NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
23 *徘徊/Lost*2
口の中がからからに乾いて、重油のような沈黙が支配するというのにそれでも聞かねばならなかった。
悟って字利家がトドメを刺す。
「”神”はお前だ。黒金絹夜」
呆然とした。
美しい旋律だった。
それだけが救いだった。
”神”は――俺、か。
途端に身体が言うことを利かなくなった。
頭がじんじんと熱くなった。
そこまで言われて鼻で笑い飛ばすことも、否定の言葉をぶつけることも出来なかった。
絹夜の身体は、それを簡単に飲み込んで納得してしまった。
まるで、遺伝子だけはそれを知っていたかのようにすんなりと受け入れ、しかし現状は受け入れなかった。
「ッ!」
気がつくと、チロルが銃を拾い上げ、絹夜に向けている。
その銃口を手で覆って字利家は弱々しく呟いた。
「だから嫌だったんだ」
チロルは真っ直ぐ絹夜を見据えていた。
曇りのない青い目。それが邪眼すら貫通して怯えさせていた。
「やめて、チロちゃん!」
「放せ! アザリア!!」
乙姫の言葉を無視するチロル。
その言葉には殺気以前に懇願がこもっていた。
”神”を倒さねばならない。そればかり唱えて、そればかりに向かっていたチロルにとって何が一番の目的なのか。
「断る」
「”神”を踏破するためならば感情も魂も捨てる! それがNGだ! それが”神”を狩る者だ!」
そうか。
NGだ。
”神”を否定するものだ。
絹夜はその光景を他人事のように呆然と見ていた。
「お前のやっていることは無意味だ」
急に冷めた口調で冷たく言い放った字利家。
無感情で温度のなかった彼女の言葉らしくもなく冷え冷えとしていた。
「無意味なんだよ、この葬式ごっこは。無意味なのさ。お前の葬式ごっこはもうお終いだ。弔いの黒服は脱げ。
弔いきれはしないさ。連続世界は生き残る」
奇妙な詩のような言葉を吐いて字利家は捻るようにチロルの銃を取り上げる。
字利家の言葉の意味が分かったのか、チロルはもう一言追撃を用意していた字利家の頬を殴った。
だが、字利家も無言ではたき返す。ほぼ同時にチロルは二発目を放っていた。
連続する乾いた音に皆が皆、目を丸くする。衣鶴でさえ目を瞬いて見ていたが口出しも出来なかった。
「外道! この外道!」
「取り乱すなら出て行け!」
「…………!」
今まで字利家がこうも声を荒げたことがあっただろうか。
内臓を震わすような、身体を心地よく貫通する声はそれでも怒気そのものを帯びていない。
完璧に隠しているのか、彼女にはそういった感情はないのか。
感情も魂も捨てるというNGの思想には鉄面皮の字利家の方が近いような気さえさせた。
「続けよう。私がNGの所在を調べる時、卓郎のデータベースをハッキングした時に、彼の記憶と感情が私にも感染した。
この世界がバグの影響を得たのは二度。私がここに来た30年前、そして、私が卓郎に仕掛けたウィルスが発動したつい最近。
どちらもすでに鎮火している。しかし、その影響として、卓郎の記憶にある人物がこちらにも感染している」
「そ〜れ〜が〜、この前のチョコ男……ってことになるのかしら?」
出来るだけ滑稽な口調で庵慈はおどけて見せた。
チョコ男で通じたらしく、字利家は笑いもせずに頷く。
「モーンブールはそのバグの波に乗じて確保した。だが、30年前からのバグは出ている」
そう言って字利家はすっと秋水、次にユマを刺した。
「あなたもそうだ、それから、君も」
「って、何が?」
今までの話を理解しきれていないのか、ユマはぽかんとしている。
そのユマに字利家は顎に手をあててふぅんと唸る。
「別世界からの生まれ変わり、といったところか。君たち自身のデータベースは別の世界から持ち出されたものだということだ。
そして、黒金絹夜は別世界の”神”と同じ鋳型を持ってこの世に生を受けた。
私は”腐敗の魔女”を狩った後、すでに魔女の息子として生まれていたお前を殺そうと提案した。
だが、黒金夫妻に拒否された。その子供を育てると」
「…………」
チロルの顔色が変わる。
彼女は知っているのだ。吐き出すログを解析して、その光景を見ていたのだ。
二人は、戦いの末に赤ん坊を育てた。それでめでたしめでたしのはずだった。
思わず庵慈の横顔を覗き込む。
そうだ。そのときの子供の母となる女は彼女だった。
何かが違う。酷似していてもやはり別の世界の話だ。
そのハッピーエンディングを引きずって、この世界では怖ろしいオープニングが構成された。
「戦慄したよ……。だが、私は、彼らも元のデータ同様、うまくやってくれると思った。
無事に終わったと、自分に言い聞かせていたのかもしれない。私は、子供の魔女たる力を削ぎとることを条件に黒金夫妻に絹夜を任せた。
そして、力の断片はここ、陰楼学園の魔女部に守らせた……。秘法<天使の顎>は、お前の断片なんだよ、黒金絹夜」
「…………」
今まで他人事のように聞いていた絹夜にやっと緊張が伝わったのか、彼は引きつった笑い方をするだけだった。
嫌味を言えるような状態じゃないことは誰の目から見ても明らかだ。
「ねぇ、それって、全部偶然? NGはともかく、黒金まで、せっかく力と身体を別々にしておいたのにここに来るなんて……」
緊張の糸を切って衣鶴が挙手をする。
字利家は次の問題はそれだ、と目で返しながらさらに難しい顔つきになった。
「私もそうなるとは思いもしなかった。ただ、このまま時が過ぎて黒金絹夜が人間として一生を終えてくれればそれで終わる。
後は人類次第だが、<天使の顎>は消去できない。封印し続けるか、何らかの形で利用するしかないだろうな。
しかし、彼がここに来たのは人為的だ。黒金絹夜を断片と繋ぎ合わせて”神”にしようという力が働いている。
それが、敵だ」
歯の隙間から庵慈が唸るように唱えた。
「黒金代羽……!」
そして、それに字利家は自嘲めいた笑いで溜め息混じりに言う。
「シロウじゃない。ヨハネだ。時代の『代』に、翼の『羽』」
ヨハネ――イエス・キリストに洗礼を与え、それを神とする聖人。
”キリスト”を”キリスト”たらしめるために天より生を受けた存在。
「洗礼を施されては困る。だが、黒金絹夜が<天使の顎>に近づく以上、私は魔女部と共に<天使の顎>を守らなければならない。
ヨハネを討てば学園側が、ここを守れば泥仕合だ。所詮私には勝ち目はなかった」
「何故、黒金絹夜を倒すという選択肢はあなたになかったのですか?」
話を静かに聞いているだけだった裂が相変わらず見下した態度で手足を組んで問う。
ふと、字利家の表情が柔らかくなった。
「そうだな……。私の名をとった、私と、彼らの息子だからだ」
一瞬、字利家の横顔に母性とも父性ともつかない微笑が見えた。
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