NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
23 *徘徊/Lost*3
チロルと二人きりで話がしたい。
字利家はそう言って警備員室に彼女を連れて行ってしまった。
保健室に残った面々も、重苦しい空気の中で沈黙を守る。
空気が薄皮のように全員との疎通を絶ってしまった。
ぐらり、と絹夜の影が動く。
そしてそのまま保健室を出て行ってしまう。
「…………」
一体、誰のための沈黙か、それでも皆は言葉を発しなかった。
ようやく、乙姫が一歩動いて、それでも何かをためらって足を止めた。
「どうした、嬢ちゃん」
秋水が視線をあわさず声をかけるが、乙姫自身にも何がしたいのか分からず、返事ができなかった。
「ネガティヴ・グロリアスが狙う”神”、それが自分自身……か。字利家が隠し持っていた爆弾の衝撃が……これほどまでとはね」
「だからどうしたのですか。力は別々にされているんでしょう? ビビる事もないじゃないですか」
「ま〜きはら。あんたね」
庵慈と裂が言い合う中、乙姫はやっと絹夜の心情に気がついて小さく発表した。
「あの……! あの……、絹夜くん、それもショックかもしれないけれど、本当はチロちゃんに銃を向けられたのがショックだったんじゃないかな……。
だって……友達だもん……!」
「あ、乙姫!」
意を決したのか、耐えられなくなったのか、ユマの呼びかけを背に乙姫は飛び出した。
視線ではそれを追ったものの、ユマはそれ以上止めようとはしない。
黒金絹夜がNGが追い続けていた敵。
黒金絹夜がこの世を喰らいつくす可能性。
黒金絹夜が”神”。
「詮索も憶測を膨らませて無駄に気を遣うのもやめましょう」
「庵慈、何を言ってるんだ。字利家は正しかったんだ」
「何よ、シュウちゃん。怖気づいたの? 字利家は正しかった。でも、私達も正しかった。
私はあんたの十倍生きてるのよ。十倍正しいに決まってるわよ。そうよ、決まってる」
ふと、庵慈の表情に勇猛果敢な女戦士の色が浮かんだ。
そうだ。こんな彼女を知っている。豪華絢爛、傲岸不遜、何もかもをなぎ倒し、狂い咲いた悪魔のような女なのだ。
「さあ、解散解散! ぐだぐだ私達が言っても、案外みんな、ケロっとして登校して来るわよ」
「庵慈せんせぇ……」
無理に追い払おうとしている庵慈の様子に変化を読み取って衣鶴が子猫が鳴くように呼びかけた。
「はいはい、出てった、出てった!」
「でも先生……」
「衣鶴」
その首根っこを捕まえて秋水が引きずって出る。
わけもわからないままユマと裂もそれに続いて、庵慈は部屋を閉め切った。
最後のほうは露骨に追い出されたものの文句を言えず、三人は秋水を見上げる。
将校口まで衣鶴を引きずって秋水は彼を放しながら口を開いた。
「三年のお前達なら分かるだろう。的場ダイゴのことは」
そしてやっと三人に同じようなはっとした表情が浮かんだ。
庵慈の恋人、久遠寺殺の身勝手な情念で今や白銀のモンスターに成り代わってしまった男。
「ま、早い話、的場ダイゴがこの学園に来たのも<天使の顎>目当てだったってわけだ。
俺と庵慈は反対したんだがな。”魔女に関わると碌なことない”ってさ。碌なことないって、言ったのに。
久遠寺が直接の理由であっても、庵慈にとって<天使の顎>と法皇庁も憎むべき相手だったんだよ。
それが、絹夜だと分かったんだ。あいつもチロルと同じなんだろうよ」
「…………」
せっかく何かが繋がれようと手を伸ばしあっていたのに、今ここでどうしてそんなことになったのか。
字利家を狩ってしまったからか。これは天使狩りの天罰なのか。
暗くなった夜の帳が将校口の電灯を侵食し始めていた。
その音は蝉からこおろぎに移り変わり、そして無意味に沈黙を彩る。
沈黙に耐えられなくなったか裂が勢い良くソウルイーターを振りかぶりながら叫んだ。
「黒金を憎む理由はともかく、黒金にとっては理不尽な見解、結構。しかし、です。
僕はまだ字利家を信用したわけじゃない。この混乱に乗じる事だってできます。それに黒金が”神”!?
黒金が”神”なら僕はそれを越えるそんざ」
「絹夜にとっても、庵慈にもチロルにもショックだったろう」
「購買員! 無視とはいいどきょ」
「だが、NGと絹夜はどうにもならない。”神”をなんとしても狩りたいNGの思想は間違ってはいない。
絹夜が本当に”神”だとして、それが力を手に入れないとも限らないんだ。法皇庁が黒金代羽、いや、ヨハネによって動いている限り。
だが、どうだ。ヨハネに挑めば絹夜が<天使の顎>に近づく。
安全な解決方法はNGの思想どおり、絹夜を踏破する。そうだろ? 字利家」
秋水に答えるようにその後方には字利家が立っていた。
かすかに頷いて、彼女は目を伏せる。
ユマ、裂、衣鶴の視線を受けて字利家は歩を進めた。
「だが、私は……」
「情に負けた、ということか」
ストレートに締めくくられ字利家は困惑したように眉を寄せ、少し違うと反論したげだったが結局なにも言わなかった。
無感情というには優しすぎ、孤高というには感情的で、激情家というには無感情な字利家。
ゆらりと虚ろげに立つその姿は冷たい青色で揺らめき静かに燃える超高温の炎のようだった。
「チロルとは話し終えたか」
「真っ向から意見が対立していることだけは確認できた。彼女は私が嫌いなんだ、それも仕方ない」
「そういや、お前とチロルの関係はなんなんだ? 何者なんだ、お前は」
「…………。申し訳ないが、あまりうまく説明できそうにない。混乱を招くだろうから、少し時間が欲しい。
約束する、きっと打ち明ける。その前に、私は君たちを守る覚悟が必要だ」
「覚悟……?」
「…………。もう、問わないで欲しい……」
とうとう孤独が、そして疲れが顔に出て字利家は頭を垂れた。
肩を大げさにすくめて秋水が二階への階段を上っていく。
続いて裂も将校口へ歩き出し、衣鶴は保健室に引き返した。
「…………。じゃあ、ユマも、いくね」
「……ああ、気をつけて」
字利家の言葉を頭の中で反芻しながらユマもその場を去る。
帰り道、ふと考えた。
己の正義も魂も優しさも友情も売り払って、自分そのものを殺して神を狩るネガティヴ・グロリアス。
逆に、己の優しさと義理人情のためにしくじった大天使ラファエル――字利家蚕。
どちらが正しいなんて答えがあるはずがない。
だから嫌いなんだ、面倒なんだ。
数に出ないその問いの答えは出されても信用ができないんだ。
「あ〜、ぐちぐち他人のことで悩むなんて、私らしくないなーあ!」
小さな身を追い風にのせてユマは疑問を振り切った。
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