NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
10 *魔喰/MAGU*4
奴はすでにこれほどまでに強力な杖を持っている。
その能力はうまく使えばさらなる力を得るだろう。
だが、どうしてこの男は2046という扱いにくいものを奪おうというのだ。
それほど聖剣が特別視されるのだろうか。
あれは単純に剣技を習得した上で扱える代物だ。どちらかというと細く、軟弱そうに見える牧原にそんな特技があるようには見えない。
だとすると、考えられるもう一つの可能性は、今、彼が持っている武器には決定的な、あの能力をもってしても補えない弱点があるということだ。
なんだ、なんだ、なんだ。
「悪いがこのまま解除の儀式を行う。その後、部長に突き出してやるから今のうちに覚悟をしておいてください」
胸元から取り出す古びた羊皮紙。
そこに書かれたダブルペンタクル。
本格的な儀式のアイテムだ。
「2046は貴様にはもったいない!」
させまいと両腕で身体を押し上げる絹夜。
牢獄でつながれた重石を思えばまだ軽い。
「しつこいと嫌われますよ」
「だったらまた押さえつければいいだろう。やってみろよ」
「…………」
牧原の苦い顔を絹夜は見逃さなかった。
そうだ、なにかしら魔術を使いたがらない理由があるのだ。
「いいだろう!!」
嫌な顔をしたが、挑発に乗せられる形で牧原が大きく杖を振りかぶる。
身体と杖が離れた瞬間、絹夜はまた彼の心臓部から光の帯が杖の先端に向かって流れているのを見た。
「生命力……ッ」
今度は内臓を押しつぶすような吐き気までが襲う。
だが、絹夜の呟いた言葉は、牧原に十分ダメージを与えていた。
「ッ……グ……! 調節し切れなかったか……!?」
自らの左胸、心臓の辺りを掴んで牧原はよろめいたがすぐに持ち直した。
「ふ、でも、これでお前の聖剣を手にいれたも同然だ」
激しく、うわん、うわんと魔法陣が鳴いている。
もう一度、羊皮紙が乾いた音でめくれた。
鴉が歌う。
「――?」
もう月は上がりきっている。
鳥達はとっくに眠っているはずだ。
だが、どうして今の時刻に鴉が鳴くのか。
耳を澄ますと、それはやかましく叫んでいるように聞こえる。
ばさばさと狂気の羽音を巻き上がらせて確かにこちらに向かっていた。
「なんだ?」
今までの威勢が嘘のような心細そうな声で動きを止める牧原。
地面に伏せている絹夜でさえもその声に怯えを見た。
「――所詮」
声がした。癖のあるテノールだ。
「所詮、お前は正しき血に導かれた人間なのだ。”魔”を含んだその血を扱いきれずに魔女を名乗るとはおこがましい。
浄化されよ、人間の子」
「な、なッ!!」
魔法陣の中の重力が緩んだ。
絹夜はやっとのことながら顔をあげる。
そこには鴉の大群が何かに群がるように柱になっていた。
羽音を縫って耳に届くその声は良く覚えている。
翼の隙間に銀色の目が光った。
黒い翼の間にパズルのピースにように一部ずつ構成されるその黒い人影は全体をそろえるとピエロのように大げさに一礼する。
「ご機嫌麗しゅう、ファーザー絹夜」
「……クッ」
鴉の姿が彼に変換されてその男が降り立った。
空気が変わった。まるで、そこが別世界かのように全てが敵になった。
「何者だ……!」
杖を構える牧原に黒衣の男、卓郎が微笑む。
やれやれ、と肩をすくめると卓郎は淡々とした表情で牧原の前にまで歩む。
「来るな! お前も黒金と同じ目に……!」
「やってみるがいいさ」
「ぬ……!」
「お前の命が惜しくないのからやってみろ」
「…………」
そこまで言われても牧原は杖を振るわない。
額には珠のような汗を光らせ、息は必死に整えようとえいているが、疲労は目に見えている。
「魔喰を結晶化した杖――ソウルイーター……魂が原動力とは、なかなか奇抜な得物だな。魂を喰らう存在の力は扱い辛い」
「貴様、何者だと聞いている!!」
卓郎の指先が上がって、それすら牧原は身をすくめたが、卓郎の指は杖を指しただけだった。
「ソレと同じ。生き物の魂を吸う生き物さ」
笑みを湛え鋭く冴えた双眸。吸い寄せられるような銀の瞳。
ここに居てはいけない!
牧原の本能が盛大に叫ぶ。それでも逃げられるとは微塵も思わなかった。
卓郎の右手が高く上がる。
そこに先ほどの鴉か、三羽のほど彼の肩や腕に集まった。
「命を喰らい力を得るその罪深さ、たとえ、それが己の命だろうとお前は本当に耐え切れるのか?」
鴉が鳴く。
その身体が、卓郎の左腕にめり込んでいた。
飲み込まれている。
その光景が牧原の脳を覚醒させた。
今は攻撃手段のない黒金絹夜を封じている理由は無い。
とにかく、この男から逃げるのが先決だ。
「何をわけのわからないことを!!」
絹夜の魔法陣を卓郎の足元に移動させる。
その赤黒い光の中に異形の男が納まって牧原は安堵した。だが、次の瞬間には、生温かい鳥肌を立てていた。
甘んじて受けたのだ。
まるで絹夜でさえも歯が立たなかった重力の魔術をものともせずに背筋を伸ばして立っている卓郎。
その左腕に飲み込まれた鴉は翼だけを残して完全に飲み込まれてしまった。
重力の檻を示す魔法陣の光も彼を飾る装飾と言わんばかりの余裕だった。
「お前の杖のように行儀が良くないんだ。魂だけを吸い取るなんて都合のいいまね出来ないな」
当然、肉体ごと飲み込む。
その隠語を読み取って牧原は後退する。
今は絹夜が立ち直っていないがすぐにでも回復するだろう。
「さて、どうする? 俺も早くウルフマンと戦っている仲間を助けに行きたい身だ。
でもまあ、どうしてもかまってほしいなら容赦は無い」
「ナッ……何……」
引き腰になりながらではあるが牧原は抵抗の意志を見せる。
だが、現状を冷静に把握したら願っても無い申し出だ。
判断をせかすように卓郎が左腕をかざした。
その手の平には不気味な穴が開いている。よく見れば、穴の周りには鴉の上くちばしが三方向に広がっていた。
二匹の鴉の翼は四方向に、十字を描くように並んでいる。もう一匹分の翼は卓郎の心臓を守る位置に生えている。
生態を装備した”本物”なのだ。
自分達のように道具を媒体にしている紛い物ではない。
足元の魔法陣もだんだんと光を弱まらせている。
食われている!
それを悟って牧原は歯を食いしばりながらさらに後退する。
ここでくだらない意地を見せてはそれこそ間抜けだ。絹夜に貸しは作った。
十分に距離をとって、敵に追撃の意志が無いことを知ると、そのまま闇に逃れる。
瞬間、魔法陣もおとなしく身を引いた。
「よくも…………」
「おや、動けたのか?」
よろよろと情けなく立ち上がった絹夜に卓郎が手を貸す。
その手を叩きつけるように払って絹夜は膝に手をかけながら顔をあげた。
「よくも俺の獲物を勝手に逃がしたな」
「よくこの状況で獲物云々いえるな。獲物はお前だ」
「ふざけるな、どうにかなったはずだ」
「どうにもなら無いみたいだったから出てきたんだけど」
「俺に構うな!!」
「…………。そうもいかない」
猟奇的な音を立てながら鴉のたちの身体が完全に卓郎に取り込まれていく。
その中でも絹夜は卓郎に敵意を示した。
牧原があえて選ばない愚行の選択を絹夜は選ぶ。
逆らえるだけ逆らう。抗えるだけ抗う。何もかもを否定する。
「だからこそうもいかない。NGはお前を選んだ。お前には生きてもらう」
「なんだと?」
「お前には、生きてもらう」
いつもの人をおちょくった彼の態度ではなかった。
視線は絹夜の目に向いているようで、その先の何かを見ている。
一陣、風が吹いた。
夜闇に広がった星も瞬かず、沈黙する。
「神を狩るためにお前が必要だ。黒金絹夜」
言葉も口調も穏和であったのに、大気が泣いている。
対峙したその黒衣の男はまさしく死神だった。
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