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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
9 *封魔/Seal*4
「っえ〜、たーくろーさんが守ってくれるんじゃないの〜!?」

 どうしてこの人は余裕綽々なのだろう。
 神経の図太さに感心してしまうチロル。
 保健室の廊下にユマを待たせて庵慈に解除薬の精製の進行状況を聞けば全くだという。
 さらにNGの決定事項を聞けばこれである。

「卓郎は黒金の護衛に当たる。私が庵慈先生のほうに回るだろう。今、ユマも協力を要請したところだ」

 遠目からその会話を聞いていたユマが入り口から咆えた。

「協力を要請!? あんた、脅しただけじゃない!! ”カプチーノの後にアンケセナーメンをつける”って!
 大体、アンケセナーメンって何よ!」

「ファラオ、ツタンカーメンの王妃だ」

「だからそれがなんだって言うのよ!!」

 力いっぱいチロルは答えるがユマにとっては唱えにくいだけである。
 チロルにとっては口からでまかせ、というヤツなのだが、もうバカみたいな呪文で自分のアイテムを呪われているユマにとって恐怖の言葉だった。
 精一杯、悲劇の王妃を非難してユマは抵抗するがもうここまできたら引き返すのも億劫だ。

「うん、じゃあ、チロちゃんが私のナイト様なわけね?」

「と、いうか…………。私の推測では絹夜より庵慈先生のほうが危険なんではないでしょうか。
 黒金ならまだしも、先生が結界を失っているこの状態は魔女部も願ったりだと思います」

「あー、うんうん! 絶対狙うね、上層部のやつらなら!」

 ユマの口ぞえに庵慈が、ほう、と感嘆の息を漏らした。
 だが、その表情にはまだ余裕がある。

「だから、卓郎だけを絹夜に回して、残りで先生を護衛します」

「あら、私って人気者〜」

「嫌われてるから狙われてるんだって…………」

 ぼそりと遠縁から投げ込まれたユマの突っ込みは都合のいい庵慈の耳には入らない。

「魔女部の上層部の動きがわかりませんが保健室はまず捨てます、それから……」

 次を言おうとしたチロルに庵慈が極上の微笑を浮かべた。

「無理」

「え?」

「私は保健室から動かない」

「先生、そんなわがまま言われても!」

「動かない」

「…………」

 頑として動きそうもなかった。
 そこで何がおきようと、たとえ死んでしまってもいい、そんな覚悟の目だった。
 いつもの甘ったるい声ではない。
 勇ましく、悲しげな庵慈の声が夕暮れに染まる保健室に響いた。

「あなた達が私を守る義務は無い。私はここにあるべくしてあって、無きを望まれるならそれでいい」

「先生……!」

 だが、頑固はチロルの方が上手だ。

「では、私は保健室にいる先生を守ります。確かに、義務は無い。でも、義理はあります」

「…………そう。それなら私ももう何もいえない。チロちゃん、期待しているわ」

 後半、やっと調子を取り戻しかけて庵慈はいつもの笑みを返した。
 彼女も少し調子が狂っているのかもしれない。

「では、先生、私はもう少し回ってきます。ご注意を」

「はいはい」

 チロルが向けた背に庵慈が苦笑する。
 庵慈の微妙な嘲笑か苦笑か、その表情を見たのはユマだけだった。
 出ざま並んでチロルとユマが歩く。
 放課後の一階廊下ということで人通りがほとんど無い。

「風見、あんた、あの魔女が保健室を離れない理由、知ってる?」

「…………いや」

「私はね、知ってるの」

 三年生の毬栗が知っていて二年生の風見が知らないこともあるだろう。
 とくに驚きもせずにチロルは素直にそれを訊ねた。

「バッカ、ただで教えると思うな! ステッキのバカな呪文をどうにかしてくれたら教えてやろうってんだ!」

「じゃあ、別の人から聞く」

「ながぅ!!」

 三年だから知っている情報、別にそれに該当する人物がユマだけではない。
 今すぐ知っておきたいことでもない。
 あっさりと身を翻してチロルは先を急いだ。

「ちょっと! こういうときは素直に聞きたいって言うのがすじってもんでしょおー!?」

「今は長話している場合ではないからな」

「あー……そうなの?」

 調子を崩されたユマは今度は気味が悪いほどおとなしくなる。
 少なからず、庵慈についた封魔の香りをすったらしい。
 魔女総倒れで調子が崩れている。これで魔女部も倒れるなら話は早いがそうもいかない。
 チロルが向かったのは購買部だった。
 まだ香りが充満している。すぐさまユマを遠ざけて乗り込むと、そこには新しい購買部の係員が荷物整理を終えて帰るところだった。
 片手にアタッシュケースを抱えたサングラスの男。
 学園の購買部としてパンを売るにはやたら怪しい。

「お前が、幸野秋水か?」

「あれ、もしかして、絹夜君のお友達?」

 わずかにひくついた顔の筋肉は思い当たることがあるからなのだろう。
 チロルはずいっと近づいて指をその胸に突きつけた。

「余計なものを持ち込んでくれる! その上、自分は早々に撤退か! いい度胸だ!」

「待った待った! 落ち着こう! 別に都合よく撤退するなんてそんなこと!」

 慌ててアタッシュケースを開く秋水。
 大きなその手が摘み上げた小瓶。そこに書かれたのは”治癒”の文字。

「庵慈が魔術を使えない今、重要なのはこれだろ」

「…………当然、金は取らないよな」

「え…………。決まってるだろ」

 なんだ、今の微妙な間は。
 あえてそれには触れずにチロルは先に話を進める。

「それで、お前は何処にいこうというのだ」

「危ないから、撤退」

「…………」

 さすがは庵慈の知り合いである。さも当たり前のことをしているだけという態度に根性を叩きなおす気力さえ奪われた。
 酷い表情のチロルに颯爽と背を向け、長いバンダナを翻し秋水は裏口に向かっていく。
 手にした”治癒”の香水を持ってチロルは珍しく時間を忘れて呆然とした。

                 *                *                *

 三階の隅にある魔女部の部室にて、久遠寺殺がカーテンを引く。
 厚ぼったいカーテンは鏡のように反射する窓を隠す。

「ご苦労、殺」

「いえ、このくらい……。しかし、今回の件ですが、何故わざわざ夜を待つのですか。
 即急に保健室も叩いてしまうのがよろしいかと……」

「殺」

「…………はっ」

 織姫の柔らかい、殺気のこもった声に殺はかしこまった。
 だが、続くのは叱るものではない。

「保健室を叩いても他の生徒が障害になる。巻き込んでしまっては意味が無い。荒事を起こしては意味が無いのじゃ。
 敵は礼儀をわきまえている。それに応えるも魔女部の礼儀。姑息な手段は許さん」

「承知しております」

「汝は汝の人狼で神緋庵慈を潰すが良い。魔力の無い魔女はか弱い。一気に押しつぶせ」

「は、して、黒金絹夜のほうには…………?」

「牧原を送った」

「な…………! それは、あまりにも無茶では!?」

「殺、妬むことは無い。妾は貴奴より汝を信じておるぞ。牧原には黒金と戯れていてもらうのじゃ。
 その間に汝の狼で狩れば古びた魔女も取り払えるじゃろう。舞台は用意した。
 殺、うまく、やるのじゃぞ。もう常なる報告は聞き飽きた」

「必ず!」

 覚悟のこもった静かな声は殺自身を追い詰めるようでもあった。
 そして、今夜も月が満ちている。



















  <続く>





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あきゅろす。
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