NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
16 *煉獄/Purgatorio*2
正気なのだろうか。
炎天下に焼けた浜辺の上に駆け出していった学園生徒を見て絹夜は思った。
早速、海にかりだす陰楼ご一行。
本当は体調不良を理由に宿舎に残ろうと思ったが、またしても庵慈に面倒を見られることとなる。
嫌々足を向けると、太陽が怒り狂って輝いていた。
「き・ぬ・や・くん」
せっかく岩陰に隠れていたのに良くぞ見つけてくれるものである。
ボリュームのあるクッションを背中に押し付けながら後ろから抱き付いてきた庵慈に絹夜は肩を落とした。
ただでさえ暑いのに、これだ。
「暑苦しいぞ、保健医」
振り払ってみれば数メートル後ろに乙姫もチロルも、ついでながら東海林も控えている。
「そんな恥ずかしがらなくてもいいのよ、先生と絹夜君の仲じゃな〜い!」
という庵慈は張り裂けんばかりの黒ビキニである。
直視してくれと言わんばかりのプロポーションに炎天下ではとろけそうな美貌がくっついている。
一通り目に収めて、絹夜は冷たく言い払った。
「補強にいくらかかったんだ?」
「全部自前よ!」
「ところで、後ろ。背中見せろ」
「あら、絹夜君は後ろ姿で女を選ぶの? 背中の筋フェチとか、そんなマニアックなところ?」
「堂々、十字架背負ってるんじゃないだろうな……」
「アタリー」
髪をかきあげ、庵慈は絹夜に背中を見せる。
メリハリのついた身体には大きな十字が、絹夜のそれよりも碧くすれていたが広がっていた。
「…………」
呆れ顔の絹夜に庵慈は指を立ててにっこり微笑んだ。
「現代ファッションは女の基本。傷のある女はイヤ?」
「懸命にウォータープルーフコンシーラー塗りたくった俺がバカみたいだ……」
水泳の時は大抵それで切り抜けた。
青痣程度には残ったが、それでも充分わからない。
前夜に面倒ながらコンシーラーを取り出していた絹夜の苦労を吹っ飛ばすように庵慈はその十字すらアクセサリーとして扱っていた。
「苦労が耐えないわね〜。もう面倒だから先生とお揃いですって公表しちゃおうか」
「ますます苦労が続くな」
お揃い。
それだけはまずい。
魔女であること公認の庵慈とは違って、絹夜は神父として法皇庁に属しているのだ。
それがばれてはやりづらい。
やはり隠すべきだ。
「なんや、黒金。泳がんの?」
ぞくぞくと水着で続く三人に絹夜は当然と言わんばかりに眉をしかめた。
遊びたくてきたわけじゃない。
対照的に遊ぶ気満々の三人。
ビーチバレーでもするのか、バルーンを抱えた東海林。
淡い紫色のパレオ姿で、髪を高く結っている乙姫。
そして、相変わらずどうしようもないチロルはビラミンカラーの浮き輪にツーピースで異様加減が二割り増しだ。
「できるなら早く帰りたいんだがな」
そういって絹夜は動いた。
今度は誰も近寄らない日陰を探そう。
このココナッツオイルのにおいも苦手だ。
だが、絹夜はすぐさま足を止めた。
「ん?」
残りも彼の視線の先を追いかける。
見開かれた目は、ここにはないと思われた影を捉えていた。
「あ……あれは……」
そこだけ切り抜いたかのようなオーラ。
周りの人も視線を向ける。
蜃気楼のようにゆらりと揺らめきながら、太陽の下で、恐ろしく冷たい無感情な笑みを浮かべた。
「字利家蚕……!?」
チロルがかすれた声で絶叫する。
彼は軽快な足取りで絹夜たちの前までやってきた。
彼も絹夜と同じように普段着で、しかもジャケットを羽織っていた。
確かに熱風は吹くが、異様な服装だ。
「やぁ。君達もきていたんだね」
「貴様……」
じりじりと焼くような絹夜の敵意も涼しく受けて字利家は首をふった。
「やめよう。僕は戦場以外で戦いたくはない。それに、バカンスを楽しむ人に迷惑はかけたくないからね。
旅の安全を守る、それも僕の使命だ」
穏やかな口調は嘘ではないのだろう。
「仲、わるいん? 二人」
東海林の問いを乙姫は苦笑してうやむやにした。
仲が悪いのは絹夜と字利家ではない。チロルと字利家だ。
「旅の際はごたごたを起こさないように気をつけるよ。せめてその間だけでも仲良くしてほしいな」
「…………」
握手を求めて手を差し伸べる字利家。だが、絹夜はその手を払った。
「騒ぎを起こしたくないのなら俺たちへの詮索はやめるんだな」
「詮索……ね。荒事にはしたくない。僕の気持ちを分かってくれないのは残念だ」
「ならば目的を聞こう」
「そうだね」
賛同するように字利家は深く頷く。
そうして、絹夜、庵慈を通り過ぎ、乙姫の後ろに隠れたチロルの前に出て彼はやっと綺麗に微笑んだ。
「風見チロル、君が必要だ」
「…………!?」
「僕はいつでも君を待っている。いつでも僕のところにおいで」
呆ける一同と対照的に、チロルは冷静に首を振った。
そして字利家は念を押すようにもう一度告げる。
「待っている」
それにもまた首を振るチロル。
拒絶を示しても字利家から笑顔は消えなかった。
そして、絹夜に目を向け、会釈をするとそのまま道を行ってしまう。
「待て、どこに行く!」
「キャト、――普通の散歩」
その背中を目で追いかけながら庵慈が呟いた。
「大ッ胆な男……」
一方、東海林はチロルとは別の意味で怯えた視線を字利家の背中に向けていた。
「あいつ素で、キャトルミューティレーション、言いかけおったーッ!」
キャトルミューティレーションとは、家畜の内臓や血肉が一晩ですっかりなくなってしまう、アノ、怪奇現象だ。
近場の家畜に危険を感じつつ、東海林は字利家の前の立つことをしないと誓う。
もし邪魔立てすればアブダクト――UFOに誘拐されかねない。
とりあえず旅の間は黒金がいるので安心だ。
「なんか情熱的〜! チロちゃん、うらやましいわ! ペンギンよりよっぽどグッド・ルッキング・ガイじゃない!」
「…………」
困惑した表情は何かを隠しているようでもあった。
はっきりしない苦笑で誤魔化すチロルをフォローするように乙姫はチロルの浮き輪を掴んだ。
「さぁてと! すっきりするために来たんだよ? 思いっきり遊んじゃおうよ!」
恐らく、字利家は四日間は手を出さないだろう。
口先だけで騙すようなタイプには見えなかった。
「ぅ、ああ」
思い出したかのように調子を取り戻すチロル。
一瞬、大丈夫だから、と絹夜に目配せして乙姫はチロルをひっぱって海岸に走った。
「あ〜、待って〜な〜!」
東海林も後を追っていく。
残った庵慈が豊満な胸を抱くように腕を組んで流し目で絹夜を見た。
「ねぇ、乙姫ちゃん、どんどんいい女になってるわよね?」
「どうだか」
「ん〜、変化には気がついてるくせに〜。全部、絹夜君のためよ」
「だったらなんだ」
「裏切っちゃだめよ。女を一人ぼっちで戦わせる男って最低」
おどけた口調から一気に教師のそれに変わった庵慈の声。
優しく、厳しいその声はどこか悲しげであった。
「覚えておこう」
その返事をした絹夜はどんな表情だったのだろうか。
字利家とは反対の方向に去っていった絹夜の背中にも変化を見ながら庵慈ははにかんだ。
ひねくれているんだか、素直なんだか、わからないやつだ。
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