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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
15 *御神/tirol*1
 Amazing grace, how sweet the sound
 That saved a wretch like me
 I once was lost, but now am found
 Was blind, but now I see.

 天空へと届きそうな、それでいて、大地を包み込むような歌声が小さな音楽室を満たしていた。
 ハスキーであるのに透明感のある、そのボーイソプラノともアルトともつかない声の主が力強く鍵盤を叩く。
 軽やかに、優しく、力強く。
 アメージング・グレイス。その有名な聖歌を崩して演奏する指先の動きは確かだった。
 半音で捕らえる音がまた力強く、儚い響きを持っている。
 どうしてそんなに強く悲しい音で歌うのか。
 誰も問うものがなかった。

               *                 *                  *

 校長の長い話も終わり、夏休みが開始した。
 長いこと連絡が取れなくなるだろう者、どこにも行くところが無く、結局学園寮で過ごす者、様々だった。
 単位数に数えられないこの日、黒金絹夜があらわれることは無く、彼が夏休みどのように過ごすのか乙姫の耳には入らなかった。
 そして、風見チロル。
 字利家出現から、絶対と思われていたNGの結束までが崩壊した。
 ここ最近、単独行動の多かったチロルが何かに怯えるように他の生徒と行動を共にしている。
 教室移動も、部活も、トイレも、絶対に誰かと一緒だった。
 女の子なら良くある光景だったが、風見チロルに限っては今まで全くなかったのだ。
 むしろ、能率が悪くはないのだろうか、そう考えているようでもあった。
 それだけでは心落ち着かない様子で、チロルは日に日に目の下の隈を濃くさせていた。
 通知表を受け取ってから顔色を青くするほかの生徒とは違ってチロルは見るからに体調を崩している。
 何度も名前を呼ばれても反応せず、乙姫が揺さぶり、彼女はやっと気がついて通知表をとりに動いた。
 戻ってくるなり、開くことも無く鞄にしまう。
 彼女のことだ、見ていて面白くなるような完璧ぶりなのだろう。成績は申し分ない。
 だが、当のチロルは心ここにあらずといった調子が随分と続いていた。
 今まで困ったことがあればNGの祝詞、卓郎に話していたのだろう。
 しかし、彼らのことで相談する相手がいないのか、チロルは押し黙っている。
 自分が話し相手になれないことを悔やみながら、乙姫は様子を見ていた。
 もしかしたら、NGにも言えない事情なのかもしれない。
 だから誰にも言えない。
 言葉に出来ない。
 叫んでしまいたいような思いを言葉に出来ない。
 彼女は言葉に出来ない。
 それは、とても……。

「藤咲」

 名を呼ばれてはっとなり、勢いよく立ち上がる乙姫。

「またぼんやりしていたな」

 担任の教師が笑う。
 それにつられて他の生徒も笑う。
 またやってしまった。
 乙姫は肩を落としながら教壇の前の教師から通知表を受け取った。
 中を恐る恐る開く。
 珍しく、国語と古典以外はアヒル(2)のオンパレードだった。
 今年はいろいろ忙しかった。
 思い返し、自分に言い訳をした乙姫。
 だが、アヒルの群れは消えるわけではない。

          *                     *                     *

「おっとひっめちゃ〜ん」

 相変わらず調子だけは絶好調な東海林が帰り際に肩を叩く。
 その調子をチロルに分けてあげたいものだ。

「乙姫ちゃんは、夏休みどうするん?」

「え? うちに帰るよ」

「つまり、本腰、旅に出る〜とかそういう忙しい人ではないっちゅうことか。好都合」

「こうつごー……?」

 目を丸くする乙姫を廊下のエントランスに引っ張って東海林はこそこそと話した。

「最近、チロちゃんおかしいやん。
 ブッチョウ面がさらにブッチョウになったちゅーか、あのままやったら話しかけられたもんも話しかけにくいで」

「うん……」

 やはり東海林の目から見てもおかしいのだ。
 絹夜曰く、お節介二号の東海林はお節介一号チロルにお節介を焼きたいらしい。
 絹夜がこれを聞いたら東海林を無言でどつくに決まっている。

「そーこーでーやー」

 ぴしっと人差し指を立てた東海林。

「夏休み恒例〜、臨海旅行に風見も引っ張っていこか」

「え゛」

 臨海旅行は陰楼学園恒例の夏休み修学旅行だ。
 どうあっても生徒達を監視しておきたい学園側はそういった催しで生徒をかき集めている。
 旅費も学園もちになるので、参加は強制ではないが人気のある行事だ。
 そしてもう一つの人気の理由は神緋庵慈が同伴で看護班を努める。
 海で溺れれば、日射病で倒れれば、あのお色気保健医が付きっ切りだ。

「でも、去年、チロちゃんって行ってなかったよね?」

 行かないのは少人数で、そちらのほうが目立つ。
 乙姫もチロルも昨年の臨海旅行には参加しなかった。
 乙姫は家の手伝いだが、チロルはきっとNGとして動いていたのだろう。

「黒金以外は誘えば来るやろ。皆が誘えば風見は断れん」

「あ……そうだけど」

 黒金以外。その引っかかる言葉だ。

「もう一度言うで。黒金以外、は、皆来るやろ」

「…………」

 わざと黒金を強調して東海林は乙姫をからかった。
 上手く答えられる人種ではない乙姫は話をそらして、でも、と切り返す。

「チロちゃん、来るかわからないよ……?」

 NGの行動はまだ読めない。
 彼らは何を考え、何を基準にしているのか。

「それをひっぱって来るんが、乙姫ちゃんの役目や」

 あ、やっぱり。
 口に出そうになったが乙姫は承諾する。
 
                *                 *                  *

 終業式も終わってざわめく校舎。
 しばしの別れ、夏の午後。
 それでも鍵盤は叩かれる。
 言葉が紡ぐ温かな詩。
 歌声までが甘く熟れた果実のようで、しかしそれを誰も耳に出来ない。
 音楽室の扉には鍵がかかっていた。
 今日は誰もこの扉を開く予定はない。それでも彼はそこで歌い、奏でる。

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