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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
15 *御神/tirol*3
 絵の具くさい美術準備室を隠れ家のようにして、いつも絵を描いていた。
 中でも、繊細な水彩画が得意だった。

「衣鶴、キャンパスを良く見ろ。何色を載せればいいか見えてくる」

 彼はそういっていた。
 未だに白いキャンパスの上に色が見えたことはない。
 よれて絵の具のついたシャツを着ていた。
 自分に水彩画を勧めてくれた。
 いつも子供のように面白いことばかり捜していた。
 時折、悲しい目をする先生だった。
 そんな、庵慈の恋人だった。
 そんな、衣鶴の恩師だった。
 的場ダイゴ。
 からくも生きた亡霊となった男だった。

「先生は、庵慈先生の絵とか描かないの?」

「あ?」

 衣鶴はそう聞いたことがある。
 仲のいい衣鶴に、庵慈がつい口を滑らせて二人の関係を知った時、ふと疑問に思ったことだ。

「描かないよ」

「描かないんだ……」

「気恥ずかしいじゃん。”私はもっと綺麗よ!”とか言われたら、俺、多分立ち直れないし」

「ああ、それは嫌だね……」

「まあ、それ以前に完成するかどうかな……」

「え?」

「うーん。描き始めたら、毎日こねくり回す気がする。いや、変な意味じゃねえぞ!
 なんつうか、人間って、毎日定まらねぇじゃん。ちょっとずつ変わっていくじゃん。
 俺も、見る目が変わるだろ? だから、毎日、毎日、いや、毎時間、その絵も変える気がする。完成なんてしない気がする。
 一生、庵慈を描き続ける気がする。だから、描かない」

「言い切っちゃたね……」

「うん。言い切っちゃった……な」

 自分で言っておきながら、このことは内緒、と付け加えるダイゴ。
 呆れるような男だ。

            *                 *                 *

「先生は、いつまでこの学園にいるの?」

 唐突な衣鶴の問いに庵慈は手を止めた。
 金色に輝くジャスミン茶に氷と砂糖を入れ、かき混ぜていた手が再動すると、庵慈は首をかしげた。

「なんでそんなことを聞くの?」

「久遠寺も卒業する」

「…………」

「ダイゴが……白銀がどうなるか分からないけど、先生はずっとここにいるつもりなの?」

「…………そうはなりたくないものね」

 沈黙が押し寄せる。
 互いに次の言葉を待って庵慈は折れて口を開いた。

「ダイゴが、何を考えていたのか、わからない…………」

「…………」

 久遠寺殺。
 その現況を衣鶴はあまりよく覚えてはいなかった。
 ただ、自傷癖があり、学園にも馴染めず、寮に引きこもりっきりだった女子だ。
 一度だけ、彼女が自殺を計ったことが騒ぎになったのを覚えている。
 何度も手首を掻っ捌いていたようだが、ほとんどが学園が上手く誤魔化していた。
 殺の担任がダイゴだった。
 責任を押し付けられたダイゴは懸命に殺に呼びかけ、やっと殺が心を開いたと思った矢先、ダイゴは消えた。

「ダイゴは、どうして欲しいのかしら……。その真実を見るために私はここにいるのよ」

 殺にとって、ダイゴが唯一だったのかもしれない。
 懸命に呼びかける異性を好きになってしまうのは女の性かもしれない。
 だが、それを力でねじ伏せて奪っていった殺が許せない。
 彼女は自分の魔力でダイゴをウルフマンに変え、自分の下僕に変えてしまった。
 彼女が呪いを解かない限り、ダイゴはあの女の下僕として手を汚していく。
 それをさせてしまった自分が不甲斐無く、庵慈は不可能を誓った。

「ダイゴを人間に戻す」

 そう、誓った。

「…………。先生らしくないよね」

 衣鶴の言葉が重い。
 だが、それでいいのだ。
 自分は苦しむために生まれてきたのだ。
 窓の外の入道雲。あの空のようによく晴れた日だった。
 学園の用意した教会に、空の棺を皆で埋め、ダイゴを弔った。
 庵慈は涙一つ流さなかった。
 その光景を見て、生徒達はやはり彼女は魔女であるということを再認識し、恐れたが、庵慈にはよく分からなかったのだ。
 あまりに唐突で、理解が出来なかった庵慈は言われたように黒い喪服に袖を通しながら、何度も衣鶴に聞いた。
 これは、誰の葬式なのか、と。

「まだ、現実を見たくないの」

 ジャスミン茶を口に運んで庵慈は小さく呟いた。
 ダイゴがいなくなって、一年ほどした時、何も知らない秋水から手紙が届いた。
 相変わらず危ない橋を選んでわたっているような秋水に、ダイゴのことを連絡し、やっと自分が孤独であることに気がつく。
 しかし、それはあまりにも良くない夢だった。
 いつか、いつか信じていればダイゴは戻ってくる。
 神はいつでも自分に試練を与えた。そして、待って、耐えていれば必ずどうにかしてくれる。
 いつの時代も、都合よく奇跡が起きたことはない。だが、今度こそ、今度こそはと、今は願い祈る。

             *                 *                  *

 教職員も疎らになった職員室、祇雄は自分のデスクに積みあがった書類を呆然と見ていた。
 今日は終業式で早く仕事が終わり、その分時間があくからと他の職員の手伝いをさせられることになっていたが、思いがけない量である。
 しかもそれを頼んだ先生はすでに姿をくらましている。
 職場の上下関係の最下層にいる祇雄は有無をも言わさず、こういう役回りだ。

「俺に夏休みはないだろうな……」

 予定表を見れば、当直の三分の二は自分の名前が埋まっている。
 何かの間違いかとおもって聞いてみれば、若くて暇そうな先生がいると助かる、と褒められながら貶され、ついでに脅された。
 彼の妄想では、臨海旅行についてゆき、――(中略)――えてして、庵慈との恋のフラグが立つはずであったが、臨海旅行についていくことが夢となった。
 さようなら、甘い夏。こんにちは、膨大な仕事。

「あー、本気で生きてる意味が見出せねぇ。今ならどんな優しい神父も牧師も黙らせる自信があるぞ」

 酷い自信だ。
 この男はどこまで堕ちることができるのか。
 ここは仕方なく、腕まくりで片っ端からやっつけるしかない。
 いままでもそうやって片付けてきた。終わらない仕事はなかった。
 実家、京都から送られてきた抹茶をアイスで傍らにつけ、気合を入れて書類整理に取り組もうとする。
 今回は例の臨海旅行の出欠席の集計だ。是か非かはっきりしているだけ簡単だ。
 気合も高まる、今のうちにできるだけ手をつけてしまおう。祇雄は、よし、と自分に呼びかけた。
 しかし出鼻を挫くタイミングで職員室の扉がノックも無しに開いた。

「お邪魔しますよ」

 教職員がいっせいにシンとなる。
 祇雄もそれにならって口を塞いだ。
 強く足音を響かせる男子生徒は白いコートをなびかせる。
 破天荒な魔女部の部長の側近、牧原裂だ。
 だが、彼のコートの胸元にはいつも光っていた臙脂の勲章はない。
 暑く空気が粘つく廊下でも、きつくクーラーの利いた職員室でも、温度を感じないように裂は笑みを湛えたまま調子を崩さない。
 まるでそんなことは自分には関係がない。
 そう訴えていた。
 肌身離さないごつごつした杖とコートが、高校生というよりも、魔法使い、といったほうが似合う男だ。
 裂は狼に怯える羊のように固まってしまった教師達を値踏みするように見て、やがて祇雄の前にたった。
 どうしてよりにもよって。
 その心境がありありと伝わるような顔で祇雄は引きつり笑いを浮かべた。

「は、はぁい、お、お疲れです〜……」

 震える声で陽気に振舞う祇雄だが、それを見下す裂の視線は冷たい。

「ご安心ください。僕はどこかの不良神父と違って、弱いものイジメはしません」

「そ、そりゃ、よかった……はは、アハハハ……」

 空笑いの祇雄に裂は刺すような視線を投げながら囁く。

「オリジナルのウルフマンを弱いといえるほど、僕も大胆ではないんですがね」

「あ〜、牧原く〜ん! 喉渇いてないか〜い?」

 不自然な動きで汗のかいたグラスのグリーンティーを差し出す祇雄。
 小動物のようなか弱さを訴えているのか、やたらを目をきらきらとさせている。
 この調子だけ見れば、魔女の脅威たるウルフマンに変貌する男とは微塵も思えない。

「せっかくだからもらって差し上げましょう」

 氷を鳴らしてグリーンティーに口をつける牧原。
 半分ほど一気に飲み干すと、ソウルイーターを慣れた調子でまわして祇雄のデスクに突きつけた。

「今日はただ、これを変更しようと思いまして」

「コレ、といいますとー……臨海旅行の出欠席だね……」

「欠席にさせてもらいましたがやっぱり行きます。見ていないところでことが起きるのは楽しくはないですからね」

「な……まさか、庵慈先生を……」

「低俗な」

 低俗な脳みその祇雄はほっとしつつ、結局自分がついていけないことを思い出した。
 がっくりと肩を落とす。

「確かにお願いしましたからね」

 もう半分を喉に流し込み、裂はグラスをテーブルに置いた。

「ごちそうさま。まあ、あなたは殺の下僕にならない程度に努力したらいいんじゃないですか?」

「…………」

 急に真剣になった裂。そして、本当に小さく、小さく囁く。

「彼女は、今、躍起になっているようです」

 そうして、裂は何事もなかったようにその場を離れた。
 彼が出口をくぐるまでやはり他の教職員は怯えたように壁際に張り付き、彼が出て行った後も会話をしていた祇雄に不信な視線を向ける。
 それに愛想笑いをしながら、祇雄はやはり庵慈と臨海旅行にいけないことを後悔した。
 今回の留守番は寂しい上に危険である。



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