなり静まり返っていたが、体育館の明かりは漏れており、絹夜とレオは闇に乗じて体育館の裏手に回った。
 すでにわいわいと声が響き、中で何かが行われているようだ。
 体育館下部の窓ガラスをそっと開けると、そこには木甲漢高校の制服が主であるも、他高の制服も混じっている。
 やじと罵声、歓声が飛ぶ中央では、大男とジョーが対峙していた。

「どおおぉぉりゃあああッ!」

 大げさな掛声と共に隙だらけな状態で突っ込んでいくジョー。

「あ! あいつ、わざとッ!」

 調子が悪かろうと、ジョーが攻撃の合間に隙を作るわけがない。
 難しい言葉を知らずともレオにもそれが演技であることが見てとれていた。
 だが、ジョーの頭を大男が掴んで無残に床に押し付ける。
 次に持ち上げられた彼の鼻からは鼻血が吹き出し、顔面血だらけになっていた。

「ぐあぁゥ!」

 ジョーが攻撃を受ける度に歓声があがる。

「黒金、止めないと!」

 だが、絹夜はピクリとも動かなかった。
 その様子をまさしく影から見守るつもりなのか。

「…………あいつの戦いが終わるまで手は出さない」

「でも、ジョー、あのままじゃ……!」

「俺たちがここでお仲間ごっこ見せつけてみろ。
 あいつの傷とプライドが無駄になる」

 その間もジョーの呻き声が続いた。
 片目の上は腫れて視界もないだろう中、なかなかジョーが倒れないものだから今度はブーイングが始まる。
 木刀を構え、ふらふらと立ち上がるジョー。
 瞳孔が開いていて、もしかしたら気を失っているのかもしれない。
 だとすれば、その体を引きずっているのは彼が大事にしてもいないなんて考えていたプライドだ。
 それを見てすっとレオが立ち上がったが、その手を絹夜が掴み制した。

「おい、こら。手ぇ出すなよ」

「納得いかない! 全然わかんない、黒金の言ってる事! ジョー、あんなぼこぼこにされてるのに!」

 とうとう押さえつけていた感情を露わにしたレオに絹夜は溜息をついた。
 自分は圧倒的に正しい。
 それを証明して、自分が知っている答えを彼女に叩きつけてやりたくなった。

「ジョーの感情を考えれば手出しをしてほしくないはずだ。
 どうしてあいつが望んでいない事をする。そんなに嫌がらせが好きなのか?
 あいつはプライド捨ててまで欲しいものがあるんだ、それなりの代償を払うのは当り前だろう」

 我ながら次々に嫌味が出てくる。
 散々言ってしまった、そう思いながら絹夜はレオの反応を楽しみにしていた。
 誰かの事を考えられなかった自分は面白がって首を突っ込んだだろう。
 どこかで彼女が自分と同質である事を望み、また彼女が違う生き物である事も望んでいた。
 きっと腹の底が震えるような視線で睨みつけるレオ。

「そんなつまんない理由なの……?」

 それが彼女の答えで、絹夜は心底驚いた。
 掴んだ腕が振りほどかれ、レオが体育館の中に入って行ってしまう。

「つまんない……?」

 やばい。
 思考のるつぼが口を開きかけて絹夜は冷や汗をかいた。
 今は考えるな!
 理性で不安に蓋をする。
 
「ち、どいつもこいつも……!!」

 同じくして絹夜も体育館に突っ込んでいった。
 丁度ジョーが倒れどっと盛り上がる。
 中央のゴリラみたいにひときわデカイ対戦相手が倒れているジョーにもう一発蹴りを入れる。

「ッ」

 苦悶の声もあげられず、ジョーの体は仰向けになる。
 もう一発、今度は踏みつけるようにゴリラ男の足が持ち上がった、その時だ。
 ドカン、と場違い極まりない騒音を立てて体育館の扉が開かれた。

「ジョーッ!」

 全員が視線を向けた時には既に両腕に生徒をひっつかんではなぎ倒しとまさしく獣のような暴れぶりだった。

「な、なんだあの女!」

「邪魔すんじゃ――!」

「どけぇ、コラアアァァアァ!!」

 一人の顔面を掴むとそれを武器にするように二人、三人と打ちつけて一人目もぶん投げる。
 猛獣でも暴れているような有様だった。

「やれやれだぜ……」

 そしてもう一人、彼女の後ろからゆっくりとついてくるふざけたデザインのシャツを着た、痩躯でまるで荒事とは無縁そうな男である。
 もう一人の侵入者に不良は今度集まっていった。
 わっと取り囲まれる中、絹夜の小声がジョーにも届いた。

「――召喚」

 ずいっと右腕を前に突き出す。
 一気にそこに青い火が灯り、腕を覆った。

「!?」

「俺にも参加させてくれよ、なぁ」

「……てめぇ、そりゃなんだ……!?」

 得体のしれない炎に恐れながらも、懐からナイフを出して絹夜に近づく不良生徒。

「なぁ」

「聞いてんのはこっちだろうが!!」

「なぁッ!!」

 すっと右から左に閃光が走ったと思った頃には、不良生徒の鼻先が数ミリ削れて宙に浮いていた。

「ほうわっ!!」

「他にトナカイさんになりてぇヤツはいなぇか?
 前でてきな。俺が相手してやるぜ」

 挑発的に両手を広げると、一斉に不良どもが飛んでかかった。
 人数差で圧倒的有利だろう、そんな考えが通用するはずもない。
 子供と戯れるような緩い動作で絹夜はどの攻撃も受け流し、ブロックし、力の差を見せつける。
 平和的におちょくっているというのにそれをレオが横から片っ端からなぎ倒していく。
 全くもって息の合わない二人だった。

「…………ッ!」

 意識を取り戻したジョーはようやく立ち上がりその様子を見ていた。
 自分の殴られてきた傷が台無しだ。

「おいおい、こんなんで悪ぶってんのか?」

 ものの数分でその場にいた連中のが床に這い突くばる惨状。
 ジョーを一方的に殴っていた豊辺がレオの前に出たものの鳩尾に拳を入れられあっさりと沈められた。
 取りこぼしを絹夜が後ろから掃除していたものの、レオはおおよそ一人で高校1つ分の不良グループを鎮圧した。
 いいや、まだ残っている。
 かつかつとうめき声をかき分けレオはジョーの目の前に立った。

「あ〜ら、こんなところで奇遇ね〜」

「ホ、ホントに奇遇……」

 切れた唇はうまく言葉を紡がなかった。
 助けを求める様にジョーの視線が絹夜にいく。
 それにもいつものように、さぁな、と絹夜は肩をすくめる。
 助けは空しくかわされ、覚悟を決めたジョーはレオに木刀を向けた。

「これは俺一人の問題なんだよ! 邪魔すんじゃねぇ!」

「一発くれてやんないとわかんねぇのか」

 レオが駆けだす。
 ジョーは片手で木刀を構え、それを迎え撃つつもりだ。
 だが、レオは三メートルも手前で床を蹴り宙を舞っていた。

「反省しろおおぉぉお!!」

 当然満身創痍なジョーの木刀がロケットのようなひざ蹴りを裁けるわけもなく、レオの膝がジョーの顔面にめり込み、
 そして結果的に助けに来たジョーまで撃沈、それでもレオの気は収まっていないようだった。
 ぶっ倒れるジョーは白目をむいて意識があるとは思えないのだがレオが仁王立ちで怒鳴りつけた。

「お前は一人で生まれて、一人で生きてんのかッ!」

 その後ろ姿に絹夜は混乱していた。
 自分を押さえつけている彼女が途端に怒り狂ったトリガーは何だったのだろう。
 それはかつての自分、風見チロルによく似ていて、しかし全く別のものを背負った少女だった。
 彼女が何故言葉にしないのか、出来ないのか。
 絹夜は憤怒に似たその感情が少し羨ましく、眩しく感じた。

                    *              *             *

 ぞるぞるぞるぞるっ。
 ずいぶんな音を立てるものだ、と絹夜が横眼でレオを見やる。
 自分にもジョーにも腹を立てているのだろう、ツンツンした態度がより一層、刺々しくなっている。
 港区に戻った頃にはいい夕食時だった。
 ぼろぼろのジョーをバイクに乗せて帰ると、彼は急にラーメンが食いたいとごねりはじめた。
 レオも帰り道ずっと機嫌を曲げているので、単純な連中に餌付けという名目で絹夜は近所のラーメン屋『対対(トイトイ)』に入ったのだが、
 ジョーはともかくレオはラーメンで機嫌が治りそうもない。
 怒りのバロメータが高いのか彼女の目の前に登場したのは特盛り激辛レバニララーメンというとにかく真赤な代物だった。

「あー、教師に奢ってもらうラーメン最高」

 パンダ顔にさらに傷を作ったジョーはうっとりとした表情を浮かべようとしたのだろうか、それが不気味で仕方ない。

「おや、兄さん先生かい」

 ラーメン屋のオヤジに話に割り込まれて絹夜は、そうかもな、とクールに答えた。

「愛想ないけど、優しいんスよ」

 ははは、とジョーと笑い合う店のオヤジ。
 さっきまで満身創痍で殴られ続けた人間とは思えない。
 調子よく食欲もあるようなので絹夜はあえて突っつかずにビールを傾けていた。

「先生もレオも、悪いな……相談できなくって」

 ぞるぞるぞるぞるっ。
 景気のいい音で答えたレオ。

「貧乏はわかったが、そこまでしてなんで金がいるんだ」

「うん……ほら、もうすぐ母の日でしょ。
 うち貧乏だし、母親入院してて、家事してるの妹たちだし、女陣全員にプレゼントしたかったわけよ。
 急に金が必要になったら無理するしかないじゃんか」

「…………」

 レオの箸が止まった。
 絹夜は肩をすくめる。

「ぶっちゃけ、レオ……親のこと気にしてるだろ。だから、なんか相談できなくってさ、ごめんな。
 センセも、ごめん。俺結構、こういう性格なんよ」

 どんぶりを口にもっていってスープを一気飲みすると、レオはどかんと乱暴にどんぶりを置いた。

「私は好きにしただけ。謝らないで、気持悪い」

 遠慮なしの言葉をぶつけたレオに苦笑するジョー。
 その一方、絹夜は頬杖をついて考えていた。
 ”一人で生きてんのか”
 そんな言葉、十分に愛されて育った人間の言葉じゃないか。
 あの時の自分は本当に他者の存在を薄っぺらく、時に無いものと感じていた。
 愛されているとか、愛しているとか、そんなものは理解出来なかった。
 ようやくそれが形になってきて、しかし誰かに伝えられるほど明確でもなくて、今だにそのカードを出し損じている。
 愛ってなんだ。
 明確な答えを知りたい自分がいた。
 そうすれば、自分も誰かにとっての光になれるんじゃないか。
 ――彼女の憤怒の理由を知りたい。
 ――彼女の憤怒の理由を知りたい。











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