NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
8 *十字架/sin*4
今日は本当に雨が降り続いた。
湿った空気が陰鬱に拍車をかけている。
保健室の窓からぼんやりと外を眺める。
ただただ灰色。
特に訪問もなく、今日はこのまま終わりそうだ。
庵慈はデスクから立ち上がり自室に引きこもる。
ピンク色の鏡台の前に背中を向けて座ると白衣を、シルクのシャツをおろす。
首を無理に捻って見る鏡には赤黒い十字の刺青が走っていた。
黒羽を広げた十字の下には細かく洗礼の文字が連なり、最後に数字が大きく刻まれる。
――2046、と。
「さて、どっちに転ぼうかしら……」
何世紀も昔に刻まれた魔女の烙印がまだそこで呪っている。
だが、彼女は自分の運命が呪われているとは思ってはいなかった。
* * *
――神は私だ。邪魔はさせない。
澄みきった光がステンドグラスの色を透かして降り注いでいる。
磔にされたイエスの姿を光が床におろしていた。
寒い教会の中、少年が吐いた息は真っ白な綿になって消える。
静かな教会にたった一人。
赤い絨毯の上に立っていた。
いや、絨毯が赤いのではない。
たった今、赤く染まったのだ。
思い出したくない。
だが、蓋が開いた過去は液状化して流れ出した。
緩やかに、そして、なみなみと。
青く清らかな光を灯した一振りの剣が血を吸っている。
聖邪混在の赤く濡れたその剣は2046。
男女を祭壇にて弔い、少年を闇に葬る剣。
「よくやったね、絹夜」
優しい声に呼ばれて少年は自分の存在を思い出す。
剣を床に落として少年は叫んだ。
両親は優しくしてくれたのだ。
血が繋がっていなくとも、めいっぱい大切にしてくれた。
それなのにどうしてこんなことになった!?
「それはね、お前の心が汚いからだ」
声は優しく告げて、そして笑った。
西日が射し込む気だるい空気。
黄金の輝きが大切な人の身体を照らすがその温もりは失われていく。
金色の輝き。
そこに立っていた男はいつも美しくか細い草笛の音を聴かせてくれた。
少年とも青年とも曖昧な、しかし酷く作り物がましく整った容姿が、人外のものを彷彿とさせる。
「でも、大丈夫。お前の父も母もお前を許すだろう。お前は選ばれたんだよ、絹夜」
それが何を告げようと意味までは頭に浸透していなかった。
少年は夢から覚める方法を必死に探して、覚めない現実に震える。
「お前の使命はこの剣で魔女を滅ぼすこと。それが果たされればお前は許される。
神託を授けよう、絹夜」
そっと柔らかくか細い手が少年の頭を撫でた。
「殺せ。魔女を殺せ。それは楽園の夢を見る全ての人々を苦しき現実に呼び起こそうとする。
名で豊穣の大地を示し、銀の暁を率いた漆黒の朝鳥はいつしかお前の前に現れるだろう」
その手から伝わる熱は、冷たい。
「我が名はミカエル。神を代行するものなり。狩れ、絹夜。お前が手にかけた死人のために」
魔女。
その単語だけが染み入って怒りを湧き上がらせる。
少年の感情を知って美しい天使がさらに言った。
「全てはその魔女のせいだ。この世界が狂ったのも、お前が狂ったのも……神が死にたもうたのも……」
天使が2046を拾い上げ、血塗れたそれを絹夜の手に戻す。
弱々しく握った小さな手の上から冷たい手が包んで堅く押しつぶす。
「必ず、狩れ。許されたければ、夜明けを告げる黒き魔女を狩れ」
少年の手に力がこもってその剣を強く握り締める。
天使は満足して微笑んだ。
<続く>
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