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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
23 *徘徊/Lost*1
 夕暮れの光が刺す。
 雨が上がって蝉の声もだんだんとぶり返した。
 ああ、私は、負けたのか。
 窓の外に見える校庭と針葉樹の森が朱色に染まっている。
 そうだ。関係ない。自然には関係ない人の理だ。
 字利家は自分の想いが余りに冷たいと思って首を振った。

「痛みはない?」

 字利家が横になっていたベッドのわきで庵慈がタバコを燻らせていた。
 その後ろの窓は煙を追い出すために開かれ、タバコの嫌なにおいの換わりに雨上がりの土臭い空気を運んでくる。

「平気だ。気にはならない」

 痛みは感じる。
 それでも口には出さない。
 そんなことで哀れみを買っていてはいけない。
 大きくタバコを吸った庵慈。先端が赤く燃えた。

「チェックメイトよ。字利家蚕」

「…………」

 簀巻きにされた胸に手を置いて字利家は祈るように目を伏せた。
 そして唇が動く。”どうか、どうか彼らが真実に打ちひしがれぬように”と。

「…………」

 その光景は処刑台に向かう囚人のようでもあった。
 枕元に積み上げられるように置かれた血まみれのシャツと学ランを羽織って彼女はベッドを降りる。
 字利家がそこでまた斬られる覚悟があって血の着いたシャツを手に取ったことを庵慈は知らない。
 仕切りを一枚隔てた部屋に皆がそれぞれ思うままに待機していた。
 座っているもの、壁に腰掛けるもの、直立のままで心配そうにこちらを覗くもの。
 全てに目を合わせて字利家は片眉を持ち上げた。

「柴卓郎の姿が見えない」

「放っておけ」

 秋水が言い放つ。
 それは冷たい文句ではなく、今はそっとしておいたほうがいい、そんなニュアンスを含んでいた。
 了解の意味で字利家は頷いて、まず、と話を切り出した。

「全員、武器を置け」

「何の話だ! 貴様、まだ」

 激昂する裂に字利家が視線を向けた。
 邪眼にも似た、しかし酷く虚ろな目だ。

「武器を、置いてはくれまいか」

「…………」

 そんな目をされたら従うしかない。
 裂は仕方なくといった様子でそっとソウルイーターを床に寝かせた。
 それに習って皆、それぞれの武器を足元や壁に置いて字利家を見る。
 絹夜は十字を首から外し、用具の置いてある小さなテーブルに乗せた。
 これで全員武装解除だ。

「魔剣ダンテを扱うに、私の今の魔力ではほど足りない。私も同じに考えてもらいたい」

「それを誰が証明するんだ」

 またもや秋水の堅い言葉。それには一服し終え仕切りの後ろから出てきた庵慈が答えた。

「あんた、だから女に裏切られるのよ」

「俺がいつ、誰に裏切られた」

「わーたーし。そうやって、ガチガチにガードしているとなんだか期待破ってやりたくなるのよね〜」

 それは性格の問題だろう。
 あえて口にはぜず、秋水は庵慈が手にした金属の鎧に目をやった。
 字利家が身に着けていたものだ。
 黒い鱗が重なり合って織られている。
 胸を押さえつけるように、腹部を太く見せるように作られたそれはまだ彼女の血を隙間に挟んでいた。

「どっからこういうものを引っ張り出したんでしょうね。
 力を与える代わりに、手順を守って脱がないと体中にこの種子が植えつけられるエグ〜い呪具よ」

 庵慈はそういってコルセットのような鎧の表面を撫でた。
 てらてらとした嫌なきらめきの呪具の鱗片の一枚一枚がその種子だというのか。
 数分もしないうちに字利家の身体に食い込んでいた種子を見ていた乙姫とユマはぞっとした。
 よくもそんなものを着込んでいられる。まともな神経ではできなかっただろう。
 ふう、と息をついて庵慈がそれを足元に下ろした。ずしん、と沈んで降りた彼女の腕の動きからして、相当の重さがあるようだ。
 重力でその身が支えられようとも鎧にかかった重みは別だ。それがぐいぐいと食い込んだのだろう。
 字利家の絶叫を思い出して乙姫は平静を装いながらも鳥肌を立てていた。

「これだけの人数がいるんだ。もし私がおかしなマネをしたと思ったら遠慮はいらない。治療もいらない」

 壮絶な覚悟をもって彼女がここにいることは傷を見れば分かるだろう。
 彼女の性格は戦ってよく分かった。
 冷静沈着、大胆不敵。嵐の前にも似た、静かで嫌な迫力がある。

「嘘偽りがないことは言っておく。先手、そうだな。私の目的は風見チロルの奪還が主立っていた」

 チロルに目をやる字利家だが、その視線をチロルは跳ね返すように睨んだ。
 何も気にした様子もなく字利家は話しを続ける。

「彼女は我々の故郷の者だ。彼女には彼女の使命があるのに、出歩かれては困るのだ。それは追々、説得しよう」

 そこは字利家も譲れないようだ。
 チロルの表情が強張るがそれを見ていたものはいない。

「私は風見チロルを探す中、この世界の”神”を発見した。
 本来なら無視するつもりだったが、風見チロルが接近していることが分かったので、先に”神”――”イエス・キリスト”を排除しておこうと考えた。
 風見チロルに危害が及んでからでは私もどうしようもない。風見チロルがこの世界にアクセスするまでこの世界の時間軸で30年。
 その間に私はあらゆる手段で”イエス・キリスト”と戦い、そして、協力者を得て、討ち滅ぼした」

「やっていることはNGと大差ないな」

 絹夜が呟くように言うが、あまりの静寂に言葉が響く。

「ああ。大差ない。私は”イエス・キリスト”と戦うため、黒金、お前の両親と共に浄化班を設立した。
 いや、復活させたといったほうがいいだろう。エクソシズムを持ち込んだのはお前の父親だからな。
 元々あったエクソシストの機関を私が手を加えて戦闘機関に作り変えたまでだ。
 当初は私もマーシャル・アーツを教えていたが、絹夜、お前の動きを見るともう撤廃されているようだな」

 マーシャル・アーツ――軍人用の格闘術で、世界の体術の総合だ。
 細身の肉体がそんな厳つい体術を習得しているとは想像もできなかったが、先の戦闘で充分過ぎるほど披露されていた。
 剣術より体術に秀でた剣士がどれだけ性質が悪いか思い知らされた。そもそもあの大きさの剣だ。剣術なんて関係ないのかもしれない。

「そして、浄化班、黒金夫妻と共に、私は討ち果たした。”腐敗の魔女”、すなわち世界を侵食する”イエス・キリスト”を」

「!?」

 その言葉を聞いて字利家が何を隠したかったのか分かった者もいただろう。
 当の絹夜も表情を凍てつかせたまま微動だにしなかった。

「だが、私は甘かった。馬鹿だった。殺してしまうべきだった。でも、出来なかった」

 字利家の視線は絹夜に、絹夜の視線は字利家に向いていた。
 しかし、それは互いに怯えを、悲しみを含んでいた。

「”イエス・キリスト”は永久に生来る者あれば、子を残し可能性を引き継がせる者もある。
 だが、その運命すらバグで、そのバグすら運命なのかもしれない……。以前、そんなことがあったのだよ。黒金絹夜。
 しかしそれはここの世界の話ではない。外側から介入される影響、いわばバグだ。
 そのバグを引きずって、お前はこの運命を辿ることとなる」

「それは……」

 絹夜は分かっていた。ただ、認められなかった。


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あきゅろす。
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