NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編 2 *受胎告知/return*1 ――神は私だ。邪魔はさせない。 澄みきった光がステンドグラスの色を透かして降り注いでいる。 磔にされたイエスの姿を光が床におろしていた。 寒い教会の中、少年が吐いた息は真っ白な綿になって消える。 静かな教会にたった一人。 赤い絨毯の上に立っていた。 * * * 「おはよう、絹夜君……」 怯えるように声をかけられ絹夜はまた不機嫌になった。 乙姫もそれ以上何を言うでもなく絹夜の調子を窺いながら視線を投げている。 取り繕った朝の風景。まずそれが気に喰わない。 どうして抵抗しようと思わないのだ。 「お前の損壊している秩序では到底理解できないことだ」 朝からまた目障りなのが横口を入れた。どうして考えていることがわかったのか知れないが、この女とは相容れない。 金髪蒼眼、上品に整った顔立ちに固い口調、風見チロルはすでに天敵である。 「朝一番に嫌味とは、相当変わった風習のお生まれなんですね、風見さん」 ゆっくりと視線は合わせずに嫌味を返した絹夜。 その隣でチロルは涼しい顔で教科書を鞄から取り出す。 「そうでもございません、黒金さん」 「も、もう、やめてよ〜!」 二人の放つ険悪な空気に乙姫が悲鳴を上げた。 これ以上言わせればまたいつかのように決闘になりかねない。 フン、と二人が顔もそむけあって、必然的に絹夜が向くのは乙姫のほうだった。 「絹夜君、この前の怪我は大丈夫……?」 「日本語がわかるならもう一度言ってやる。目障りだ」 「あ……う……」 この二週間、この調子で全く進歩なくこの関係が取り持たれた。 完全に同情の眼は乙姫に向いているが誰一人として完璧少女のチロルと凶悪な絹夜を恐れて乙姫の味方はしない。 魔女だけでなく、このクラスではチロルと絹夜に怯えなくてはならない。 教師が来て授業が始まりさえすれば絹夜はおとなしくなる。 誰もが教師の到来を心待ちにしていた。 「ク〜ロ〜カ〜ネ〜ッ!!」 今にもチロルが噛み付きそうな態勢になる。 ここまで冷静を失ったチロルも珍しかったが、正義感の強い彼女のことだ。 絹夜の言葉がいちいちむかつくのは仕方が無いのかもしれない。 そして、教室の前方扉が開いた。 これで絹夜もおとなしくなる。皆がほっと胸を撫で下ろした次の瞬間、絹夜とチロルは同時に臨戦態勢に入る。 ギリギリと空気が締め付け、生徒たちがそれに驚くが二人は前方扉に注意をはらったままだ。 「チロちゃん……? 絹夜君……?」 乙姫の言葉をチロルさえも無視している。 チロルは背の銃を取れるように、絹夜は左手を胸の前に、右手を床に向けていた。 視線集中している扉から出てきたのは、教師ではなく、男子生徒。 胸ポケットにある大きな臙脂色の勲章を確認してチロルは絹夜に警告した。 「あれが魔女部だ」 「ほう。獲物に目印がついているとは好都合」 本来はその臙脂の勲章が権力の証となっている。 それがわからないほど絹夜は馬鹿では無い。 そして、わざわざ彼がここにやってきたのは絹夜が目的ということだ。 周りの生徒たちは言葉をなくし、だんだんと絹夜の前にやってくる男子生徒に道をあけた。 これぞ、魔女の権威。そう見せ付けるが如く、彼は見下している。 だが、その容姿は勲章以外には他の生徒となんら変わりの無い、むしろ地味な少年だった。 中肉中背、いまどき珍しくも無い茶髪、制服も着崩しているわけではない。 それが、絹夜の前に出て値踏みをするようにじろじろと見る。 すぐに視線はチロルに向いて、彼は突然に噴出した。 「フッ……どんな筋肉魔人がやってきたかと思ったら、黒金絹夜とはそんなものか」 ミュージカル調の身振り手振りが癪に触るやつである。 元々は痛い程度だったが一般生徒は思ってはいるが、口には出来ない。 それが彼の役者魂に火をつけたのか、彼の仕草は日に日に酷くなっていた。 「安心しろ、俺は見た目より好戦的だ」 絹夜は臨戦態勢を解いた。 「風見。小物にガタついているここで威嚇はいいが、お前はこんな小物に武器を使うのか。……鬼だな」 その場の全員に失礼なことを言って絹夜は我こそはと君臨する。 その一言にチロルが腹のそこから、しかし押さえるように呟く。 「この失礼大魔王……!」 「魔王と一緒にするな。俺に失礼だ」 偉そう、という概念で言ったら絹夜が一番である。 魔女部部員も顔面を引くつかせて頭に青筋を浮かべた。 「小物とは、言えた物だね! 僕にはね、力があるんだ。神様がくれた力があるんだ!」 「貴様にやるほどの力か。よっぽど邪魔だったんだろう。ゴミ拾いご苦労。だが、ゴミ自慢はやめてくれ」 よくも平然と、次から次へとそんな嫌味が出てくるものだ。 失礼極まりなくて自分のことで無いながら頭にくる。 チロルは銃を引き抜いて絹夜を撃ってしまう、という選択肢を思いついた。 「ゴミ、ゴミと! 二回も言いやがったな!!」 「自分でも言って随分と自虐的なやつだな。女ならまだしも、俺は野郎を慰める趣味はないぞ。 用件はなんだ。魔女部だかマッチョ部だか知らないがさっさとしてくれ。俺は早くイタリアに帰りたい」 マッチョ部は無いだろう。 チロルの冷たいし視線をいつも通り無視して絹夜は腕を組んだ。 無防備な態勢になって挑発をしているのではなく、完全にナメきっている。 魔女部部員にも、チロルにもそれがわかって場の空気がさらに張り詰めた。 「今日は、部長から君に伝言を授かってきたから出向いてやったんだけどね。君には魔女部に入る品格は無いようだ」 「魔女部のスカウトか」 「光栄に思うがいい。部長からスカウトだなんて、前代未聞だ」 「風見、お前はスカウトされなかったのか?」 嫌味をたっぷりと用意して絹夜はチロルの返答を待った。 しかし、彼女は意外な事を言う。 「私はバスケットで推薦入学したから」 「…………」 スポーツ推薦。優等生チロルの印象としては意外なものがある。 興味を損なって絹夜は魔女部部員に向き直った。 「悪いな、俺は放課後まで仲良しこよしをやってられるほど出来た人間ではない」 すでに帰宅部と決めているらしい。 そして部活動全否定でまた周囲の視線が刺さる。 今まで学園を支配してきた魔女部の部員と、突然やってきた失礼大魔王。 どっちにもつけぬオーディエンスがイライラし始めたその時、魔女部部員は大きく振りかぶった。 「では、消してしまえと部長から言われているんだよ!」 次の瞬間には絹夜の立っていた位置に針の雨が降る。 「!?」 驚いたのは魔女部部員だった。 攻撃が終わりきる時に、絹夜の姿を見失ったのだ。 チャンス。 チロルは銃を抜く。 「おとなしく手を……!」 「いいカモだぜ!!」 「!」 机に片手をついて身体を中に浮かせていた絹夜。 その両足が魔女部部員の喉と胸に的確に入って部員は横に吹っ飛んだ。 迷惑なのはその先の生徒で巻き込まれ机や椅子をひっくり返しながら倒れる。 数人巻き込んだ惨状に全く気にした様子もなく絹夜は両足を着地させるとまだ情けなく腰をついている魔女部部員にのっしのっしと近づいた。 襟首を掴んで無理矢理立たせると額をぐりぐりと押し付けながら唸った。 「部長とやらに言っておけ。伝書鳩には礼儀を仕込めってな」 「黙れ、神父。お前なんて」 彼が言い終わる前に絹夜が即頭部を鷲掴みにする。 そして、そのまま画鋲などの、しかも頭の部分が取れたものがある掲示板にガツンと打ち付けて擦り付けるように右から左に走った。 「いぎゃああぁぁぁぁぁ!」 針だけになった画鋲にでもひっかかったのか、掲示板に血のラインが引かれる。 「う……今のは痛い……」 チロルさえも目をそらして歯を食いしばった。 なまじイジメに近い分、魔女部部員に同情する。 掲示板の端にきて絹夜はそのまま簡単に人間一人を頭から投げる。 入り口近くのゴミ箱にぶち当たり、ゴミまみれになったところ、さらに絹夜がゴミともども廊下に蹴り出す。 それで終わりではなかった。 鬼の形相で笑いながら絹夜は廊下に出て悪魔笑いを響かせた。 背を廊下の壁に預けて身体を起こそうとしている魔女部部員の腹を踏み潰し見下しながら廊下に声を響かせる。 「俺に指図しようなんて百年早い。転生してからやり直せ」 「う……ぐ……」 「黒金!」 前方ドアからチロルが顔を出す。 彼女に視線を向けて魔女部部員は一気に憤怒の表情になった。 もう一度、手を高く上げようとする。 「おっと、我慢だ」 もう片方の足で手を壁に押し付ける絹夜。 腹にかかった体重と指先の痛みにさらに絶叫が走る。 しかし、魔女部がらみの抗争だと厄介なので他の教室からは誰も出てはこなかった。 一般生徒が魔女部に襲われていると思い込んでいる他のクラスからは助けや邪魔者が入るわけが無い。 魔女部が作り上げてきた権威が逆効果となっている。 「やめろ、黒金!」 「お前も同じ目にあいたいか? 指図するなと言ったはずだ」 「あんまりにも可愛そうだ。逃がしてやれ」 「クックック……哀れみをかけるか。お前もなかなか失礼なことをする女だな」 「か、風見さん……」 かろうじて魔女部部員が口にした彼女の名にはどこか敬意がこもっていた。 敬意――いや、好意だろう。 先からこの魔女部部員の視線はちくいちチロルに向かっていた。 絹夜には当にわかっていたことだがいざこの展開になると笑いが止まらない。 「乗り込んできて余裕をかまして、返り討ちにされて、あまつさえ女に同情されるとはな。俺なら恥ずかしくて死ぬぞ?」 プライドの高そうな魔女部部員の少年にトドメを刺す。 これで本当に彼が死のうが絹夜には関係ない。 その移行が面白そうで絹夜はここで彼を再起不能に追い込むのはやめ、一歩退いた。 捨て台詞もなく走って逃げていく背中にさらに笑い声を浴びせかける。 「黒金」 「…………なんだ」 「ありがとう」 まだ人を警戒している目をしているくせにチロルは銃を収めながらそう言った。 いちいち、何が目的だか説明するのが面倒になって絹夜はしかめ面をしたが彼女の言っている意味がよくわからなかった。 教室に戻ると、視線が突き刺さる。 絹夜がいるというだけで、このクラスの全員は魔女部に狙われることとなったのだ。 完全に宣戦布告も果たした。 その雰囲気を察して絹夜はチロルの横に立つ。 「俺が魔女部に蹴り入れてやる。お前がディフェンスだ。これで文句は無いな?」 「え……?」 「協定だ」 「…………」 返事する間もなく、絹夜は自席に向かって座ったとたんに何事もなかったように机に伏せて居眠りこける。 一方、チロルは絹夜がさりげなく放った言葉に間違いが無いか何度も反芻した。 協定。 「ここで、お花生けられそう〜」 先の魔女部部員の放った攻撃で剣山状態になった床を見て乙姫が呑気に微笑んだ。 今の一言でチロルの頭から絹夜の言葉がすっ飛んだ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |