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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
3 *聖剣/2046*1
 大嫌いな幻影を思い出した。
 同時に、蘇るさよならの歌と夕映えの光。
 草笛が奏でるか細い音色が確かに遠くまで響く。
 石橋の上から見る聖都の夕日。
 その黄金の影は、誰そ彼?

 彼は誰?

                       *              *             *

 足首から腿までジッパーを引き上げ、ラバーブーツを装備する。
 さらにその上からローラーブレードのローラーの部分を外したようなものを装着。
 左右に広がった留め金をワンタッチでセットして、固定完了。
 後方に逆立てた金髪と大きなサングラス、ヘッドマイク、
 黒いシャツに白いネクタイ、やたらフリルのついたミニスカートの出で立ちはまるで、いや、完全に優等生風見チロルではなかった。
 パンク調の衣装に銃入りホルスターと従来の半分程度の大きさのキーボードを腰の左右に巻きつけているあたり、よそを歩くカッコウではない。
 最後に黒いウエスタンハットをかぶって、これが本来の姿、盗賊ネガティヴ・グロリアスなのだ。
 校内の隅である警備室で着替えを済ませるとチロルはホルスターから銃を抜き出す。
 この世界では精製されるとこのない物質プリマテリアのワイヤーガンだ。無骨な音を立てて正面に構える。
 メンテナンスの必要はない。
 この感触で彼女にはわかるのだ。
 警備室の奥の居間からぱん、ぱん、ぱん、と心のこもっていない拍手が届く。

「さすが、様になってる」

「卓郎、お前は今夜どうするんだ?」

 居間の方から顔を出した青年にチロルは肩越しに問う。
 うーん、と子供っぽく首を傾けた卓郎。そして、首を振った。

「見てるよ」

「そうか」

 このところ覇気の無い卓郎。本来はもっと、もっと飄々とした人間だ。だが、彼のローテンションは今に始まったことではない。
 新しい仕事に入るたびに彼はエンジン不調でスタートダッシュが出来ないのだ。
 知識は十分に育っている。だが心はまだ子供だ。あまりバランスのいい人間とはいえないが、今のところ、彼が悪いほうに転がったことは無い。
 居間に戻って二つ折りにした座布団に頭を預けて横になった彼にチロルは溜め息をあてつけがましくついた。
 反応は特になく、エンジン始動にはまだ時間がかかるようだ。
 銃をホルスターに収めてチロルは華麗にローラーブーツを操作して音一つなくドアにひとすべりで辿りつく。
 無音のローラーも彼女の武器である。
 チロルは物理的な隠密術を、卓郎は電脳の隠密を得意としているのだ。
 部屋をでて第一に向かうのは校門前だ。
 まだ絹夜と小林の決闘が始まる前の時刻である。そこで絹夜を捕まえておけば後は勝手にやってくれる。
 だが、そこでチロルには気になることがあった。
 絹夜はどこまでやるのだろうか。
 もし彼が、魔女の殲滅を目的に魔女を殺すのであればそれはチロルの意向に反している。
 あの得体の知れない武器がなんなのか。
 
「知れば知るほど嫌な予感がする……」

 チロルの呟きは完全に静寂に沈んだ校舎に響いた。
 影のように長い廊下を滑って移動すればすぐに昇降口。
 青白い月の光がひっそりとした下駄箱とすのこに降っていた。
 空が夜だというのに眩しく明るい。
 こんないい天気の夜ほど血が騒ぐ。その感覚をチロルは知っていた。
 月の魔性に惑わされないように急ぎ、校門の前に立つ。
 ここで絹夜を待っていれば、あの男の性格だ。正面きってバイクで乗り込んでくるに違いない。
 校舎から寮には少し道があった。林を数百メートル迂回した道の先に寮があるのだが、危険な林をバイク突っ切れば歩く手間も時間も省ける。

「しかし、あの男……」

 チロルが考察を始めたその時、急に森が騒がしくなる。
 夜の静まった空に鳥の影が舞った。

「来たか……」

 チロルの溜め息。それはあのエンジン音を確認したからだ。
 あの神父の使い魔のような鉄の猛獣は茂みから飛び出してチロルの前で急ブレーキの悲鳴を上げる。
 またがった黒衣の騎手はサングラス越しにチロルを睨んだ。

「ひき殺されたいのか?」

 冷静を取り繕っているが絹夜は驚いている。
 それを見越したチロルはここぞとばかりに反り返った。

「お前の魂胆くらい見えている。どうせ私抜きに好き勝手暴れる算段だったのだろうがそうはいかない。
 頭は回るが無計画な男だな、お前は」

「なんだ、そのカッコウは。コスプレか?」

「お互い様だろう」

 絹夜のほうも金の刺繍が豪華な黒い神父服に身を包んでいる。白手袋と、大きな金十字が闇にまぶしい。
 チロルほどではないが、彼の服装も普段着とは遠く離れた代物だった。
 法皇庁の制服である。ミッションの際の着用を義務付けられた対魔加護の戦闘服だ。
 それを完全趣味のコスプレと一緒にされて絹夜は眉を引くつかせた。
 だが、チロルにとって今は絹夜が何を言おうと関係が無い。

「黒金、小林との決闘の件だが、少々耳に入れておいたほうがいいことがある。陣屋といって……わかるか?」

「さぁ」

「学園で言う、美術部だ。連中は金次第で強烈な魔方陣を精製する。魔力が無いもの、弱いものでも使えるようなアイテムも作り出す。
 魔女部の意向が獅子ならばハイエナのような連中だ。金次第でやるところまでやる。小林も何らかの魔方陣を買ったらしい。
 効果のほどはわからないが、あそこまでされたお前に復讐しようと呼び出すくらいだ。何かやつには策があるに違いない」

「罠に怯えるほど軟弱ではない」

「お前はどうしてそこまで驕り高ぶれる……。呆れて物も言えないとはこのことだ。
 まあいい、私は今回のことには一切手を出さないことにした。それから、別件でもう一つ」

「早くしろ」

「…………。小林を殺すのか?」

「また偽善を吐くか」

「答えろ……いや、教えて欲しい。お前は人を殺すのか……?」

 チロルの想いとは裏腹に、絹夜はあっさりと答えた。

「法皇庁浄化班では殺人は御法度だ」

 殺さない。
 それが答えだ。
 そして、殺せない。
 それも答えだ。

「そうか、私の考えすぎだった。疑心暗鬼、これも悪い癖のようだ」

「いいから道を開けろ」

 エンジンをふかす絹夜のバイクの前から左に退いてチロルはもう一度忠告する。

「いいか、小林は何か切り札を用意しているはずだ」

 聞いていたのかいないのか、絹夜の乗ったバイクは昇降口に突っ込んでいった。

「……え?」

 校内から響くエンジン音。
 絹夜は階段までバイクで上っているようだ。

                       *              *             *

 くだらないことは考えない。
 敵がいれば突っ切るだけ。
 罠があれば破ってやるまでのこと。
 そうやって生きてきたのだ。
 絹夜はバイクを走らせる。多少、壁にぶつかっても気にも止めない。
 エンジンが不規則な唸り声を上げ、タイヤが大きく左右する。
 それでも車体はうまくUターンして、狭い階段を華麗に駆け上がった。
 屋上の扉が見え、絹夜はそのまま突っ込んだ。
 ガシャン、と盛大に覗きガラスが割れ、扉を押し倒しながら鋼の獣が登場する。
 月明かりを浴びて飛び散ったガラスがキラキラと幻想的に輝いたが、それを纏った絹夜はまさしく黒衣の死神だった。
 バイクが着地する前に小林の姿を捉えた絹夜は左手を胸の金十字に、右手を己の影に落とす。

「2046、召喚」

 左手が素早く十字を切る。すると、絹夜の影が薄ぼんやりと光を灯した。
 バイク着地、と同時にターンすると絹夜の白手袋の手には長剣が納まっていた。
 そして、複雑な魔方陣が影に浮いて、しかしすぐに消えていく。
 バイクからひょいっと降りた絹夜は逆手に持った剣先を小林に向けた。
 朝見たと変わらない臙脂の勲章がついた制服である。

「ヨォ、黒金絹夜。遅刻だよ、ビビったのかと思った!」

 小林も、余裕の態度を見せている。
 チロルが言っていたように何かを仕込んでいるに違いない。

「お前が卑怯な罠を張る時間を与えたまで。かかって来い、負け犬が!!」

 絹夜の夜空をかち割るような一声に小林が飛びかかる。大きく振りかぶった小林を絹夜は上段回し蹴りであしらった。
 フェンスまで吹っ飛ぶ小林だが、立ち上がり思わず絹夜を指差す。

「エモノ使え! 獣か、貴様!」

「エモノと獣をかけているのか? 今のは聞こえなかったことにしてやる」

 さらに追撃しようという絹夜に小林は即座に針の雨を降らせた。だが、その攻撃もあえなく影をとらえただけで、絹夜があと一歩というところまで迫る。

「ふあぁぁッ!」

 情け無い声を上げて横に飛びのくと、小林が寄りかかっていたフェンスが左右に口を開いた。
 絹夜の長剣が紙のように切り裂いたのだ。
 ゴロゴロと転がった後に素早く態勢を立て直す小林。
 しかし、その前に絹夜が顔面に膝を入れる。

「!?」

 絹夜の表情が急変した。
 顔面にはクリーンヒットだった。だが、その振り上げた左足を小林が抱える。

「捕まえたよ、黒金……」

 鼻血を垂れ流しながら小林が不気味に顔をあげた。

「これで終わりだ、黒金絹夜!!」

 ザクっと左足に深く刺さった。
 小林の針が絹夜の足に何十本と刺さり、突き出している。すぐに熱が走って血が流れ出した。
 ザクザク、とさらに突き刺さる。
 接近を狙っていたのか。
 絹夜は声一つ上げずに剣先で小林の両肩を貫き、魔術を封印する。
 このまま黙って下がっていては浄化班の名が廃る。 

「いぎゃああぁぁぁぁ……!」

「ッ!」

 互いによろめきながら距離をとる。
 絹夜は左足を見て眉間に皺を刻んだ。
 目に入ったのは左足ではない。
 足元だ。

「ふ、ふふふふふふふ……もう遅い、黒金!」

 足から噴出した絹夜の血がざわざわと動き回り、魔方陣を描く。
 円が完成するのに時間がない。
 自分を中心にした魔方陣から絹夜は脱出しようとした。
 しかし、足が動かない。これも魔方陣の威力だ。
 恐らく、絹夜の血に反応するようにあらかじめ屋上全面にセットされた魔方陣なのだろう。

「お前の血を吸い尽くす吸血の魔方陣だ! そこから出られずに冷たくなるといい!」

 このまま絹夜が出血多量で死ぬのを待つ、それで小林の勝ちだ。
 よろよろと立ちながら斬られた肩口を自分の身体を抱きしめるように押さえて天に向かって笑う小林。
 絶望を表しているだろう絹夜の表情を覗き込んで、小林は唖然とした。
 唇が描いた弧。
 笑っていた。

「幼稚だ。罠があると聞いて楽しみにしていたのだがな、これはこれは、お遊戯会もいいところだ……」

「な、にィ!?」

 確かにズルズルと魔法陣が血をすすっている。その赤いラインは絹夜の血を吸い取るだけキラキラと輝いた。
 絹夜の顔色も白く、唇は紫がかる。
 だが、その神父には己の身体は、そんなくだらないことは関係ない。
 
「ご褒美だ! くれてやるぜ!!」

 そして、次の瞬間、何をとち狂ったか絹夜は長剣で自分の左手のひらを切り裂いた。
 白い手袋に血がにじみ、滴り落ちる。
 そして、今度は腕に大きく深く傷口を作った。
 血が滴る腕を前に突き出し、絹夜は小林に笑いかける。小林はその光景を目の当たりにしていき絶え絶えになりながら怯えた。

「イカレてる、イカレてやがる!」

 不恰好に皮膚が盛り上がった傷口から落ちる血が血の魔方陣の上にたまっている。
 特殊なインクで描かれた魔方陣だが、飲み込める血液は無限ではない。
 そこに、一部大量の血液を叩き込めば血液が飽和度を超えて、エネルギー過剰が起こり魔術が成立しなくなる。
 魔方陣を構成していたインクが薄まることによって書物にしみが出来て意味が取れなくなるように魔方陣も絹夜の血を混じらせ、混乱していく。
 バキン、と小気味いい音がはじけて魔法陣が崩壊を告げた。
 まずい、小林は背筋を凍りつかせる。両腕を封じられ、今は何も出来ないただの人間同様だ。
 魔方陣で一発逆転ばかり狙っていた小林に魔方陣を破られた時の策は無い。
 逃げろ、と本能が叫び、しかし、理性ではそれが敵わないことを知っている。
 血まみれの左手を突き出し、針で貫かれた足をものともせずに絹夜が小林の眼前に迫り、立った。
 血まみれの手でまたも顔面を鷲掴みにされ、小林は唇をわななかせながら震える。
 そのまま、打ち付けるように小林を出入り口のコンクリートの壁に叩きつける。どかっと小林の後頭部が鈍い音を立てた。
 左手の傷口を小林の口に押し付けて顎を掴む指に力をこめる。

「不浄なる力の根源を我が血で清める。誓え! お前は御神に祝福されし人の子なるぞ!」

 吹き出るような熱い血が小林の口に嫌でも入っていた。
 人間と同じく、鉄くさい、生ぬるいそれだが、ワインのような、頭をぼうっとさせる味だった。
 小林の喉が激しく動いて嚥下したことを確認すると絹夜はその手を離す。
 どっと、力が抜けて小林はその場に腰をついた。
 同時に、何かが焼けるように彼の体から黒い煙が立ち昇り、灰のように散漫して消える。

「浄化完了……」

 だらりと力なく左腕を下げ、絹夜は小林に背を向けた。
 長剣も影に沈む。
 まだ血の噴出す腕と足を引きずるようにバイクに向かう。

「待て……黒金……」

 茫然自失状態の焦点の合っていない小林が問いかける。

「お前は、殺さないのか、ここまでやって、殺さないのか……?」

「お前は殺すのか? 力があればそれも構わないと思うのか?」

「力は使うためにある」

「馬鹿め。それは力に振り回されて使われているというんだ」

「…………」

 その血でどこに行くのか。
 絹夜の息も上がっていた。血液がまだ流れ出している。
 それでもしっかりとバイクにまたがって小林の横を抜けた。
 小林の前に残ったのは血溜まりだけだった。
 月がまだ明るい。


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