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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
11 *乙姫/dragon*5
 それはへたり込んだ乙姫の手元に届いて、乙姫はチロルに視線を向ける。
 真っ赤になった目からぼろりと涙がこぼれた。

「乙姫、お前が辛いのはお前がその憎しみを抑えているからだ。刷り込まれた善の枷を取ってしまえ。
 人を憎まず、何もかも愛せることは素晴しいが、憎しみを知らない者にその辛さを愛することは出来ない。
 憎んでしまえ、それで楽になるのなら」

 乙姫の影から派生している龍が憎しみの象徴であることは感じていたが、チロルの言葉は意外だった。
 箍が外れたようにどっと勢いを増した龍の突撃。
 だが、チロルの様子が変わることなく、それでも龍は狂ったように彼女に向かっていく。

「そうだ、私はお前の敵だ。私を憎むといい。お前がどうしても何かを傷つけたいのならば私はそれを許す。
 決して、お前が自らを傷つけないのなら、私はその刃を受け入れよう。そうして、忘れて、楽になってしまおう」

 なんて言葉だ。
 絹夜は愕然としながら、危機が去ったことを悟った。
 全肯定と全否定の慈愛。背徳的で、神々しいとさえ思えた。
 あまりに正論で、反則行為で、馬鹿馬鹿しい。何より、何の解決にもならない。
 それでも彼女はそれを選んだ。
 絹夜の知っている神は愛だけを押し付けて、潔白であることを証明させていた。
 まるで、自らが傷つくことを恐れるように、自らが穢れることを恐れるように。
 だが、彼女は白も黒も、灰色も許すだろう。
 チロルの歩が進む。
 そのまま乙姫にたどり着くと、チロルは子供をあやすように抱きしめて背中をそっと叩いた。
 黒い龍も驚くほどおとなしく影に引いていく。
 悪い夢でも見ていたかのような終焉だった。
 呆然としている絹夜と秋水に視線をやってチロルがいつもの調子で呼びかける。

「何をぼさっとしているんだ! 庵慈先生と乙姫を保健室に!」

「あ、ああ!」

 庵慈を乱暴に引きずって秋水が動くが、庵慈の意識はあるらしく彼女は一人でよろけながら立つ。

「私の身体はなんとも無い、ちょっと毒気に中てられただけ……」

 と、庵慈はかすれた声で答え、秋水に乙姫を任せてると自分は外側から直接保健室に入る。
 覚束ない足取りの乙姫だが秋水が付き添って彼女も保健室に向かった。
 そうして、残ったチロルは立ち上がると、何も言わずに絹夜に背を向ける。

「おい」

「私達は、NGは、お前を選んだ。今度はお前が私達を選ぶ番だ」

「…………。お前達の正体が分からない以上俺は手を貸すつもりは無い。何度恩を売ろうと同じだ。
 お前は何者だ。お前の能力とは、何だ。藤咲を暴走させたのは一体なんだ!」

 激昂する絹夜の声とは対象的に、チロルの言葉は静かだった。
 彼女を包む光がだんだんと弱まって消えていく。
 それでも彼女の纏った雰囲気は消えない。

「私はお前の知っている通り。ネガティヴ・グロリアス――神の栄光を否定する者だ」

「…………。お前達の本当の目的はそっちか。それとお前達が狙っている<天使の顎>とどう関係がある。
 お前達は全てを知っているんだな……。それでも隠して、信用しろというか、笑えるな」

「黒金…………」

「何だ」

「変わった、な」

「…………」

 やっと振り向いたチロルだが、目を伏せてうつむき、視線をそらしたままだった。
 それでも彼女は覚悟を決めたように呟く。

「私はお前を信用する。そして、お前に信用して欲しい」

「…………」

「”神”は私がばら撒いてしまった災厄だ。あれは夢を見せる。人の運命に手を加え、捻じ曲げ、破滅に走る。
 ここは食いつぶされ、空間が死ぬ。規模が大きい小さいは関係ない。空間が死ねば時間も死ぬ。命はどこまでも終わる」

「運命? NGらしくないな」

「運命、本能、感情、自然、奇跡。”神”は全てを書き換える。世界を丸ごとクラッキングして後は壊すだけ壊す。
 それが”神”だ。そして、それが私達の敵だ。私達はその”神”を追っている。
 この世界のどこかに潜伏している奴を見つけるためには、<天使の顎>というキーワードを入手しなければならない」

「運命を変える”神”とやらならとっくにお前達を殺しているだろう?」

「ああ。そうだろう。しかし、こちらも”神”と同じ力でガードをしている。それが”運命機構”という能力だ。
 運命を捻じ曲げ、書き換える。相手のものより少々使い勝手が悪いが、十分ここで生きることが出来る。
 私は”神”を植えつけてしまった……。その贖罪に今、ここにいる。卓郎と祝詞は私のわがままにつき合わされているだけだ。
 我々は”神”というウィルスを駆除するためのワクチン……といったことろか」

 絹夜はチロルを鋭い視線でにらみつけた。
 すぐさま彼女の話の穴をつく。

「どうしてそれが世界を滅ぼすと分かる? お前の言葉を信用すれば、まるですでに世界は一度滅んだかのようないいようだな」

「…………。やはり、そうなるか…………」

 長く静かな溜め息。
 チロルは正面に向き直って、今度は射抜くように絹夜を見つめていた。

「すでにいくつか滅んだ」

「…………いくつか?」

「多重に重なる世界の一つがここだとすれば、他にも特異点を経て枝分かれした時空がある。私達は横の並びではなく、上の世界から介入をしている。
 NGはこの世界に属さない、データの配列だ。私はこの横の並びの多重世界にいくつもの”神”を撒いてしまった。
 ある世界では、”神”を討ち果たし、ある世界では、”神”に討ち果たされてきた。どちらにせよ滅んだ世界もある。
 それでも、私は”神”を狩る。本来、介入してはいけない別次元の要素が入り込んで他の世界が歪んでいる。この世界の”魔”も”聖”もその影響だろう」

「…………。俺はSFは好きじゃないんだ、言い訳ならもっと分かりやすいものにしてくれ」

 悪態をついた絹夜にチロルは首を振った。

「私達にこれ以外の真実は無い」

「…………」

 絹夜は背を向ける。

「交渉決裂だ」

 言葉が夜に響いた。


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あきゅろす。
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