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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
1 *再来/Return*1
 厳かな教会の空気、ステンドクラスを透かし降る月の光。
 キリストの磔刑を象る祭壇の前に人々の視線は集まった。
 静かな銀色を灯したいばらの冠だ。

「エントリーナンバー13、イエス・キリスト聖遺物”いばらの冠”で御座います。
 300万ユーロから」

 おお、と歓声が上がる。
 タキシードとドレス姿の男女、そして次々に金額を示した指が上がる。

「350!」

「370!」

「380!」

「385!」

 薄暗がりの中、顔を隠した金持ちたちの声が上がる。
 伝説のイエス・キリストの聖遺物”いばらの冠”を巡って数字が重なっていった。

「387……!」

 初老の男がまわりを見渡しながら苦々しく手を挙げた。
 ここまで値がつり上がろうとは、その感情は声色にも表れていた。

「387……他にいらっしゃいませんか?」

 静まり返る中、ほっとするような初老の男のすぐ目の前から穏やかな声が流れた。

「500」

「――ごっ!?」

 どよめきの中、声の主は二コリと司会に頬笑み頷いた。
 センスのいい新作のジャケットを着こなした品のいい中年男だ。
 黒い髪と口元の髭が力強い印象さえ持たせるが、その笑顔が柔和で司会は呆けた。
 ようやくどよめきが沈黙に替わり、司会も自分の役目を思い出す。

「ほ、他にいらっしゃいませんか……?」

 封じられたように沈黙する教会の中。

「では、聖遺物”いばらの冠”は500万ユーロで決まりです!」

 拍手喝采、その中で人の声がぼそぼそと流れていた。

「ルーヴェス・ヴァレンタイン伯爵ですわよ」

「先日も本物かもわからない聖遺物”聖釘”をずいぶんな金額で落札されたそうじゃないか」

「ふん、田舎出のオカルト作家が何を考えているのやら、不気味で仕方がない」

 拍手が止み終えると同時に、その言葉の数々も小さくなっていく。
 その様にさえ、男――ルーヴェス伯は穏やかに苦笑するばかりだった。
 ドォルゥゥン……。
 しかし、その中に獣の唸り声を聞きルーヴェス伯はふと外が気になった。
 拍手が止み終わっても、もう一度それは唸った。
 ドォルゥゥン……。
 低く、震わすような音に他の人間も気がついただろう。

「…………?」

 エンジン音?
 人の考えを遮るように、挑発するようにまた一つ、さらに大きく唸った。
 祭壇の上の”いばらの冠”を下げようと、脇から女性が祭壇に上がろうとしたその時だ。
 教会の中全体が暗くなる。
 ふと、ステンドグラスを見上げると、そこには巨大な影が覆っていた。

「――?」

 次の瞬間には、ガラスの割れる美しい音が石造りの壁に響いていた。

「!?」

「きゃあああぁぁぁッ!」

 月夜を背負い、キリストの姿を打ち破り現れたのは鋼の獣に跨った黒い影。
 祭壇を跨ぎ着地したそれが大型のバイクだと気がついた頃にはそれは踵を返し祭壇に向かう。

「何だ、お前は!!」

「ガードマン! 撃て!」

 懐から銃を取り出すその一瞬でバイクは祭壇を舐めるように一周し、銀の冠はその騎手の手に大人しく収まっていた。

「お待たせ、ベイビィ」

 黒服の騎手は冠にキスをして頭の上に乗せる。
 シャープなデザインのサングラスが乗った白い顔は白人、顎のラインは東洋系。
 曖昧な、しかし鋭い雰囲気をもったその青年は余裕の一笑を残し、銀色の冠をかぶったまま出口に直進した。
 木の大戸はしっかりと閂を刺されており、押したくらいでは開きそうもない。
 大戸がライダーを止めるのを期待し、ガードマンたちがたたらを踏んだと同時に、ライダーの右手が素早く十字を切った。

「open sesame……!」

 刹那、右手に青白い光が灯り、ライダーがその手を突き出すと牙のように鋭く閂を貫いた。
 悲鳴を上げる間もなく閂は木屑をまき散らす。
 同時に大戸がまるで避けるように口を開く。
 青い光の残像を残し、黒衣のライダーの姿は闇の中に溶けていった。
 静かに騒然となる教会だけが残った。

 この世には、見てはいけないものがある。
 この世には、踏み込んではいけない領域がある。
 古今東西のそれを全て、”魔”と呼んだ。
 人がそれを恐れる限り、”魔”は生き続け、”魔”がある限り、それを狩る者がいる。
 そうして彼らは”聖”なる力を手に入れた。
 しかし、その力は清きものではない。
 生きるための、至高で純粋、そして鮮やかなる強い感情の力なのだ。

                    *              *             *

 のどかな葡萄畑の続く田舎町を超える一台の黒いバイク。
 片田舎に似合わない最新デザインのバイクに向って、葡萄畑の農夫が手を振った。

「久々のご帰還じゃないか。仕事はどうだったい?」

 この田舎には子供と老人ばかりで静かな町に出入りする人は彼くらいだ。
 黒の似合うその青年は、自身に溢れた笑みと一緒に親指を立てたサインを送った。

「ははは、そうかい!」

 仕事は何をしているのかわからないが、都会染みたいい服、いい車を乗り回して相当もうかっているようだ。
 しかし高ぶったところもなく、むしろ都会の喧噪よりもこの静かな町が彼にはいい環境なのかもしれない。
 得体が知れないのは確かだが、これといって騒ぎを起こすような男でもなく、街の老人たちは息子のように彼の帰還を喜んでいた。
 年齢の割に落ち着いた雰囲気、口は悪いが頼りになる、そんな若者だった。
 何より、神秘的で力強いルックスを持っている。
 黒髪黒眼、このあたりではないアジア系のすっきりとした顔立ちだ。
 数少ない年ごろの娘の注目も集めて今では街で彼を知らない人間はいない。

「ね、キヌヤ」

 バイクを下りたところでジャケットの裾をつかまれた。
 サングラスを持ち上げると、そばかすの浮いた頬に茜を指す金髪の少女の懐かしい顔があった。

「よう」

「おかえり、キヌヤ」

「ああ。アメリ、お袋さん元気か」

 バイクの後ろにあるアタッシュケースを乱暴に持ち上げて絹夜は小さなコテージを見上げた。
 町の外れ、さらに孤立するように建てられた小さなコテージの階段を上る。
 木々と小鳥の鳴き声の中でゆっくりと時間が流れていく、そんな場所だった。
 ただし、ドアを開くと埃をかぶったリビングが広がる。

「元気だよ、ここ最近は」

 絹夜の後を追うように部屋の中にまで入ってきた少女を視界に入れず、
 ふーん、と生返事すると、彼はリビングのテーブルにアタッシュケースをどかんと乗せた。
 何するでもなく、ソファの上に腰かけると埃が舞う。
 黒いジャケットの上に埃のつぶがよく見えた。

「ホント、調子いいみたい。いろんな意味でね」

 そういって少女は紙袋を絹夜につきつける。
 なんだこれ、と表情で語って一応受け取ると早速中をのぞき見た。

「……キドニーパイ」

「ママが”絹夜さんがおいしいっていうかちゃんと聞いてきなさい”って」

「…………。お袋さん、元気だな」

 絹夜はキドニーパイを見て一瞬ためらった。
 しかし、アメリの視線がしっかり構えているという事は喰うまで帰らないという事だ。

「ったく、どいつもこいつも暑苦しいやつらだぜ……」

 そう言いながら口にパイをもっていくと、いつもの味が広がった。
 苦味のあるパイの一口をゆっくり咀嚼する。
 その度に絹夜は想い出を掘り下げた。
 嵐の日だった。
 でかいヤマをドジった。
 マフィア相手にドンパチをくぐり抜けたあとは自分を狙っている法王庁がドカドカ遠慮なしにやってくる。
 結局、嵐の夜にこの町に行き倒れていた、それはもう苦い想い出が蘇った。
 この町で最初に口にしたのがこのアメリの母親のキドニーパイなのだが――。

「俺、キドニーパイ嫌いだっつってんだろ」

 そう言いながらやっつけで口の中のものを飲み込む絹夜。
 肝臓や血の匂いと感触が苦手だった。

「この町の人たちはみんな好きなのに」

 無理やり口に詰め込んでようやく絹夜は立ち上がり小さな冷蔵庫からビールを取り出してそれで流し込む。
 ついでにそれで口をゆすいでいるのだから失礼な話だ。

「キヌヤ、おいしいって言わないの!?」

「いわねぇよ。ホラ、用事すんだろ。帰れ」

 しっし、と手でやるとアメリは大人しく引き下がったが玄関先までおいやると、頬を膨らませて訴える。

「ママ、キヌヤのこと好きなんだよ! いっつもにこにこしながらキヌヤの話するんだよ? 再婚してあげてよー」 

 何度聞いた話か、絹夜はアメリの顔面を押しのけ押しやった。
 ふと、見上げてみれば町の方向から派手なポルシェがやってくる。
 コケティッシュな面構えは運転席の女に似ていた。

「黙れ、ガキ。そういう話はお断りだ、じゃあな」

 早くアメリを退散させようと言葉を連ねてまくしたてた絹夜。
 すでに視線はポルシェの運転席にあった。

「じゃあ、私が絹夜のお嫁さんになってあげるよ」

「十年後から受け付けてやるよ」

「もーッ!!」

 バタバタと手を振り回し、町の方向に走っていくアメリ。
 入れ替わるようにしてコテージの前に止まったポルシェの運転席ドアが開き、まず黒いタイツの両足が現れた。
 そして白いビジネススーツに赤い髪を垂らした女が降りると、親しげに絹夜に手を振った。
 高温では溶けてしまいそうな甘い美貌に上品な笑みを湛えた彼女は絹夜の正面に立ち、途端に仁王立ちになった。

「相変わらずモテモテねぇ、絹夜くん」

「派手好き治らねぇのか、保健医。目だってしょうがねえ」

 赤い髪に美貌のこの女は、絹夜の学生時代――法王庁のエージェントとして高校に潜入捜査をしていたのだが――のある意味恩師、ある意味反面教師だった。
 それも今では過去の事。
 この女と絹夜の最大の繋がりは”魔女”である。

「おもしろいモン、あんでしょ。見せて頂戴よ〜」

「おもしろかねぇよ」

 そう言いながら女を部屋に上げて、リビングのアタッシュケースを開く。
 そこには、先日フランスのオークション会場でかっぱらった銀色の冠がスポンジの中でそっと光っていた。

「…………聖王ルイ9世がラテン帝国皇帝ボルドワン2世から大金を支払って手に入れたキリストのいばらの冠!
 おもしろいじゃない、絹夜くん! フランス革命の時に破損したと思われていた聖遺物よ!
 私、これほっし〜い!」

「あへーん…………ふーん」

「全然興味ないのね」

「フランス革命からずるずる現存するガラクタに興味ねえ」

「悪かったわね、ガラクタで!」

 ジャケットを脱いでソファに横になった絹夜は頭にジャケットをかぶり、くぐもった声で女に聞いた。

「何の用だ、”真実の魔女”神緋庵慈。お前がもってくる仕事の話は基本的にプラマイゼロなんだよ」

「ふてくされないで頂戴、”腐敗の魔女”黒金絹夜」

 ”真実の魔女”神緋庵慈はソファの向かいに座って5年ぶりにもなる彼のふてくされた姿を見て笑った。
 世界五大魔女というものがある。
 世界裏に”魔女”という魔力の持ち主が存在する今、それを凌ぐ魔力の持ち主には称号がつけられている。
 ”真実の魔女”、”腐敗の魔女”、”隻眼の魔女”、”機械仕掛けの魔女”、”先見の魔女”。
 それぞれが力の継承や、自らの延命を行いながら現代まで生き延びているわけで、
 庵慈はフランス革命の激動に生まれそして魔女として生まれ変わった存在だった。
 そんな彼女とも高校時代の一件で厄介を押し付け合う仲になっている。

「今日は直接お金にからまない話だから」

 彼女がそう言いながらテーブルの上に置いたのは分厚い書類だ。
 見もしないのに興味がないと体現するかのように絹夜は背中を向けた。
 それでも庵慈は話を続ける。
 彼は興味があればその態勢でも”見える”からだ。

「10年前、あなたが通っていた私立陰楼学園は地脈の関係から魔力を溜めこみやすい立地にあった。
 どういうわけか、東京って場所はそういうトコなのよ。
 最近同じようなところがまた見つかったわ。楽しそうでしょ」

「ほー」

「問題なのは、何が原因で魔力の反応が出ているのかわからないところ。
 地脈とかも、全然関係ないみたいで原因不明なの。それで他の魔女たちは手を出すのをためらってるわ。私もね」

 魔力がテーブルの上を走る。
 探るように庵慈の置いた紙の上を走ると絹夜の上半身がむくりと起きた。

「私立九門(ここのかど)高校。学生達の間ではナインスゲートって呼ばれているわ」

 ジャケットがずれおち、絹夜の目が鋭く庵慈を睨んでいた。
 シベリアンハスキーのような青白い瞳が輝いている。
 魔力を使った時に彼の目の色は一時的に青味を帯びるようになっていた。

「どう? 興味わいた?」

「で、こんな書類持ってきたのか」

 そういって絹夜は見てもいない書類を指した。
 いや、見ていたのだ。
 彼の能力の一つ”オクルスムンディ”である。
 透視の目、千里眼といえば一般的だ。
 その書類には雇用の難しい内容が細々と記載されていた。
 早い話が、その九門高校の教師の雇用書である。
 当然、偽装だ。

「本当は私がサインするつもりで下準備してたんだけど、な〜んかこう……乙女の肌には合わないって言うか。
 正直、ちょっとこて先でどうなる話じゃなさそうなのよね。
 そうなってくると、か弱い魔女の私よりもあなたの方が適任でしょう?
 ”腐敗の魔女”黒金絹夜――元・戦闘神父、黒金絹夜」

 元・神父。
 その言葉に絹夜の眉が吊り上った。
 この男、魔女である。
 そして、神父でもあった。
 相反する”聖”と”魔”の素質を持つ、稀な存在だ。

「当然、俺がそこで何を見つけて自分のものにしようとも、誰の文句もねぇってことだな?」

「そうね、世界の覇権でも握ってきたら」

 ちまちまと他人のものをかっぱらうのにも飽きたところだ。
 庵慈が差し出した万年筆を受け取り、絹夜はその場で偽造の書類にサインした。

「楽しいパーティーになるといいな」

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