NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編 13 *兄弟/brother*1 輪廻はいつでも果て無き果てを望む。 時間を消費しているのは、幻だ。本当は時間という獣に人間が食われているのだ。 そうして、そうして、それは未来に向かっていく。 日本、成田。晴天の夏の日差しにもかかわらず、黒いスーツを着こなした長身の男が降り立った。 成田国際空港前に停まっていた宝石のようなリムジンに吸い込まれていくその男の胸には、大きな金十字が光っていた。 * * * 夏休みを控えた学生達の午後。 待ち遠しさも相まって勉学に対する集中力も冷めていた。 それでも静かな授業中の学園の裏門に一台のリムジンが入る。 東京の端に位置する片田舎の学園には似つかわしくない黒曜石のような車体は真夏の日差しに眩しく光っている。 駐車場はがらんとしていたが、そのリムジン一台で華やぐようだった。 駐車場自体が校舎の廊下側にあるために、生徒達からは見えず、まさに優雅に入り込んできたのである。 迎え入れた校長率いる教師陣も緊張した面持ちでその場に規律正しく並んだ。 運転手がリムジンの客席を開く。 そこからすでに別世界のオーラを放ちながら、長身の男が登場した。 後ろに撫で付けた黒髪に、黒に近い緑色の目をしているその男は炎天下でも上品なスプライトのスーツを着こなしていた。 三十路はゆうに越えているだろう男は、ダンディズムと薔薇の似合いそうなハリウッド映画の俳優もかくやという気さくな笑顔を見せる。 目の色は緑だが、顔立ちは日本人で、どこかほっとさせる男だ。 「おや、私一人のために大人数で申し訳ない。皆さん、日本の気候と言うものは激しいですね。 さぁさぁ、日陰に入りましょう」 彼の一言を合図に教師陣は動き出す。 すぐさま、男の横にハゲ眩しい校長が悲鳴めいた声を上げた。 「ヴァチカンからのご来日ということでしたら、やはり、あの件なのですね!?」 「う〜ん、どうだろうなぁ」 余裕のある太い声で男は答える。 しばし、はぐらかして、微笑むと仰々しく礼をして名乗りを上げた。 「黒金代羽(くろかね しろう)。黒金絹夜の兄です。 ちょっと近くまできたので弟がちゃんと高校生として正しく生活しているか見学しにきました」 「え……?」 魔女部とは別の用件だということを理解して校長は炎天下に足を止める。 硬直した彼をおいて、代羽は学園内に入っていった。 「いやぁ、冷たい日本茶が待ち遠しいですね〜」 * * * 校内放送で名前を呼ばれて不機嫌な絹夜。 四回目の無視をしようとバッグを担いだところを祇雄とばったり遭遇する。 「あ、発見!」 「あ?」 突撃する祇雄を軽く避ける。 廊下で見事にヘッドスライディングをキメた祇雄を見なかったことにして再び歩き出すと、裏返った声が目一杯響いた。 「クロッカニェーッ!」 「都会の犬は咆えないようにしつけられるんだぞ」 「犬扱い上等! 俺はプライドより職が大事!」 「…………悲しすぎて嫌味も出ない……」 「恥も仕事の内なんだよ。それより! それよりも! お前、どうしてあんなに放送で呼んだのに来ないんだよ」 「は?」 べそをかいている祇雄だが、どう意味が全く分からなかった。 いつもいっぱいいっぱいで挙動不審気味だが、今は完全に正気を失っている。 額に汗を浮かべながら青い顔をしているさまは、いい病院を紹介したほうがためになりそうだ。 「何の用だか知らないが俺はいない、そう言っておけ」 「それが出来るならぁ、ヤッテルサーッ!!」 エキセントリックな祇雄の叫び声に絹夜は背を向けた。 「待て、黒金! お前の兄貴が応接室で待ってる! どう見たって、あれは”V”で”I”で”P”だろ!?」 「何……?」 低く唸るように絹夜は唸って祇雄を睨んだ。 切れ長の鋭い目はそれだけで迫力があるというのに邪眼の光を帯びている。 まさに蛇睨みで祇雄は身を縮めた。 「う、嘘じゃないもん……」 じりじりと後退をする祇雄。だが先に絹夜が目を放して、応接室のある二階に下っていった。 廊下にはへっぴり腰の国語教師が一人残る。 * * * 「♪小池さ〜ん、小池さ〜ん、小池さ〜ん!」 いつもながら寂れた警備室に卓郎の寂れた歌が流れる。 卓袱台の上で口をあけているカップラーメンにお湯を注ぎ、読みかけの文庫本で蓋をする。 「カップ麺を開発した時点で日本人は人類の頂点に出たね、さすがザビエル! フランシスコ!」 リモコンを操作してテレビをつければおなじみの午後のご長寿バラエティーだ。 まったりと、もしくはだらだらと午後を過ごそうという卓郎の考えもドタバタという足音に霧散する。 何事かと思いながら首を出口方向に捻って、ドアが開くのを待った。 「コラ、警備員!」 「あー」 この落ち着きの無い足音がチロルでなければ乙姫で無いこともすぐに分かる。 やかましい小さな女子生徒にうんざりした顔を向けて卓郎は手を振った。 「ユマちゃん、俺、今、ウルトラマンなの。三分しか話聞けないよ」 「一分で充分! 特別な情報教える代わりにあのくっだらない呪いを解け〜!」 ユマが絶叫すると共にその腹の虫が鳴く。 指を突きつけたままの格好で沈黙が通り過ぎ、卓郎が失笑した。 「そうかそうか。その面白そうな話を聞かせてくれることを前提にこのカップラーメンを進呈しよう」 すっとユマの方向に差し出されたカップ麺。ごくりと生唾を飲み込んでユマは首を振った。 「ユマ、騙されちゃダメよ! あんなのたったの98円じゃない! 校庭でも探せば百円玉くらい落ちてるはず!」 「何? 財布でも忘れたの? 友達に借りればいいじゃん……」 「オメサ、何ゆうとるが! このみんなのアイドル、マロンちゃんが物乞いなんかできっかーッ!」 叫ぶたびにユマの腹がなる。 ユマの言葉よりその音のほうが心情を物語っていた。 「あ、そう。じゃあいいや。しっし、帰りなさい」 それに返事をしたのも、やはり腹の虫で、ユマは無言で居間に上がりこみ、卓袱台につくとカップ麺を自分のほうに引き寄せる。 「魔女部に書記が帰ってくる」 それだけを言ってユマが手を卑屈に笑みを浮かべた。 卓郎は食いついた表情で、へぇ、と返事をして続きを待った。 「これくらいが98円の情報かなー。もっと詳しく知りたいんなら」 「ユマちゃん、箸が無いよね」 「…………」 どこからともなく取り出した割り箸にユマは顔をしかめた。 これだからNGが信用できない。全くもって可愛げの無い連中だ。 「書記の二年、字利家 蚕。一年の時にすぐ転校したけど、近々戻ってくるらしい。箸よこせ」 箸をよこすと、今度は調味料を取り出す卓郎。98円で粘る。 「…………くのヤロゥ……!」 「塩だけでいいならタダであげるよ」 「ムムム……。位置的には、牧原が字利家の代理ってな位置にいたけど、色々桁違いだね。部長も手が出ない」 「そんな奴が魔女部にいたのか……鬼が出るか蛇が出るか、だな」 調味料の次に海苔をちらつかせる。もはやそれは効力の薄いものだが、ここまで言ってしまったら海苔も欲しくなる。 忌々しく思いながらその詐欺師っぷりに感服したユマは海苔に手を伸ばしながら言った。 「多分、それ以上じゃない? 字利家は何考えてるのか分からないところがある。 そうだね、あんた達と同じ人種かもしれないな」 長話も丁度良く、三分ほど経ったところだ。ユマは文庫本を退けて蓋を開いた。 湯気の奥で腹の虫が最後の音を上げる。 「字利家……か」 一方で卓郎は口の両端を吊り上げながら真剣な眼差しを虚空に向けていた。 無理矢理笑顔と余裕を取り繕ったような表情をユマは気にせず、麺をすする。 「なんて名前だ」 その呟きで卓郎は唇をかみ締めた。 それも一瞬、次なる訪問者に気を向ける。 それはすでにユマの開け放ったドアをくぐって居間の入り口に立っていた。 「おい、卓郎さんよ。外にものっそいモノが停まってるが、なんだありゃ」 荷物をトランクに詰めた秋水が親指で後方を指している。 そこからは見えないが、卓郎は駐車場のことだと理解して首をかしげた。 「知らなかったのか。モノごっついリムジンがハバ利かせてたぜ」 「リムジン!?」 ユマと卓郎の声がシンクロする。 驚いた秋水だったが、生返事で話を進めた。 「アレの奥に俺の車があるんだけどよ、お前、アレどかしてくれよ」 「いや、まずいでしょ、勝手に乗ったら! 運転手さんいないの!?」 「十円傷つけてやれ」 ユマの悪意ある言葉に一瞬停止しながらも卓郎は大げさに腕を組んだ。 「でも何でそんなもんがこの学園に……。政府関係者がかぎつけてきたか……?」 「でも、さっき黒金がしつこく呼ばれていたな」 秋水にトドメを刺され、卓郎はそのまま寝そべった。 「うわー、法・皇・庁だーッ!!」 [*前へ][次へ#] [戻る] |