NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
14 *天使/Raphael*2
「乙姫、そりゃ、字利家蚕だよ!」
大声で驚愕するクラスの友人に驚愕する乙姫。それにさらに驚いて聞き耳を立てるチロル。
珍しく授業中に入ってきた乙姫の様子に皆が敏感になっていた。
普段は早くに教室に入ってぼんやりしている乙姫だが、それがいないのでチロルが喚いたのだ。
気がつけば乙姫の携帯着信の欄は全てチロルの番号で埋め尽くされるほどになり、再度チロルの過保護っぷりを思い知らされる。
だが、昼休みにことの真相を話した乙姫に他の女子生徒たちが騒ぎを大きくした。
「字利家君っていうんだ……?」
「うわー……このトド姫! あんた知らなかったんだ!」
「う……ごめんなさい……」
乙姫を取り囲むようにした女子生徒達。その迫力に負けて文字通り肩身を狭くするは尋問されているようでもあった。
「で、結局あんたらはどうやって入ってきたわけ?」
「字利家君が、自分が迷ってたのを案内してくれたんだって言ってくれて……」
「お、脈あり?」
「そんな、乙姫だよ?」
「ううぅ……」
さらに縮こまる乙姫。否定も肯定も出来なかった。
「帰ってくるって噂は聞いていたけれど、まさか本当に、ね」
「あの……字利家くんって前にもいたっけ?」
乙姫の不意の疑問に彼女を取り囲んでいた女子達がいっせいに非難の声を上げた。
「エーッ!! 乙姫、あんた字利家を知らなかったの!?」
「だって、そんなコ、見たこと無いよ……?」
「う〜ん、いなかったっていったら、いなかったんだけど……。何でも結構忙しい身で、三日くらい来たか来ないかして転校しちゃったからね」
「それって、全然いなかったってことだよね……?」
再確認する乙姫の言葉に女子達は唸った。確かにいなかったのだ。
だが、当時の彼女達の噂の中には濃厚なほどにいたに違いない。
「とにかく、天才美男子で有名だったの。あんた、そういうの疎いんだから」
「ん〜……」
無理矢理に話をまとめられ、言いくるめられる乙姫。まだ納得はしていないようだが、彼女とてどうでもいいことで仲たがいはしたくない。
黙って流すと、取り囲んでいる彼女達は字利家話を続けた。
どの単語も彼を賞賛するものばかりで、まるで非の打ち所が無いように思えるが、乙姫は自分の脳内にしまってある彼の意味不明な行動を思い出す。
ツツジに頭を突っ込んでネコか何かを捕まえようとしていたが、その光景は耳にした完璧青年にかすりもしない。
確かに驚くほど見目は良かったが、どこか違った印象をもたれているようだ。
美形、イケメン云々に興味の無い乙姫はチロルのほうに目を向けた。
彼女はいつものように難しい顔をして何かを考えているようでもある。
そして、その奥の席の黒金絹夜はというと、すでにいない。
「…………」
なんとなく劣等感を覚えながら乙姫は密かに頬を膨らませた。
字利家はこの場にいないというのに、さっきまでいた絹夜の話は誰もしない。
黒金絹夜といったら、すでに聖トラブルメイカー、触らないほうがいい神、アンチこの世の全て、幸せトンズラ、など言われるだけである。
非常にネガティヴな印象の絹夜に対し、字利家蚕は明るい話ばかりだった。
それが、非常に悔しい。
「で? 乙姫はどうなの?」
「え?」
突然ふられた話に目をパチクリとさせて乙姫は説明を待った。
彼女が話の途中で考え込んでしまうのをすでに理解している友人達は溜め息混じりながらももう一度説明してくれる。
「字利家蚕。かっこよかったわけでしょ?」
「……んー……」
確かに見目麗しい。
だが、琴線に触れる部類ではない。
触れれば斬れそうで、正面を向いていてもまるで視線があっていないような感覚だった。
さらに、何か得体の知れない妙な青年である。
「私は、ああいうのはちょっと……。線が細すぎるっていうか、わからないっていうか……」
「はあ、うちの姫は鈍感ですこと」
「そんなこと……ない……と、思うんだけど……どうなのかなぁ……」
言葉をしぼませる乙姫。
しかし、その言葉の尾をどよめきがさえぎった。
「?」
クラスメイトと一緒に視線を教室前方も入り口に向ければ、そこには今朝見知った影がある。
薔薇でも背負ってそうな聡美な雰囲気を漂わす字利家蚕だ。
「あ、噂をすれば」
乙姫の横で誰かが言った。
当の字利家蚕はというと、何も言わずに教室内に入ってきて、乙姫の席の前までやってくる。
その周りを囲んでいた女子生徒たちもすんなりと道を開けて字利家を通す。
彼の脇にはまだもぞもぞと動くバッグが下げられており、やはり無表情で中の生き物を気に止めていない様子だ。
「藤咲さんでいいんだよね」
喋るだけで楽器のような声にどこからとも鳴く溜め息が漏れる。
返事をしにくくなった乙姫は怯えるように頷いた。
「今朝はありがとう。僕が一人だったらきっと今日、学園にたどり着くことはなかったよ」
「えと、ええと、どういたしまして……」
「学園の前の森って雰囲気あるからどうしても、ね」
どうしても、なんなのだろう。
あえて問い返すことなく、乙姫は苦笑いを返した。
「今日は職員室に寄るだけだったから時間、大丈夫だったけど。もしかして、また迷ってるかもしれないから、その時はよろしく」
「はい?」
また?
乙姫は直視できなかった字利家を覗き込む。
神がかり的な美貌と優雅な仕草。だが、やっていることはかなり――電波っぽい。
「…………あ、はぁ」
乙姫が唖然としながら生返事をすると、字利家のバッグからミャーという鳴き声が静かに響いた。
「あの、いつまでもネコちゃんをバッグに入れておくの、可哀想だと思うよ……?」
震える声で乙姫は注意する。
いっそう静まり返ったクラス内にもう一度、ミャーとバッグが鳴いた。
「ああ、これか」
字利家が自分のバッグに視線を落とす。
ミャー。
「強暴だから……」
ミャー。
「でも、出してあげたほうが……」
乙姫の言葉に字利家は素直に頷いた。
「そのほうがいいなら、そうだね」
バッグの中に手を突っ込み、ミャーと鳴くその尻尾を掴む。
なんだかずんぐりした尻尾を引っ張り出し、字利家が逃げないように教室のドアを閉めて欲しいという。
当然、女子達が素早くドアを閉ざした。
「ありがとう」
そういって微笑を湛え、字利家がずるりとバッグの中のものを引きずり出した。
「カワ……いぃ……い?」
字利家に調子を合わせて黄色い声を上げようとしていた女子。だが、その言葉は尻すぼみになり、沈黙に飲まれる。
ビール瓶のような形、ぬらぬらと光る体、太った蛇のようなアジのひらきのような奇怪な生き物は確かにもう一度、ミャーと鳴いた。
「ツ、ツチノコやーッ!」
遠く東海林が絶叫する。
それを合図にどよめきが走った。
目の前に未確認生物を下げられて乙姫も固まってしまう。
ちなみにその横にいるチロルはというと、ツチノコよりも字利家に冷たい視線を投げかけていた。
「あ、あ、あぁぁっぁぁ、字利家君、もしかして、今朝はそれを追いかけてたの……!?」
「うん、すっごく早く来たら道の真ん中に飛び出してきたんだ。結構多いみたいだよ、この辺。
ツチノコとか、白い鴉とか、ケセランパサランとか……」
ツチノコを引っさげている美青年。まるで別の星から来た生物のようだった。
B級映画だと、地球侵略をたくらんでいる宇宙人は大抵、美形モデルに変装しているのである。
「じゃあ、僕、これを返してくるね。早く船に戻らないと星に帰れなくなっちゃうから」
レー、ミー、ドー、ド(1オクターブ下)ー、ソー。
映画『未知との遭遇』で宇宙人がコンタクトをとるために人類に送信してきたメロディーが誰しもの脳内で流れた。
まさに未知との遭遇だったのである。
「で、これ、誰に返せばいいのかな……?」
「ヴェ?」
思わず奇声を上げた乙姫。
人類史上の奇跡的瞬間に我を忘れていたが字利家の言葉に大げさに反応する。
「…………」
誰に返す?
よくもそんなシュールな展開に引っ張ってくれるものである。
助けを求めて乙姫はチロルに首を捻った。
だが、字利家もチロルに視線を向ける。
「彼女に?」
そんなことは言っていないのだが、字利家は無言でチロルの机の上にツチノコを載せる。
「これで一件落着だね」
そんなはずは無い。
それなのに誰も字利家を止めることなく、彼が黙って去っていくのを見守った。
呆然としたままのクラス中だが、チロルだけは机に置かれたツチノコを冷たく見下ろしていた。
「チロちゃん……」
まず何を言うべきなのかわからないまま乙姫は声をかけるが、チロルはいつもの何倍も難しい顔をしている。
普段から話しかけにくい雰囲気をまとっているチロルだが、こうなってしまうと迫力は一入だ。
「字利家…………」
その名を呟いて、彼女の手がツチノコに伸びた。
だが、触れようとした瞬間、それは高速で溶け出す。
「なッ!」
泡を吹き出し、匂いを巻き上げ、液状化していく。
それはなんとも不気味な光景だった。
椅子を後ろに引いて液体を避けるチロル。
その液体が飛沫を上げながら机を這いずり回った。
零れ落ちる薄紫の液体がだんだんと赤に染まっていく。重い赤は血を思わせた。
机上に現れる赤い手のひら大の円。
そこに走った血色のラインは文字のようにも見えた。
「これ……魔法陣……!?」
乙姫の悲鳴じみた声にチロルは浅く頷いた。
「これが奴の正体だ」
「魔女……?」
小さな声だが、今の教室にはよく響いていた。
その口を覆うように手をあてて乙姫は魔法陣に目をむけた。
「分かるのか?」
「ううん、私、そんなに詳しくないから……」
「ナメられたものだな……。少なくとも、これは私に対する、もしくは、NGに対する挑戦なのだろう」
チロルの表情はいつになく険しかった。
乙姫にとってもそれが何を警戒してるのかは分かっている。
今は地中に潜った魔女部だが、近々、動きがあるのだろう。
そして、字利家蚕。
二年生で同じ学年だというのに全く面識が無い。
魔女部の乙姫ですら、いつ彼が魔女部に関わったのかすら疑問だった。
しかし、皆は彼を知っているという。何かがおかしい。
沈黙の中、雰囲気の読めないチャイムが鳴る。
チロルは自分の席から絹夜の席に移動し、次の科目の教科書をバッグから取り出した。
何事も無かったように振舞うチロルにならって他の生徒も授業の準備に入る。
「なあ、乙姫ちゃん、字利家にはあんまりちかづかんと方がええんとちゃうん?」
東海林がいつの間にか横について乙姫に忠告する。
それは嫌でも感じたが、改めて言われて乙姫は了解した。
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