NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編 12 *夢幻/vision*1 正の字が並んだ。 チロルの横では乙姫が苦笑し、絹夜にいたってはよほど面白かったのか、机に伏せて筋痙攣を起こしている。 「それでは、風見さん、お願いします」 クラス中のが拍手をする中、チロルは引きつった笑顔で答えるしかなかった。 * * * 「ふ〜ん、もうそんな時期か〜」 のんびりとした口調で卓郎は言った。 手にした黄色の表紙の分厚い冊子をぱらぱらと開いて元の持ち主である乙姫に返す。 和んだ放課後の警備員室では、卓郎と祝詞、そして秋水がお茶をすすっていたが、LHPの終わったチロルと乙姫も加わり、にぎやかになっていた。 「ちょっと早いけど、準備は夏休み前にしないと、体育祭もあるし、間に合わないから……」 乙姫は卓郎から渡された黄色の冊子を大切そうに抱きしめてはにかんだ。 一方チロルは納得いかない表情で乙姫のものと同じ黄色の冊子を睨んでいた。 「学園祭ね。いいねぇ、学生は」 秋水がそれはもう自分の家のようにくつろいで肩膝を立てて座っている。 かといって、それを注意するNGではない。 「去年は、露店をやったんです。だから今回は演劇をやろうって話があって……」 いつもより饒舌な乙姫。 どこか興奮した面持ちで気合も十分といったところだ。 「それにしても、乙姫ちゃんがジュリエットか。うん、すごく似合うね」 祝詞の言葉に頬を赤くして笑む彼女はまさに一途で純粋なヒロインに適役だった。 長い黒髪と嫌味の無い清楚な容姿、すでに衣装係は張り切っている。 「ところで、ロミオは誰やるの? 120%、絹夜君は無いだろうけど」 「あ」 祝詞の問いに乙姫はなかなか答えず、笑みを凍りつかせた。 そして、黒い両眼を横にずらしていく。 彼女の視線を追いかけて、男三人がチロルに向く。 「…………私だ」 そのまま呪われるんじゃないかという恨みがましい声を上げてチロルが黄色の冊子――台本を握りつぶした。 「…………」 世界中ではさまざまなことがおきる一方、その空間だけは切り取られたかのように静まり返る。 やっとそこに時間の概念が戻ってきて、例の如く、卓郎と祝詞が噴出し笑い転げた。 「ええい、何で笑う!!」 今にも決闘を申し込みそうなチロルにハマリすぎだからである。 だが、本人にはその自覚が無いようで、裏方でバリバリ働くほうが性にあっているチロルは落ち着かない様子だ。 「にしても、台本、相当分厚くないか……?」 秋水の一言で静まるが、乙姫が答えた。 「とりあえず、全部あるそうです。舞台の時間が多く取れたのでいっそやっちゃおうって、隣のクラスと合同でもう大人数で!」 「ほう」 通常は有名なバルコニーのシーン、ロミオの立ち回り、そしてラストシーンでまとめられるが、これだけやるとなると準備からして大変だ。 おそらく体育祭は捨てで学園祭に走っているのだろう。 「さっき一応台本を見たんですが、私、原作が分からないんで誰が誰だかさっぱりです……。それでNGのお二人なら知ってるかなって思ったんです」 「え?」 間抜けな声を上げると卓郎と祝詞は顔を見合わせた。 「チーは知らないのか?」 「大筋しか分からない」 「あー……秋水さんは?」 「俺が演劇に興味あると思うか?」 「だよねー」 最終的に卓郎が紙とペンを持ち出して卓袱台に広げた。 「まず、俺解釈でいうと……ロミオのIQ値は78くらいだとして……」 「頭悪いな、ロミオ」 秋水の突っ込みを流してマジックを紙の上に走らせる卓郎。事柄を箇条書きにして矢印をひいては次の事柄を書き、エンディングに向かう。 あらすじを一時間かけて説明し、一体いつ、どこから取り出したのか分からない指差し棒を乙姫に突きつけた。 「はい、何か質問は!?」 「ええと……ロミ男さんとジュリエットの関係は?」 沈黙の後、さすがの卓郎もその場に崩れ落ちた。 「乙姫ちゃん、もしかして、カタカナ弱かったりするのかな」 はいつくばって卓郎が死にそうな声を上げる。 「あ、えと…………ちょっとだけ、弱いです」 ウソツケ、という心の声がシンクロする。 やっと起き上がった卓郎は指差し棒をたたんで窓から投げ捨てた。 「魔球・塩って、舞台で野球をするんですか……?」 「マキューシオは人名」 「ロミ男さんのおうちがもんた牛、ジュリエットのおうちが、キャビネット、でいいんですよね」 「いいんじゃないの、別に。牛やタンスに住んじゃいけないって条例は発令されて無いし」 どんどん投げやりになる卓郎。 そこで秋水が手を打った。 「絹夜がいいんじゃないか?」 「どうして黒金がでてくる」 チロルが不満げに問う。 だが、あの笑いようだとしたら知らないということは無いだろう。 何より――。 「イタリアが舞台の話だ。イタリア出身なんだろう? あいつ」 [*前へ][次へ#] [戻る] |