NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
8 *十字架/sin*1
弾劾の声が響く。
それを裁けと皆が叫ぶ。
灰色の空は厚ぼったい雲で覆って見てみないふり。
神は都合よく目を伏せられたのか。
両脇を固められて女は歩いた。
歩くというよりも引きずられ必死に前に進まないようにと抵抗したが、どうしようもなかった。
フランスの空気はどんよりと濃厚で、身にまとわりつく。
どうしてこんなにも重たいのか。
本当は何が重いのだろうか。
目の前の木の処刑台にはロープもギロチンも無いが、それならまだ踏ん切りがついた。
地味な緑色の囚人服を着せられた女はその壇上に上げられる。
そこでは、石炭を燃やしたつぼの中に太い鉄の棒が熱せられている。
女はそれに眼球を向けながら段上で両手両足を羽交い絞めするマスクの男達に抵抗する。
全面民衆の中、処刑が執り行われるのは日常茶飯事だったフランス。
民の不満を解消させ、国に向けないためのパフォーマンス――街中で行われる処刑は見事、国の思い通りの評判となった。
一般市民、それも女子供の混じったその場所でたった一人の女を皆が見つめている。
執行人が女の罪を読み上げた。羊皮紙に書かれた文は長いのに、そのほとんどが読まれない。
何せ、民衆は処刑を楽しみにしてる。ここで長々前ふりをすれば石でも投げられかねない。
「この者は教会の神父をたぶらかし、そして、その教会を焼き払い神父を殺した魔女である」
違う。
これは法皇庁の罠だ!
そう叫ぼうとも女の口には手ぬぐいを噛まされていて何も叫べなかった。
「よって、今日、ここに処刑を執り行う」
やめろ!
冤罪だ!
女の囚人服の背中が裂かれる。
筋の入った細い背中があらわになるが、その背がこれから人に見せられないものとなる。
つぼの中の鉄の棒が引き上げられた。
赤く燃えるその先は細やかな装飾の施された十字となっている。
赤々と、空気を飲み込むたびに燃えるそれが熱気を帯びて近づいてくる。
両脇を、手足を押さえる男達の力がさらに強まった。
眼球を閉じることも忘れて恐怖した。
そして、その十字の印が白く細い身体に当てられる。
「――ッ!!」
意識が飛びそうになった。
脳までが沸騰して体が蒸発してしまいそうだった。
実際、一部はそうなっている。
あれだけ力を込めていた男達の腕が動くほど彼女は暴れ、狂ったように叫ぶ。
天を恨むその目を血の涙で飾って、しかし、気を失うことはなかった。
やっと鉄の印が身体を離れて処刑が終わる。
あまりの残虐性に彼女が呆然としているところだった。
誰かが言った。
「魔女め、生きているだけでありがたく思え」
他の誰かが言った。
「神父様を殺すなんて! おお、恐ろしい!」
子供が言った。
「なんだぁ、死なないんだ」
もう、どうしてそんな風に!!
言葉にならない憤怒と悲しみ。
この腐った国で誰が清きか!
次々に叫ばれる非難の言葉。
「魔女は痛みを感じないから平気なんだ」
「この国が良くならないのは魔女が悪さをしているからだ」
「何故あんな魔女の存在を神は許したもうたか」
聞きたくない。それ以上言ってくれるな。悪意が渦巻いて押し寄せる。
魔女、魔女と、その単語だけが気のふれている彼女には届いた。
そうして――。
「!」
突然、その印を収めていた壷が炎を吐き出し、火の粉を巻き上げる。
その炎が蛇のようにのたうちまわって壇上の男達を狙った。
屈強な男達が壇上から逃げ出し、民は残った女に魅入られる。
彼女は布の轡を取り払って宣言した。
「よく聞け」
王室で歌わせたいような美しい声と炎の蛇に釘付けの誰もが見上げる舞台。
炎に照らされて黒く見える囚人服は背中が大きく開いて、ドレスのようだった。
そして、その背には大きな黒い十字架が刻まれ赤くただれている。
赤く渦巻く長い髪を熱風になびかせ、彼女は足元の人間を睨んだ。
「お前達が私を魔女と言うならば私は魔女になろう。この刺青が私を魔女にしたのだ!
黒い十字、魔女の烙印、今を持って私は堕ちる! 偽りを取り払い、必ずやこの恨み、晴らしてくれる!
我が名は”真実の魔女”! 炎をもって虚偽を照らし、燃やし尽くす!
覚えておけ、愚民ども! お前達が我が身に刻んだ烙印の恐ろしさを知るがいい!!」
さらに荒れ狂う赤い蛇。
それが次第に大きくうねって人を喰らった。
あたり一面が火の海になって逃げ惑う人の声に溢れる。
炎の中に浮かぶ赤毛の魔女。
その姿も炎に埋もれた。
* * *
「――ッあ」
まず、頭痛に気がついた。
そして、夢だったことに安堵する。
いや、夢ではない。通り過ぎた過去だ。
あの炎の熱さまで再現したリアルな夢。
現在を確認して顔にかかった赤い髪を掻き上げる。
枕元の時計を見れば午前四時半だ。
窓からは白々と明け始めた空がレースのカーテン越しに照っている。
それとは対照的に雨音が強かった。朝からお天気雨だ。
電話のコールが鳴っている。
はっとしてベッドから這い出て受話器を耳に当てた。
「もしもし」
コードレスの子機をもってまたベッドに戻る。
梅雨の朝は冷たい。
雨音の中、受話器から聞こえた男の声に庵慈は一気に目が覚めた。
上品で、しかしどこまでも冷徹なその声は日本語で語りかけた。
「あの、何の用件でしょうか…………」
『現状を聞きたい』
「報告通りです」
『そう冷たくするな。報告どおりなら報告をもう一度してくれればいい』
「…………。こんなに朝早く、ふざけているんですか」
『いいや。全く。私は至って真面目に君の仕事の成果を聞きたいだけだ。君は信用できる女だ。
だが、我々の思い通りに動いてくれる女ではない。監視役を監視する役が必要だろう』
「あなたはいつだって誰かを縛って自分の自由を確かめた…………。ええ、うまくやっています。
立ち回りもあなたそっくりだと思ったけど、彼はあなたとは違う……。絹夜はあなたとは違います」
『絹夜とお前には苦労をかける。だが、それが法皇庁だ。絹夜を野放しの化け物にさせるわけにはいかない。
あれは魔女も聖者も狩る。喰うために生まれてきたのだ。喰われる事を知らない化け物だ。
今のうちにうまく飼い慣らさなければ我々のためにならない。いいな、絹夜から目を離すな。
そのためにお前はそこにいるのだぞ』
「承知しております」
激しく気が沈む。
相手が連絡を切ってやっと一息つくと、彼女は子機を壁に向かって投げつけた。
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