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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
16 *煉獄/Purgatorio*1
 それではまるで子飼いの神だ。
 抗うことを忘れては何もかもお終いだ。
 だが、復讐がしたいわけではなかった。
 ただ、認めてくれる人が欲しかった。
 それは、本当に?
 ただ、操られていたのではないだろうか、その感情すら。
 オレンジ色の太陽。
 橋の上に揺れる影。
 コントラストの強い街並みに、暖かな風が吹く。
 幼い日の思い出。
 黄昏の中の男。
 彼が狩れと言う、夜明けの魔女。
 輝ける太陽、神を沈ませる男と神を呼ぶ朝鳥。
 正しいのはどっちだ?
 か細い草笛の音。遠く鳴り響いて耳に残る。
 呼んでいるその音色は、頼りなく、空気中に飽和して消えていった。
 彼が与えた聖剣が悲劇を招いた。
 もはや、聖者の血を吸った聖剣は、聖剣というのだろうか。
 そればかりか。
 聖者を手にかけた聖者を、聖者と呼んでいいのだろうか。

「俺は誰だ」

 お前は誰だ。

「俺はなんだ」

 お前はなんだ。

「俺は……」

 お前は……。

「償い切れない罪は、どこに降り積もるのだ……」

 それを誰が償うというのだ。
 背に負った十字が痛みをもって叫んだ。

「ッ……」

 魔女を戒める2046の文字。
 十字を示す聖なる数字。
 考えるな、そう訴えるようでもあった。

             *                    *                     *

 青い海というものは不思議なもので、その潮騒を聞いていると心が落ち着く。
 だが、現状は海の力では変わらない。

「青い海、白い砂浜、そして、隣にはこ〜んな美女がいるってのに、仏頂面じゃない、絹夜くん」

「ゆするな……」

 白い砂浜もさることながら、絹夜の顔も一段と白い。
 隣に座った庵慈がちょっかいを出すたびに絹夜は溜め息をついた。
 熱海へ向かうバスの旅。生徒をバスに押し込めば、いざ出向の夏の道。
 そんな爽やかな旅に必ずいるのがこんな人種だ。

「庵慈先生、意地悪しないでください」

「あら、乙姫ちゃん、やさしーんだ〜」

「絹夜君をさらってきたのは庵慈先生じゃないですか……。しかも、後頭部強打って自分でやっておいて、自分で診察して……」

「だってぇ〜、絹夜君と旅行したかったんだも〜ん」

 ぐったりとした絹夜の腕をとって庵慈は景気よく声を上げる。
 普通なら注目必須の若いバスガイドもこの人の派手な行動に見劣りしてしまうのが常の陰楼の遠出だ。
 最前列でどたばたとやる三人とは違って、チロルは後方座席で黄色の冊子を広げていた。

「恋とはため息の雲とともに立ちのぼる煙だ。
 清めれば、恋するものの目に燃える火となり、乱されれば、恋するものの涙が降りそそぐ大海となる……」

 ロミオの台詞だが、完全に棒読みである。
 そして、何を感じ取ったのか、チロルは口にした。

「復讐……」

 その言葉には重々しい意味がこめられ、空気が反響を拒んだ。
 口の中だけに沈んだ音を嚥下して、チロルは気を取り直してもう一度台本を見る。
 一度、承諾した以上、妥協はしない。

「恋とは……。台詞が……長すぎる……!」

 これは一度、単純に覚えるよりもコピーして脳内にデータを作ってしまったほうがいいのか。
 だが、それでは引き出す時に単調になってしまう。
 皆が期待しているのとは違うだろう。ただ舞台に立って台詞を吐き出すだけではいいというわけではなさそうだ。

「絹夜君、先生の部屋ならいつでも開けてあげるからね〜」

「庵慈先生!」

 前方はやかましく、後方は錆びれ、それでもバスは海沿いの道を走った。
 熱海といえば温泉や豪華な食事だが、それとは少し外れた山だった。
 当然、山を降りればすぐに海が広がり、田舎ではあるが学生の旅行には贅沢な立地だった。
 蝉も大合唱で小声では隣の人間が何を言っているのかわからない。
 国道からバスを降り山道を一キロも上るとようやく宿舎が見えて、さらに二キロも歩けば到着だ。
 三泊四日分の荷物を抱えながらの登山は足にばらつきがあり、体力順に宿に着くことになる。
 最後尾から生徒を駆り立てる庵慈が上ってくれば全体が集まったことになる。
 どこまで庵慈が苦手なのか、乗り物酔いでフラフラしていた絹夜は具合が悪いと思えないほどの足取りで先を急ぎそれについてゆけたのはチロルだけだった。
 乙姫はというと、序盤は二人についていったもののだんだんと先頭を巡って意地を張り合う二人について行けずに二軍と到着。
 見知った顔もいくつか見た。
 存外子供っぽい絹夜とチロルだが運動能力だけは人並み外れている。
 十分もしないうちに到着していたのか、待ち受ける運動バカ二人は涼しい顔だった。
 一時解散の号令がかかるともう早い。生徒達は割り振られていた自室に向かった。
 ペアとなった友人と一部屋で割り振られているのだが、庵慈に拉致された絹夜は部屋がない。
 身の危険を感じて絹夜は早々庵慈に詰められた自分の私服の入った荷物を抱えた。
 すでに伝はある。

「どこ行くのよ、絹夜くぅ〜ん」

「後頭部を鈍器で殴られない、安全な場所だ」

「だって、引出物でもらうフライパンって捨てられないけど使わないともったいないじゃない?」

「ほう。フライパンか。フライパンで俺を殴ったのか……」

 冷静な顔をしながら額に青筋を浮かべる絹夜。
 確かに、健康を保障してくれるはずの保健の先生に生徒が殴られる筋合いはない。
 それも、来たくもない臨海旅行に連れ出され、大嫌いなお天道様の下だ。
 これ以上は付き合えない。

「黒金、先いってまうでーッ?」

 遠縁からタイミングよく東海林の声がした。

「ということだ」

「なかなかやりおるわね……」

 元々あぶれて一人部屋の東海林を捕まえて庵慈を逃れる。
 庵慈より東海林をとった絹夜に、彼女は降参のポーズを示した。

「まあいいわ。時間はたっぷりあるもの」

 挑発するようにウインクを投げかける庵慈。
 それにさっさと背を向けて絹夜は無駄に膨張している自分の荷物を東海林の肩にかかったスポーツバッグの上に置いた。

「どこのお姫様じゃ、貴様ーッ!」

「旅にお供はオプションだろ」

 東海林をおいて先を行く絹夜が振り向きざまに言う。
 だが、旅にトラブルもオプションだ。

              *                  *                   *

 卓袱台の上に一枚、また一枚と落ちる花びらを見つつ、卓郎は何も言えずに正座をしていた。
 このクソ忙しい時に邪魔が入るとは思っても見なかった。

「そうして、早朝、庵慈先生はバスに乗っていってしまったんです……」

「……それで……、ここで泣かれても……」

 裏庭に咲いているマーガレットをつんできたのか、祇雄はその花びらをぷちんぷちんと抜き取っては溜め息をつく。
 すでに山となっている花びらにこめられた思いを理解できず、卓郎はやんわりと追い出そうとしていた。

「皆、皆、今頃海に行って楽しく遊んでいるに違いないんだよ!? 青春を謳歌しているに違いないんだよ!?」

「そりゃあ、十代の学生ですからねぇ」

「俺、そんな時期なかったもん! 俺だってついていきたかったもん! それが連当直って。何、コレ。イジメ?」

「嫌われてるんじゃないですか?」

「ちょっと、オブラートに包んでよ!」

 包んだら包んだで遠回りな言い方するなというだけである。
 卓郎も、迷惑なものを置いていったと、チロルたちをうらやんだ。

「ああ、庵慈先生の水着姿、庵慈先生の浴衣姿、庵慈先生のあんな格好やこんな格好……!」

「あぁ〜ぁッ……、んもーッ! う・る・さ・い・ナぁーッ!」


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あきゅろす。
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