NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
16 *煉獄/Purgatorio*5
「…………なんで!」
「彼を許してやってくれ」
「な……!?」
字利家の蹴りが絹夜の顎に入った。
その隙を見て字利家は乙姫を片腕で抱える。
男性にしてはか細い腕が軽々と彼女を支えて、もう片方の腕を振り上げた。
すると、川原の石ごと地面が巻き上がる。
「!?」
先ほどまで乙姫をかばっていた壁が字利家の腕と連動してふりあがっていた。
その細い腕が刺してつけられたような太い柄を握って支えている。
人間一人分の大きさもありそうな特大の、かろうじてそれは剣だった。
蹴りとつぶてを同時に浴びせかけ、字利家は後退して行く。
だが、絹夜の切り返しもさすがに速かった。つぶてを浴びながらも邪眼を見開き突進してくる。
通常では考えられない身体能力は魔力で補強しているのだろう、残像に魔剣と同じ青白い光が混ざっていた。
「ふンッ!」
字利家が姿勢を低くして気合の一声を上げる。
その直後に放たれた絹夜の連続突きが猛襲したが、字利家は大剣と乙姫を抱えながらそれを避けていく。
「藤咲さん」
「あ、は、はいッ!」
「受身くらいはとれるよね?」
「え……?」
唐突に言われても何のことだか判断がつかなかったが、体育の授業で習う柔道の受身のことを思い出し、乙姫は頷いた。
「じゃ、遠慮なく」
「ひぇッ!?」
次の瞬間には体が浮いていた。
スローモーションに感じる一瞬に放り投げられた事態を把握して地面に背中を向けてくの字に曲げる。
思ったよりも回転がかかっていたのかわき腹から着地したが、顔をガードしていた腕が少しすりむけた程度で済んだ。
すぐに頭を振り払って暗闇に目を凝らす。
色とりどりに点滅する視界には羽根のように軽やかに舞う2046と使い手の躯体にまるで釣り合わない大剣が空気を斬っている。
「字利家……君……!」
力量は字利家の圧制であった。
だが、彼は絹夜にトドメを刺さず、何かを窺っているようでもある。
そして、彼が言った言葉。許せとはどういうことなのだろう。
絹夜に何かが起こっている。
思い当たることが乙姫にはあった。
自分が得体の知れない黒い龍に乗っ取られた時、その時もこうして突然に発生した。そして、自分の意思とは無関係に力が溢れる。
絹夜も今、その状態なのだろうか。そして、字利家は何を知っているのだろうか。
連続する金属音の感覚がだんだんと遅くなる。
絹夜の動きが緩慢になっていた。
明らかに疲弊している。魔力の出力に体が耐え切れていない。
どんなに魔力で補強しようとそれには元の体力の限界がある。
目に見えるほどに魔力を纏ったところで体が支えきれなければオーバーヒートしてしまう。
「…………絹夜君!」
オーバーヒート。
体が壊れる。
彼が失われる!
乙姫の絶叫に字利家が動いた。
水面に大剣を叩きつけ、柄を放す。水しぶきを巻き上げた水面の視界を開こうと2046が横に薙がれた。
大きくガードを開いた絹夜の懐に字利家が飛び込む。
にやり。絹夜は唇の両端を吊り上げた。
見開かれる邪眼。
しかし、字利家の動きは止まらなかった。
「ハァッ!」
腹部に叩き込まれる掌拳に絹夜は身体を曲げる。それでも振り上げた2046が字利家の眉の上を斬った。
だが、その剣を握る腕を字利家はつかみ、引き寄せる。同時に浴びせたボディーブローが効いたのか、絹夜は二歩下がって吐き出した。
「僕は優しく出来ない性質でね……!」
字利家が後方に手のひらを向けた。
すると、今まで水面下に沈んでいた大剣が息を吹き返したかのように浮上し、字利家の手に収まる。
あんなに重いものがずるずると動くとは!
そのからくりは字利家の言葉で解明された。
「魔剣ダンテ! 我が呼び声に応えよ!」
大剣――魔剣ダンテを川底に突きたて、字利家は柄と逆刃の上に足を乗せる。
高台の彼を飾るように熱風が濡れた服を、髪を、逆巻きなびかせた。
夜の晴天に手をかざし、字利家が呼ぶ。
「制裁のプルガトリオ!」
繊細な指先に稲妻が灯った。
青紫の光は小鳥のように字利家の指先で舞い、しかし、だんだんと蛇のように腕を這う。
雷電の放つ光とスパーク音に反応したのか絹夜が顔をあげた。
「――アザリヤァァァァァッッ!」
咆哮を上げた絹夜と一瞬視線を交えて字利家は腕を振り下ろす。
衝撃音が鼓膜を二度震わせた。川も同じように二度光る。
「絹夜君!!」
絹夜はその場に膝を折って前のめりになって倒れた。
気が遠くなる乙姫の視界にはただ淡々と作業を行う字利家の姿が見える。
2046をまじまじと見つめ、少し表情をゆがめた。2046が主の力と共に消えていく。
字利家にとっては好ましくない解答が得られたようだった。
次に、絹夜の身体を肩にかけ、岸まで運んでくる。
そして、その傍らに膝をつくと絹夜の金十字を手の平に乗せた。
「やはり完全生体物質――プリマテリアか……。これは人間には強すぎる。特に、君達のような多感な時期にはね」
手首を捻って金十字を奪い取る。チェーンは簡単に外れて字利家の手から垂れていた。
「彼に言っておいてくれ。謀られただけだ、罪はない……と」
「…………字利家くん」
大剣を担ぎ、字利家が川沿いに上っていこうと足を向けた。
「待って、字利家くん!」
「なんだい?」
「…………助けてくれて、ありがとう。でも……あなた、何なの……?」
「…………さぁ。なんだろうね。もしかしたら、それを知りたくてここにいるのかな」
「チロちゃんを……、絹夜君をどうするつもりなの!?」
「…………。そうだねぇ。
僕達の違いは、不治の病の患者を最良の形で安楽死させるか、それとも苦しませながら生きながらえさせるか、そんなことなんだよ。
どちらも救おうという気持ちには変わりはない。確かに、望む方向は違う。だからといって争う必要があるかい?」
「でも、あなたは確かに私達を壊そうとしている……!」
「では、君達は僕を壊してはいないというのかい?」
「…………ッ」
「ごめんね、言い過ぎた。僕は僕のやり方で守りたいんだ。そのためには君達の前に立ちふさがることもあるだろう。
ただ、君たちがすんなりと道を開けてくれるなら、僕も極力邪魔はしない。最低限、譲ってもらえればね」
「最低限……?」
「黒金絹夜の踏破と、彼女の――風見チロルの奪還だ」
相容れない。
乙姫は震える両肩を抱いて首を思い切りふった。それだけはさせない。
それが今、一番守りたいものだ。奪われてなるものか。
「…………。そうだね。何かまた、得策を考えておくよ」
力を振るえば、魔力で武装した絹夜もたやすく打ち破る魔剣士だ。
素手でも手出しできないだろう。
魔力も身体能力も、冗談じみていた。それが目の前で起こり、冗談では済まされないほどになっていた。
砂利道を行き、暗闇に溶けてしまう字利家。
最後まで見送ることなく、乙姫は絹夜に駆け寄った。
まだ上手く歩けないが、それでも急いでよろける。崩れるように絹夜の横にたどり着いて、その濡れた前髪を掻き分けた。
「…………」
少し、不規則ではあるが息はある。それどころか、安らかだった。
「絹夜君……ッ」
涙腺が痛むような大粒の涙が落ちた。
彼は力故に苦しんでいるのだろう。聖魔混在の力、聖剣2046。
魔女の後継者。法皇庁の神父。
本来、二分されていたものの両方にいる彼の痛みは誰とも分かつことが出来ないのだろう。
圧倒的な孤独。牢獄での孤独。相容れない群集での孤独。
では、彼の居場所はどこにある?
「…………」
彼の居場所、属性、所属、名前、称号。
その全てが曖昧な偽物だ。
彼は、誰だ。
絹夜の唇がわずかに開いて小さな振動を漏らした。
「償い切れない罪は、どこに降り積もるのだ……」
悪い夢でも見ているのだろう。
また自分を責めているのだろう。
痛むのか、歯を食いしばる絹夜。
彼が感じているだろう暗黒の中、乙姫はその手をとって強く握り締めた。
<続く>
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