NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
6 *変動/wish*2
「なんだ、エイリアンが出たんじゃないのねぇ、残念だわ〜」
何が残念なのかはさておき、相変わらず能天気な表情で庵慈が笑った。
癒しの空間、保健室に例の男性教師を担ぎこんでチロルは庵慈に事情聴取されることとなった。
もちろんチロルは自分は親切を働いているだけだと言っているが、男性教師の顔面についていた蛍光緑の物体を見ると絹夜は一方的に悪くはないことはわかる。
誰だってあれは嫌だ。
そして、残念なことにその男性教師を大口を開けて注意をした分、例の物体をしっかり食べてしまったらしい。
とにかくいろんなものに哀れみをかけて庵慈は卑屈に笑った。
「仕方が無いといえば、仕方が無いというか、仕方が無いようで、実は仕方が無い、みたいなー……」
「?」
「とにかく、チロちゃん。お料理は禁止。モノを投げるのも禁止」
「…………。はい」
被害の拡大防止も保健医の役目である。
それを立派に果たして庵慈はようやくソファーに寝かせられている男性教師の元に近づいた。
この黄緑色の何たるかがエイリアンではないとわかれば十分だ。
手にした濡れタオルでそっと顔を拭って庵慈は声を上げる。
「あら、祇雄先生じゃない」
チロルが首をかしげたのを見て庵慈は彼の顔に濡れタオルを当てながら言った。
「三年生のクラスの担任だからチロルちゃんは良く知らないかもしれないけれど、なかなか面白い先生なのよ」
と、言われる祇雄は痙攣を起こしている。面白いというかおぞましい。
「私も間近で拝見するのは初めてだけど、顔だけならいい男ね。な〜んか、とってもワイルド」
「え?」
チロルは祇雄の体型をまじまじ見つめた。
中肉中背、といったところだ。特にワイルドという要素は無い。
むしろ、どこか潔癖でなよっとした頼りない印象さえあった。もしかしたら庵慈にはそう見えるのか。
それはそうと、と庵慈が話を持ち直したのにチロルは思考を向けた。
「最近、ウルフマンが夜中、校内に入ってきてるみたい。校内の結界がところどころ破られているのかしら
…………チロちゃ〜ん」
「…………。結界を調べればいいんですね」
「あ〜ん、チロちゃん、話せる〜ぅ!」
調子よく甘い声を上げた庵慈にチロルは肩を落とす。
断れば断るで、脅されるだけだ。
専門外だが他に出来るものもいないだろう。
「では、今夜調べてみます」
「うん、お願いね」
これで今日の調査内容は決定した。
黒金を誘っても効果は無いだろう。
一人で校内探索となると骨が折れる。
残念ながら部活動は休みだ。
頭の中で予定をくみ上げてチロルはクラスに戻る。
当然、そこに絹夜の姿は無い。
* * *
チロルから連絡を受けて珍しく起きて待機していた卓郎だったが、警備員室に先に足を運んだのは乙姫だった。
「あの、すいません、柴さん…………」
出入り口の辺りでまごまごとしている乙姫に卓郎はテレビの画面を見ながら入るように勧めた。
ちなみに、テレビ画面は夕方の教育番組を映している。
色とりどりの衣装を身に着けた子供と、いわゆる体操のお兄さんが跳んだりはねたりするのを卓郎は真剣な眼差しで見つめているのだ。
それを遠目から見て入りづらそうにしていた乙姫だったが意を決して入ると、今度はペンギンのお出ましだ。
「乙姫ちゃ〜ん!」
ちゃぶ台の上にのっかって短い手足をばたつかせる仕草は可愛いがそれが人間の言葉を流暢に使うと少し気持ちが悪い。
チロルは違和感がないようだが、乙姫にとっては未だに受け入れがたい現実だ。
「あ、の、祝詞さん……」
だが、今は祝詞に感謝。
子供向け番組を見ながら、その体操のお兄さんに言われるがままに上半身の体操をし始める卓郎は奇怪極まりない。
「あの、いつも、こうなんですか……?」
「ああ、いつも、こうだよ」
もっと酷いときもある、そんなニュアンスがこめられた祝詞の一言に珍しく乙姫の眉間にしわが寄った。
「それで、どうしたの、乙姫ちゃん。チロルならまだ来てないけど」
「あ、いいんです。むしろその方が…………」
といって乙姫は手にしていた小さな箱を祝詞の横において開いた。
ピンク色のレースが引いていある綺麗な籠の中にプチシューがころころと入っている。
生地の色も緑、黄色、茶色と三種類ほどあり、色とりどりでおいしそうな代物だった。
「おおーッ! ビュリホー! これ、乙姫ちゃんが作ったの!?」
「はい、調理自習で作ったんですけど、午後の授業でおなかいっぱいだったし、甘いものって、やっぱり余っちゃうんですよね。
よかったら食べてください」
「乙姫ちゃん、いいこだね〜! いいお嫁さんになるよ〜!」
盛り上がる祝詞に反応したのか、卓郎も顔を向ける。
箱の中を覗きこんで乙姫をべた褒めすると祝詞を膝において試食タイムだ。
そしてまた祝詞と卓郎は乙姫をべた褒めし、突然二人そろって溜め息混じりに呟いた。
「それに比べてうちのチロルは…………」
何がいいたいのか乙姫も十分わかっている。
化学の法則を完全に無視したあの所業は何か悪い呪いでもかかっているのではないかと心配になるがそういったわけではない。
「最低という言葉ではくくれないんだよな。もっと、何かこう、恐ろしく禍々しい、魔王のような喩えが必要なんだよ、あれには」
「…………」
喩えを考えようとしているあたりまだ祝詞には余裕がある。
余裕がなければ逃げることばかり考えてしまう有様だ。
「ところで、チロルのその…………完成品はどうなったんだ?」
「いくつか作っていたみたいだけど、結局出来たのは一つだけ……。他は自然消滅したみたい」
とうとう質量保存の法則まで打ち破ったか、チロル!
悲しくて泣きたくて、それを無理矢理に笑顔に変換して卓郎は恐る恐る次を問う。
「それで、その一つは…………?」
「絹夜君に…………」
「…………」
自分達で無いことに安心しつつ、絹夜に同情する一同。
だが、それ以上その会話が進むことなく、祝詞と卓郎は何事もなかったかのようにまた乙姫を褒めながらプチシューを口に運んだ。
「いやぁ、本当においしい! 女の子だよね、祝詞、こういうのが女の子だよね!」
「そうだね、いかにもそうだ! わっはっはっはっは」
「あはははははははは」
「わあははははははは」
「ウルセェ! バカヤロウ! 笑ってんじゃねぇ!!」
突然ペンギンに拳を振り上げる卓郎。
まだ色々混乱しているようだ。
そして、タイミング悪く更なる来客が戸を叩く。
チロル!?
はっとなった三人は慌ててプチシューの箱を隠そうとする。
だが、その来客がチロルではないことに気がついて動きを止めた。
ずうずうしく入ってきた小柄な少女、毬栗ユマである。
「何やってんの……?」
微妙な沈黙が流れてユマは返事が無いことに難しい顔をしたが、ほっと安心した二人と一匹に首をかしげる。
どたばたしているのは聞こえていたが、一体何をやらかしているかは全く予想がつかない連中だ。
乙姫が何を説明したらいいかわからずに停止しているとユマがきゃんきゃんと声を上げた。
「ああーッ! いいもの喰ってんじゃん! いただきーッ!」
切り返しの速さに見守られる中、ユマは上がりこみプチシューを口に放り込む。
すぐさまその童顔は至福に溢れた。
「んー! おいひい、おいひいよ〜! どうしたの、コレ」
「あ、あの、私が調理実習で作ったんです……」
乙姫が照れながら名乗りを上げたのをユマは反論ありげな顔しつつ、もう二、三個、プチシューを口に放り込んでいた。
「チ、まずいっていっときゃよかったぜ」
「あはあははは…………、毬栗先輩のお口に合って良かったです」
態度を急変させたユマに苦笑しつつ、彼女の率直な意見は好評だったことに喜ぶ乙姫。
一方、ユマはさらに眉を吊り上げた。
「”毬栗”じゃなくって、”マロン”って呼びなさい〜ッ! そんな可愛くない名前で呼ぶんじゃない!」
「え、で、でも、毬栗先輩は毬栗先輩ですし…………」
「却下! 却下ッ却下却下却下却下きゃっきゃッきゃっきゃかっきゃっきゃ――」
「小猿か、お前は」
今にも乙姫を引っかきそうなユマ。それを卓郎がまさしく小猿を扱う手つきで首根っこ捕まえる。
彼は少し距離を置いたところにユマを配置して自分は押入れを探った。
「あれ。布団と一緒に…………」
といいながら卓郎が取り出したのは、ユマの魔法ステッキだ。
「やはり布団と一緒にたたんでいたみたい」
「人の大事なもんをテレビのリモコンみたいに扱うんじゃない! この眉なし警備員!」
ユマがステッキを奪い取ろうと、ばねのように立ち上がるが、長身の卓郎には全く届かず空振りに終わった。
さらに奪い返そうと必死にジャンプするユマをイジワルな動きでかわして卓郎はへらへら笑う。
イジワルな兄と妹、そんな低レベルな光景を乙姫は微笑ましく思って笑顔を浮かべるがそれがまたユマの逆鱗に触れるのだった。
一通り叫び終わってユマが息切れしたところにやっと卓郎がステッキを指先に立て器用にバランスをとりながら本題に入る。
「毬栗ユマ、君はこのステッキを取り返しに来たんだね」
「っつたりめぇだろ、じゃなきゃさっさと帰るっつーの! 没収されたままなら魔力奪われたと同じだろうが!」
若干巻き舌だが、息切れしている分、迫力が無い。
「実際問題、どっちがいいのやら……。君の魔力をなくすことも奪うことも簡単なんだがね、でもそれじゃあ可哀想だから」
「だったらさっさとステッキ返せよ」
手を差し出すユマに卓郎がイジワルな笑みを見せた。
眼鏡の奥の銀色の目がよからぬことを考えてちょっとだけ弧を描く。
「でもねー、ただ返してまた同じことやられても面倒だから、そのステッキにちょっとしたおまじないをかけました」
「おまじない? まさか、呪詛をかけたのか!?」
「可愛くな言い方するとね」
あっさりと魔法のステッキを呪いで封じたことを認めて卓郎が頷く。
ユマは口を半開きにしたままで、その横で祝詞は白々、乙姫は心配そうにことの成り行きを見守った。
「ちょっとした呪文を唱えなきゃ使えないようになってます」
「呪文?」
だったら呪詛でもなんでもない、難しい呪文でも練習さえすればいいのだ。
内心ガッツポーズのユマはそれがばれないようにわざと深刻な顔をする。
さらに頷いた卓郎はそのステッキを振り回して実演して見せた。
「くるくるくるくるカプチーノ、モントレオーネ・カプチーノ」
「…………」
ステッキの先を回し続け、卓郎が、どう? と自慢げに問うがあまりにしょうもなくてユマだけでなく祝詞と乙姫も言葉を失う。
無駄に長ければ意味も無い。
どうしてそんなセンスの無いことばかりしてくれるのか。
「ええと、まずどうしてカプチーノなの?」
真っ白な頭をどうにか動かしてユマは質問した。
むしろ、どうしてそんな質問を? と卓郎がさも当然の如く答える。
「カプチーノ飲みたかったから」
「…………」
「”ステッキ、グシャーッ”の方がよかった?」
「…………」
非常に唱えにくい。
難しい云々ではない、唱えるたびにプライドが傷つけられていく恐ろしい呪詛だ。
しかし、絶体絶命の時ならプライドを捨てて唱えることも出来なくも無い。
絶妙だ。
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