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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
9 *封魔/Seal*2
 どばっと肩にたらした赤い髪を翻し、何事もなかったように購買に向かう庵慈。
 その光景に自分は取り残されたことに気がついて絹夜ははっとする。

「保健医……」

 普段滅多に保健室を離れない彼女が一体何の用なのか。
 どうしてお前がここにいる。
 そんな態度で彼女には通じることを知っている絹夜はあえて言葉にはしなかった。

「あら、そんなに邪険にしないでよ〜」

 手をヒラヒラさせて庵慈がやたらとにこにこする。
 そして、ちょっといたずらっぽい視線を無理矢理絡ませてくると、今度は腕をとった。

「それとも、私がここにいて都合悪いことでもあるの? つれないなぁ、お姉さんには何でも相談してちょうだい。
 んで、今日はお買い物。そうね〜、絹夜君に何か買ってもらおうかな」

 そのままぐいぐい腕を引っ張り品物の無い購買の前に立つ庵慈。

「お、おい!」

 全く人の意見を聞かない庵慈が苦手な絹夜にとって早く腕を振り解いてここから消えたい。
 だが、がっちりと抱きかかえられた腕は全く動かなかった。
 購買の中では、男が奥に置いてある鈍い銀色のアタッシュケースを取り出す。
 アタッシュケースをショーケースの上に置きながら男は眉を歪ませた。

「庵慈、また生徒に絡んでるのか。いいこと無いぞ」

 親しげに名前を呼ぶ男に庵慈はやたらうそ臭くにんまりと笑った。
 男の言葉を無視して彼女は絹夜を突き出すと簡単に説明をする。

「シュウちゃん、やっとこさ東京についたのねぇ。待ちくたびれちゃったわ。
 そうそう、彼が例の法皇庁からのエージェント、黒金絹夜君ね。可愛いでしょ」

「ほう、大変だな」

 絹夜が庵慈を睨みつける。
 これは一体どういうことで、やつは誰だ。

「やあねぇ、自分だって似たような立場のくせに〜。絹夜君、この学園には魔女もわんさかいれば、それな筋の方々もたくさんいるのよ?
 情報流しているのは私だけど〜」

「儲かりそうだったから」

 合いの手を入れるような会話。
 息はぴったりだ。

「俺は幸野秋水。古〜うい庵慈の古い友人って所だ」

「私が古〜ういかどうかはさておき」

 庵慈の声色が怒気を帯びる。
 絹夜のすぐ隣で庵慈が青筋を立てた笑顔を浮かべていた。
 ああ、これは気にしていることなのだろう。魔女と言われるような女の年齢だ。
 三桁はいっていておかしくない。

「シュウちゃん、私、買い物しにきたんだけど」

「あ、そう。そこの生徒さんが庵慈のお仲間だってなら安くするよ」

「仲間じゃない」

 やっと庵慈の手を振りほどいて絹夜は反論した。
 この女は信用なら無い。

「そうねぇ……」

 キレイな形をした指を唇にあてて庵慈はわざとらしく身を傾ける。

「将来、求め合う宿命の男と女って感じ?」

「貴様のイマジネーションにはガッカリさせられる」

「もう、絹夜君ったら、照・れ・屋・さ・ん」

 唇においていた指で絹夜の頬をつつく庵慈。
 上手というか人の話を都合よく聞かないその強引さには気が滅入るばかりだ。

「どうでもいいな」

 さすがは長年の付き合いというやつか、秋水は庵慈のまさに戯言を流し、絹夜にサングラス越しの鋭い視線を向ける。
 彼も散々庵慈に迷惑をかけられてきたクチなのだろう。
 庵慈同様、少々日本人離れした顔つきの男――幸野秋水。

「では、商売を始めよう」

 彼はアタッシュケースを豪快に開いて中身をこちらに向けた。
 授業中の校内には人の影がなく、教室からも離れたこの空間では大胆に出来る。
 よほど声を張り上げなければ会話も通常通りだ。
 彼が開いたアタッシュケースには、黒いスポンジの上に置かれたガラスのビンが数えるほどで、他に怪しいものはない。
 そのビンも可愛らしい細工のされた小さな小瓶だった。
 ピンクや緑の液体を収めたそのビンの中から庵慈は一つをとってうっとりとした表情で光にかざす。

「絹夜君、見て。きれいね」

 まるで宝石店で結婚指輪でも選んでいるような態度に絹夜は機嫌をさらに悪くする。

「”キレイだよ、庵慈、結婚しようか”くらい言ってくれてもいいじゃない〜!」

「死んでも言うか」

「いいのよ、愛は障害があるほど燃えるって言うからね」

「障害じゃない、拒絶だ、いい加減構うな。これ以上余計ごと持ち込んだらサン・ピエトロ寺院で吊るし上げるぞ」

「それはいいわね、新婚旅行はあなたの母国、イタリアに決定ね! ロマンチック〜!」

「…………」

 どこまでも人の話を聞いていない女だ。
 一、無視。
 二、逆に口説いてみる。

「三、蹴る」

 言うと同時に実行する絹夜。
 高く振り上げた足が庵慈を狙う。
 庵慈はそれを身を翻して避けた、つもりだった。
 強烈な蹴りが庵慈の手を直撃して、その手にしていた小瓶が手からすっぽ抜ける。
 すっぽ抜けた小瓶が落ちる。

「あ」

 落ちた小瓶が盛大な音を上げる。
 中から液体が飛び散る。
 一連の動きがスローモーションのように目に映って三人は呆然としながら終了段階を迎えた。

「うっ」

 強烈な香水の匂いがすぐに巻き上がる。
 袖口を押さえて絹夜はその香りをガードした。
 清涼感のある柑橘系の香りはほんのりならば好感が持てるがぶちまけられては悪臭に過ぎない。

「いやあぁん! 絹夜君、ひっど〜い!」

「あちゃー、やってくれたねぇ」

 両側から文句をつけられ動じる絹夜では無い。
 いつもの舌打ちをしてその場から去ろうとした。

「おおおい、ちょと! 黒金!」

 秋水が呼びかける。
 絹夜は背中を向けたまま足を止めただけだった。

「それはただの香水じゃない、そのまま匂いをばら撒きながら歩くのはどうかと思うぞ」

「何?」

「庵慈、そのビンにはなんて書いてある?」

 ショーケースから床にはいつくばってティッシュで香水そのものをふき取っている庵慈が眼鏡の端を持ち上げながらはっきりと読み上げた。

「封魔…………。うそーん」

                *                 *                *

 午後の授業に不参加なのは絹夜にとって当然のことだった。
 だが、授業が半ばに差し掛かった時、無遠慮にドアを開いてその男は現れた。
 さっきまでざわめき半分だった教室がしんと静まり、絹夜に視線が集中する。
 その視線もそよ風の如く受け、絹夜は自分の席に座った。

「…………黒金」

 チロルが正面を向いたまま小声で言うがそのこえも静かな教室には響き渡っていた。

「女物の香水の匂いがする……それはもうものすごい感じで」

 教室内の空気が変わった。
 さっきまで絹夜にビクビクとしていた生徒達は彼に疑惑の視線を向ける。
 教室内に充満した柑橘系の香りに反応して鼻を鳴らすものまでいる。

「俺がどこで何をしてきたのか気になるのか?」

 挑発するような絹夜。

「私が気がつかないとでも思っているのか」

 心配そうな声を上げるチロル。

「…………。後で寄らせてもらう」

 一体何のことだろうと聞き耳をたてていたほうとしては衝撃的な会話だった。
 もちろん、絹夜とチロルは封魔の件についていっているのだが、それを知らない人間にとっては痴話喧嘩にしか聞こえない。
 またも教室内がざわめきに満ちて、今度は黄色い声を混じらせる。
 そして言った本人たちは鈍感で気がついていないか、気にしていないこの有様。
 その雰囲気を引きずったまま授業は終わり、クラスメイトの視線が刺さる中、まだ六時限目があるというのに立ち上がる絹夜とチロル。
 これから絹夜はチロルに散々頭を下げるのだろうか、そんな妄想がそこらで行われる中、乙姫がおずおずと声をかけた。

「あ、チロちゃん、私も……」

「いや、乙姫、悪いがついてこないほうがいい」

「…………そ、か」

 いつも三人一緒、というわけにはいかないのか。
 肩を落とす乙姫にチロルは、すまん、と謝った。

「後々事情をちゃんと説明する」

「……う、うん」

 説明されても……。
 わだかまりが残る。
 二人が去ったあと、クラスメイトがひそひそと、そして面白がるように乙姫をつついて言った。

「乙姫〜、邪魔しちゃだめじゃない〜!」

「え、あ……うん」

「でも、意外だよね〜、仲悪そうだったし! 本当はそんなんだったんだ!」

「……うん」

 友人の声も遠い。
 頭がぼんやりとしている。
 少し、そのままぼーっとしていると、すぐに次の授業が始まった。
 友人も席に戻って始まる授業。横にあいた机が二つ。

「そっか……そうだよね……」

 自分よりチロルのほうが目立って勉強も出来る。
 積極的で誰からも頼られ、誰もを助ける。
 なにより、足手まといになるような弱い人間ではない。
 今日は思い知った。
 風見チロルと自分の違い、距離、背負うもの。
 彼女は闇を持たない。眩しい人だ。じめじめした自分とは違う。

「うん、そう。そうなんだ」

 だから絹夜も彼女に惹かれるのだ。

「藤咲はこの公式が理解できたか。じゃあ、解いてみろ」

「えッ?」

 気がつくと黒板にちんぷんかんぷんな文字の配列があった。それが数学なのか化学なのかすら判別が出来ない。
 反射的に立ち上がるが苦笑いと冷や汗が答えの変わりにあふれ出た。

「ごめんなさい、聞いていませんでした……」

「藤咲、来年からは受験生だ、授業をちゃんと聞くくらいはできるようにしろ」

「はい……」

 追い討ちをかけるように凹まされた気分で席につく。
 派手に溜め息が出た。絶不調である。

「藤咲!」

「ごめんなさ〜い!」


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あきゅろす。
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