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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
17 *流星群/StarRain*3
 彼は苦しそうだった。
 いつも悲しそうだった。
 茨の道を裸足で歩き、それでも痛みを口に出来ない。それほどまでに不器用だ。

「空気が冷たいな……」

 小さく呟いて天を仰いだ絹夜。
 乙姫は良く分からなかったが肯定した。
 字利家との対決の後、絹夜は倒れた。それは見事な負けっぷりだった。
 いつも筋の十字が光っていた胸に手をあてて絹夜は溜め息をつく。
 少し距離をおいてその背を見つめる乙姫の視界には、彼と、満点の夜空が広がっている。
 彼が沈黙すれば、足元の小川のせせらぎと、遠い蝉の声、そして星の瞬く音が降る。

「戻ろう」

「…………え?」

 何か違和感を感じた。
 彼はいつでも一人で突き進んできたはずだ。
 戻ろう、そんな同意を求めるような言葉を今までに口にしただろうか。

「一緒に……帰ろう」

「うん」

 少し怯えたような、気恥ずかしそうな顔をした絹夜がおかしかった。
 また、獣道を行く。

「…………ッ」

 行きにおった怪我のせいでまたも遅れをとる乙姫だが、慌てて前を見れば絹夜が振り返って待っている。
 少々の痛みは我慢しよう。
 駆け寄ると、絹夜は足を進めずに乙姫の足元を見ていた。

「そんな靴でよく斜面を歩いてきたな」

「う、うん……でも、こんな山道歩くと思わなかったから……」

「バカ」

 叱るような言葉が珍しい。
 あのプライドの高い絹夜が完敗の後だというのに。
 機嫌でもいいのだろうか。いや、機嫌がいいときほど口数は少なかった。

「手か? 肩か? それとも背中か?」

「え?」

「俺は何を貸せばいいんだ?」

「あ……」

 いつもの低いウィスパーが夜風のように攫っていく。
 シルクのようなきめ細かな髪が月に煌めいた。良く見れば青みがかった黒い目が心臓の下を掌握して放さない。
 魔性の、聖なる、其の人。
 見とれている、それを自覚させるのは絹夜のしどろもどろの言葉だった。

「あー……背中っていうのは、冗談で、別に……でも、お前が言うなら……言っておくが、まだ服が乾いてないからな」

「絹夜君……」

「遅いから。お前がそんなんじゃ、いつ宿舎にたどり着くか分からない」

「…………」

 とても妥当な意見だ。
 乙姫は苦笑しながら肩を借りて歩き出す。
 肩を借りるといってもほとんど絹夜が背負っているような状態だった。
 逞しくもない体がしっかりとぬかるんだ地面を掴んで一歩一歩上っていく。
 小川で濡れた服から温かい感触が伝わっていた。
 人間の温もりだ。
 来た道を半分近く上ったところだろうか。
 絹夜が突然口を開いた。

「悪かった」

 あのことを言っているのだろう。
 突然攻撃を仕掛けられ、字利家の乱入がなければどうなっていたか想像もつかない。
 少なくとも、字利家がいなければこうして歩くこともなかった。

「いいよ、だって私だって……」

 そうして彼を傷つけたことがある。
 まだ正体は分かってはいないが似たようなものなのだろうか。
 乙姫が納得しかけた時、絹夜がその心を読み取ったのか否定した。

「違うんだ」

「違うって……? 何が、違うの?」

「お前のあの暴走とは、違うんだ。俺は”腐敗の魔女”の息子として生まれた……」

 彼はそういって何か思いつめたようになってしまった。そして、突然剣を向けた。
 だが、今はそんな兆しはなくただ疲れたような声でそっと語りかける。
 ゆっくりと確かに山を登るその足取りは言葉の覇気の無さと比べて随分と頼もしい。

「”腐敗の魔女”は反社会派の古い魔女の血統らしい。何代にもわたって黒の儀式が受け継がれてきた。
 法皇庁の資料によると派生した魔女――つまり一代目は法皇庁とは真っ向から対立していたらしい。
 一代目の魔女がその力を後世に残すとき、そいつは厄介な呪いも受け継がれるよう、仕掛けた。
 ――”何も守れない”、そんな呪いだ」

「何も……守れない?」

 反芻した乙姫だが、意味がイマイチわからない。
 何も守れないというのはどういうことだろう。

「そのままの意味だ。奪い、奪われるしかない。最終的に全てを自分の手で壊して、この力ごと誰かに押し付けて死ぬしかない」

「絹夜君……。もしかして、絹夜君がご両親を……そのせいだったの?」

「かも知れない。俺の母親が望んだ復讐なのかもしれない。どちらにせよ、俺自身に理由があったあわけじゃない。
 …………最悪だな。殺した挙句、理由がないなんて」

「でも、それって、絹夜君のせいじゃないってことだよね!? どうして法皇庁はそれを言わないで絹夜君を閉じ込めたりしたの!?」

「上層部の連中に俺が魔女であることを隠したかったからだろう。さっさと処刑すればいいものの、俺の兄貴がかばった」

「お兄さんが……?」

「表面的にはいい話だな。だが、ヤツはヤツで俺の力を狙っている。魔女を法皇庁の飼い犬にして地位向上ってところだろう。
 俺は俺で壊しながら壊れていくしかない」

「…………」

 それで他人を拒絶していたのだろうか。 
 それで恐れもなくわが身を傷つけるのだろうか。
 早く崩れてしまえ、こんな身体。黒金絹夜は、そんな男だった。
 自分を一番拒絶しなから生きていた。

「お前がうるさく言うもんだからな……。いっそ話しておこうと思ったが、無理だったようだ。
 字利家がいなければと思うと、馬鹿なことをした。俺は誰にも関わるべきじゃなかったんだ……」

「…………」

 崩れてしまう故に言えない痛み、それを背負って戦う覚悟があった。
 お節介だ、お節介だと突っぱねていたのは壊さないためだったのか。
 目の奥がぎゅっと熱くなって乙姫は絹夜の肩に顔をうずめる。涙は簡単に服に染み込んでいった。

「法皇庁では”腐敗の魔女”が後世までもを呪う恐ろしい魔女といっているが、
 もしかすると、こんな魔女の力を受け継がせないために呪いをかけたのかもしれない」

 絹夜はそうだと思いたいのだろう。
 もし、後世までも呪い苦しめるためのものだとしたら、この一族は悲しすぎる。
 土の匂いが巻き上がる。
 彼が踏みしめるたびに草木の音がした。
 何も言えず、ただしゃくりあげるような声を殺すので精一杯の乙姫に絹夜は分かっていて声をかけない。
 だんだんと絹夜の足のペースが落ちて乙姫は寄りかかりすぎていた身を離す。

「ごめん、重かったよね」

「いいや」

 絹夜の視線は山の斜面の明かりを指した。
 宿舎だ。

「その面、どうにかしろ。俺がお前に何かヘンな事したみたいだろ」

「う……ごめん」

「それから、間違っても俺に襲われたとか言うなよ。事情は説明したからな。
 字利家が絡んできても無視しろ。貸しが出来たがあいつは気に食わない」

「…………そう、だね」

 字利家蚕。
 恐ろしく強かった。
 彼は争うことを極力避けたいようでもあったが絹夜を踏破するといっている以上は敵だ。
 それにチロルの奪還を目的だといっていた。

「奪還……?」

 ふと、その言葉がひっかかる。

「どうかしたのか?」

「字利家君は、チロちゃんの奪還が目的の一つだって言ってた。でも……奪還って……」

「…………。まるで、元々は風見が字利家の仲間だったような言い方だな」

「まさか、チロちゃん…………」

 字利家の仲間だったのか?
 そして、彼らは何故バラバラになっているのだろう。
 チロルは字利家を恐れていた。何か後ろめたい理由があるのか?
 天使ラファエルとチロルの関係はなんなのだろう。
 そして、字利家があんなにも圧倒的な力を示して実力行使に出ない理由はなんだ?
 絹夜を倒そうという理由はなんなのだ?
 次から次へと出ては溢れる疑問に絹夜は首を振って思いを払った。
 なんにせよ、当人に聞かなければならない。

「チッ、誰が一番信用ならないんだ……!」

 NGへの嫌味をはき捨てて絹夜はまた斜面を歩き始めた。
 信用しようとしているのだろうか。
 そんな風に思って乙姫は苦笑しながらその背中を追いかける。


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