NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編 22 *苦痛/Bitter Turth*1 『1月1日 子供に名前を付けなくては。 この子供は、彼女と、私達の子供だ。 彼女の名を参考に名づける――絹夜、と』 * * * 不自然な空気に包まれながら晩夏の終業式が始まる。 女子生徒を見回せば急に髪型を変えた者、今日に限ってメイクがキツイ者、アクセサリーをじゃらじゃらとつけている者。 随分と気合の入った中、不穏なオーラが渦巻いていた。 幸い、キレ気味な日天は分厚い雲に覆われ空気は涼しい。 存在感皆無の学園長の長話も終わって一途ぎすぎすした雰囲気の中、足並みそろえて教室へ。 そして、LHRが終わると同時に、合戦の火蓋が気って落とされた。 「地震か……?」 絹夜は地響きを感じ取ってふと呟いた。 「全く呑気な」 横から荷物をまとめていたチロルが渋く顔をゆがめた。 どっどど、どどーど、どどーど、どどう。 「宮沢賢治みたい」 あまりの振動に乙姫もぽかんとしたまま思いつくままを口にする。 二年の教室の廊下はすでに女子限定の黒山になり、津波になり、警戒警報だ。 「出れない……ね」 廊下一杯の生徒の波。 こんなにいたっけ、とチロルが首をかしげた。 字利家が在籍していることになっている2−Aのクラスではもっと恐ろしいことになっているのだろう。 黄色くも物騒な声が飛び交っていた。 「字利家くんはどこ!?」 「アンタ、惚れ薬なんかで字利家くんを落とそうなんて卑怯じゃない!」 「自分のことを棚にあげてよく言うわよ!」 「邪魔よ。ブス!」 「あんたのが邪魔よ! ドブス!」 「なによ! このドブロク!」 どんどんと過激に、暴力的になっていく廊下を冷めた目で見ていたチロルの携帯電話がどこの誰とも知れない外人の笑い声を放った。 「あ、電話だ」 「その着メロ、次に使うときまでに替えておけ」 絹夜からの軽蔑を無視して携帯を耳に当てる。 「はあい、チロちゃん。みんなのプリンスは今、三階から東階段で屋上に移動中〜。 ちょこちょこ走ってるみたい。動揺してるわよ〜!」 「了解」 保健室で待機しながらダウジングで字利家の居場所を探る庵慈。 学園の結界を彼女が張っている限り、字利家であろうと邪眼を凝らせば見えないものは無いようだ。 携帯の電源ボタンを押して通話を切りながらチロルはわざとらしい大声を上げた。 「字利家なら屋上だぞー」 瞬間、人の波が動く。 「字利家く〜ん! 待ってて〜!」 「なんとしてでも惚れ薬の使用は止めるのよ!」 またも宮沢賢治、風の又三郎も驚きの流れで女子生徒たちは走る。 どうやら、惚れ薬を手に入れて字利家に飲ませようとしている一団と、薬が手に入らずにそれを阻止しようという一団に分かれているらしい。 「黒金、追いかけるぞ! 字利家が完全に追い込まれたところで第一術式を完了させなくてはならない!」 「分かっている」 女子生徒たちを追いかけ、チロルと絹夜が動いた。 「二人とも、気をつけて!」 その場に残る乙姫もやることがある。 時間が無いのだ。 素早く持ち歩きのことを組み立て弦を張る。 何事かとまだ残っていた生徒の視線が集まるが今は関係ない。 音を合わせると乙姫はその場で弦を弾いた。 「ここは危険、今すぐ寮に戻りなさい」 いつもよりずっと強い口調で言い放ち、音を連ねる。 すると、眼前の生徒達はだんだんと半目になり、ぼんやりとした表情になった。 「そうそう、帰らなきゃ、帰らなきゃ……」 そんなことをそれぞれが口走りながらいつものように鞄を担いで教室を出て行く。 習慣性のある行動を実行させる弱い催眠の魔術だ。 そして、術にかかっている彼らの視界には紫紺の蝶が浮いているのだろう、それを目で追いつつ、生徒達が去っていく。 「よぅし」 これを繰り返し、騒動に関係の無い生徒は寮に帰さなくてはならない。 教職員などはすでに祇雄とユマが手を回しているようで半時間後には完全に職員室も空くだろう。 作戦は以下の通りだ。 騒動に紛れて字利家には術の効果を倍増させる弱体の魔術、鈍足の魔術、判断力低下の魔術、そして、その効果を持続させる魔術をかけておく。 発動はさせない。 きっと字利家の事だ、それを解除する術は持っている。 だからこそ、魔術にかけられたことは隠しておき、いざとなったら発動させる。 チロルと絹夜はその魔術を三段階にわけて字利家に、しかもバレずにかける必要があった。 うまくいけば後は力押しでなんとかなるかもしれないが、それで字利家が止まるとは仮定しない。 次に、攻撃主体の卓郎と秋水で一気に畳み掛ける。狭い学園内の戦闘に持ち込めば、大きな魔剣ダンテを振り回す字利家には不利だ。 さらに、ユマ、乙姫、が二人がかりで誘導、戦っている卓郎、秋水ごと衣鶴が作った特大魔法陣に縛り付けておく。 追い討ちに先にかけた魔術を発動させ、庵慈と裂で目標を字利家だけに絞りありったけの拘束魔術をかけるというものだった。 それくらいで字利家の動きは緩慢にもなるはずだ。そして、決め手は絹夜の邪眼だ。 欲を出せば、字利家が惚れ薬かリンゴの効果を示しているとありがたいがそれはないだろう。 これ以上ないほどの卑怯っぷりを徹底した卓郎の策だ。 表面ではいつものように飄々としているが、内心腸煮えくり返っていた。 言葉にできない不快感だ。 何もかも理解している。それが見られている気がしてならなかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |